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志明院(金光峯寺)ではいただけません
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しみょういん(きんこうほうじ)|真言宗単立岩屋山

志明院(金光峯寺)
京都府 貴船口駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年06月12日(木)
2496投稿

京都市北区にあるお寺です。
大森から山を越えて 南東の雲ケ畑というエリアに来ました。
目指していたのは 大森で知った惟喬神社です。
惟喬神社を探していたところ Googleマップに志明院という名前を見つけました。
「おぉぉこんな山奥・・・道すらも表記されないような場所に山寺がある。車で行けそうか?おお志明院駐車場って出とる。行くしかないやろお。」
いやおおげさですが まあまあアップにしないとマップでは道が見えませんでした。
惟喬神社を素通りして 志明院に向かいました。
こんな軽いノリでお参りをしたのですが・・・すみませんでした。とても立派なお寺だったのです。
参拝者もけっこう多くいらっしゃいました。
駐車場から石段を上がると ご住職がおられ 境内の案内をしてくださいました。
皇族とも 空海とも 菅原道真とも縁のあるお寺でした。
山門より奥は写真撮影禁止のため 写真はほとんどありません。

山門より奥には まずは本堂があります。
不動明王が祀られていると思うのですが はっきり見えませんでした。
飛龍大権現社があり 社殿の下から 人工の滝ですが水が滴っています。
左手に進むと 2つの窟があります。薬師の岩屋と鳴神の岩屋です。
鳴神の岩屋は歌舞伎十八番「鳴神(なるかみ)」の舞台となった場所で 鳴神上人が龍神を閉じ込めたところだそうです。
かつてここで空海が護摩を焚いたとされています。
いったん戻って山奥に5分ほど進むと 根本中院(奥院)があります。こちらでは 菅原道真が彫ったとされる眼力不動明王を祀っています。
その奥にはまた窟があり こちらは神降窟(しんこうくつ)と呼ばれ 高さ約30mの大岩窟で天井からは水がしたたり落ちています。鴨川の源流の一つです。
一回りして山門まで戻ってきて またびっくり。
金剛力士像は運慶とその子・湛慶の作といわれているそうです。
ほんと 写真撮りたくなるでしょ。でもダメなんですよ。こっそり撮ってる人いましたけど。。
寺務所では 優しいおばあちゃまが御朱印を書いてくださいました。

ネット情報です。もういらんかなぁ。
山号は岩屋山 院号は志明院 宗旨宗派は真言宗系岩屋山不動教 寺格は本山 ご本尊は不動明王 創建年は伝・白雉元年(650年) 開山は伝・役行者です。
当院は 白雉元年(650年)に修験道の開祖とされている役行者によって創建されたという。
その後 天長6年(829年)に淳和天皇の勅願により空海により再興されたと伝わる。
その際 本尊は淳和天皇の勅願によって空海が直作したという不動明王が祀られることとなった。
この像は日本最古の不動明王像といわれている。
また 日本最古の不動明王顕現の地ともされる。
院名の志明院は淳和天皇より賜ったものである。
当地は鴨川の源流の一つであるが その源流となっている洞窟にある根本中院の本尊・眼力不動明王は 宇多天皇の勅願により菅原道真が一刀三礼で彫った像とされ 以来皇室代々の勅願寺として崇敬深く 秘仏として即位に際し勅使を迎えて開扉され 宝祚延長 万民安穏の祈願が行われたという。
寺伝では 少なくとも天文19年(1550年)頃までは 谷々を埋める坊だけでも40数坊あり相当な巨刹であったとされ 岩屋山全体が修験の山岳道場となっていたようである。
その後 度々兵火や火災にあっている。
天保2年(1831年)に失火によって山門を除く殆んどの建物が焼失しているが 本尊の不動明王像は災厄を免れている。
明治時代に熱心な信者により本堂が復興されている。
山門から先は霊場なので撮影 飲食 ペットの同伴は禁止されている。
日本有数の魔所 都から追われた魑魅魍魎の最後の砦といわれている。

はい すごいお寺でした。
またお参りしたいと 強く思いました。

志明院(金光峯寺)(京都府)

駐車場から石段を上がります

志明院(金光峯寺)(京都府)

京都市の由緒書 おおぉ立派なお寺じゃないか~

志明院(金光峯寺)(京都府)

ここから先は写真撮影禁止

志明院(金光峯寺)(京都府)

手水

志明院(金光峯寺)(京都府)

寺務所

志明院(金光峯寺)(京都府)

おばあちゃまが御朱印を書いてくださいました

志明院(金光峯寺)(京都府)

こんな山の中です

志明院(金光峯寺)(京都府)

鴨川の源流の地です

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歴史

岩屋山と号し、真言宗単立寺院である。一般に岩屋不動と呼ばれている。寺伝によれば、白雉元年(650)に役行者が創建し、のち、天長六年(829)弘法大師が淳和天皇の命により再興した。以来皇室の勅願所として崇敬が深く、この時「志明院」の勅願を天皇から賜わり、これを寺号にしたという。度々兵火や火災に遭い、現在の所要建物は明治以降の再建である。
本堂には空海の開眼と伝える不動明王を安置し、奥院である根本中院には菅原道真の手彫と伝える眼力不動明王を安置している。また、境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じ込めた所と伝承される護摩洞窟など修験道にちなむ伝承地が多い。また付近一帯には京都市の天然記念物である石楠花が多く、四月下旬に開花して美しい。

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志明院(金光峯寺)の基本情報

住所

京都府京都市北区雲ケ畑出谷町261

行き方

京都市営地下鉄烏丸線「北大路駅」より、雲ヶ畑バスもくもく号乗車、終点「雲ヶ畑岩屋橋バス停」下車(1日2往復)

アクセスを詳しく見る
名称

志明院(金光峯寺)

読み方

しみょういん(きんこうほうじ)

通称

岩屋不動

参拝時間

8:00〜17:00

参拝料

500円

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印の郵送対応なし

御朱印帳なし
電話番号075-406-2061
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
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詳細情報

ご本尊不動明王
山号

岩屋山

宗旨・宗派真言宗単立
創建時代

天長6年(829)

開山・開基

弘法大師空海

ご由緒

岩屋山と号し、真言宗単立寺院である。一般に岩屋不動と呼ばれている。寺伝によれば、白雉元年(650)に役行者が創建し、のち、天長六年(829)弘法大師が淳和天皇の命により再興した。以来皇室の勅願所として崇敬が深く、この時「志明院」の勅願を天皇から賜わり、これを寺号にしたという。度々兵火や火災に遭い、現在の所要建物は明治以降の再建である。
本堂には空海の開眼と伝える不動明王を安置し、奥院である根本中院には菅原道真の手彫と伝える眼力不動明王を安置している。また、境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じ込めた所と伝承される護摩洞窟など修験道にちなむ伝承地が多い。また付近一帯には京都市の天然記念物である石楠花が多く、四月下旬に開花して美しい。

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