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大森賀茂神社ではいただけません
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おおもりかもじんじゃ

大森賀茂神社
京都府 貴船口駅

パーキング
駐車場
あり

小学校跡グラウンド横に駐車できる

御朱印について
御朱印
なし
ありません

おすすめの投稿

神祇伯
2019年09月08日(日)
1345投稿

山城国葛野郡の式内社「堕川御上神社」に比定される神社です。
式内社の名前の通り、「堕川神社」に比定される岩戸落葉神社の前の道からより山の上の方(御上)へ進んだところにありました。

大森賀茂神社の鳥居

《鳥居》

大森賀茂神社の手水

《手水舎》

大森賀茂神社の建物その他

《表参道》

大森賀茂神社の狛犬

ミニサイズの獅子・狛犬さんがいました。かわいい。

大森賀茂神社の本殿

《外拝殿》

大森賀茂神社の本殿

《本殿》

大森賀茂神社の末社

《摂社・惟喬神社》

大森賀茂神社の歴史

《由緒書き》

大森賀茂神社の自然

周りは完全に山の中で田舎です。京都市とは思えない…

大森賀茂神社の建物その他

《堕川御上神社の元宮遥拝所》
由緒書きにあるとおり、堕川御上神社は元々別の場所に鎮座しており、賀茂皇大神の合祀とともに現在地に遷座、現社名にしたため、後裔社として確定はできないようです。

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歴史

御祭神は、弥都波能売神、瀬織津比咩神、賀茂皇大神の三神を祀る。
摂社には、闇淤加美神の貴船神社、惟喬親王の惟喬神社の二社を祀る。
当神社の創建年代は不乍ら平安時代前期には巳に祀られており、元の堕川御上神社は延喜式内社であったといわれ、清滝川と西野川の合流点、落合付近(現在の境内の東方、薬師峠の麓付近)に祀られていたことに因むといわれている。
貞観十七年(875)に賀茂皇大神の合祀と共に現在地へ遷座され、寛仁二年(1018)には大森賀茂神社に改称された。
この大森の里は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれた。又、文徳天皇第一皇子惟喬親王の閑居の地であり、例祭である十月第二日曜日の秋祭は惟喬神社で斎行される。
また一月二日には歳旦祭が行われる。

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名称大森賀茂神社
読み方おおもりかもじんじゃ
参拝時間

参拝自由

参拝料

なし

御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》賀茂皇大神,弥都波能売神,瀬織津比咩神
創建時代伝・平安時代前期
ご由緒

御祭神は、弥都波能売神、瀬織津比咩神、賀茂皇大神の三神を祀る。
摂社には、闇淤加美神の貴船神社、惟喬親王の惟喬神社の二社を祀る。
当神社の創建年代は不乍ら平安時代前期には巳に祀られており、元の堕川御上神社は延喜式内社であったといわれ、清滝川と西野川の合流点、落合付近(現在の境内の東方、薬師峠の麓付近)に祀られていたことに因むといわれている。
貞観十七年(875)に賀茂皇大神の合祀と共に現在地へ遷座され、寛仁二年(1018)には大森賀茂神社に改称された。
この大森の里は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれた。又、文徳天皇第一皇子惟喬親王の閑居の地であり、例祭である十月第二日曜日の秋祭は惟喬神社で斎行される。
また一月二日には歳旦祭が行われる。

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