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ちょうど、平野神社を出たころには、霙交じりの空模様でしたが、この日の京都御朱印巡りの締め括りとして北野天満宮を参拝いたしました。 お目当ては北野天満宮道真忌の梅花祭、梅苑「花の庭」の観賞です。
北野天満宮は言わずと知れた、全国に約1万2000社あるとされる天満宮・天神社の総本社で昌泰4年(901年)に起こった昌泰の変によって九州・大宰府に左遷され、その後の延喜3年(903年)に無念の死を遂げた菅原道真(すがわらのみちざね)公を御祭神に祀ります。 道真死後、讒言によって道真を左遷に追い遣った左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)が急死すると都で災害も相次ぎ、極めつけは延長 8年(930年)に天皇の居所(清涼殿)に於いて落雷による火災が起こり、かつて大宰府での道真の動向監視の任に就いていたとされる藤原清貫(ふじわらのきよつら)ら公卿・官人が複数人死傷するという事件が発生します。 さらにはその3ヶ月後に心労の為か醍醐天皇までもが崩御してしまうと、道真の怨霊が配下の雷神を使い落雷事件を起こした、など道真の祟りだとする噂が実しやかに囁かれ、やがて道真の怨霊説は元々京都北野の地に祀られていた火雷神という地主神とも結び付けて考えられるようになります。 こうした中、朝廷は天暦元年(947年)に道真の祟りを鎮めようと、北野朝日寺(現・東向観音寺)の僧・最鎮(さいちん)らに命じ、道真を祀る社殿を造営したのが北野天満宮の起源と言われています。 後に藤原師輔(ふじわらのもろすけ)~(道真を左遷させた藤原時平の甥にあたる)により壮大な社殿へと造り直されると永延元年(987年)には初めて勅祭が行われ、それと共に一条天皇から「北野天満大自在天神」の神号を賜り、その後は朝廷から、武家の時代に入っては足利家や豊臣家からの崇敬を受け、次第に道真の御霊を鎮めるために建てられた神社という成り立ちより、京の都の平穏を守る霊験あらたかな神社として変化を遂げていきます。 近年は学問の神様として信仰されている道真公ですが、これは道真が生前優れた学者・詩人であったことから、江戸時代に広まった寺子屋で天神様や道真公の「御神影」が掲げられ学業成就や武芸上達が祈られたことに起因し、これが「学問の神さま」「芸能の神さま」として人々に広く知られるようになった由縁の一つとされています。
お詣りをしたした2月25日は菅原道真の命日にあたり、天神市の開催もあって多くの参拝客で賑わいを見せていました。 お目当ての梅苑「花の庭」では紅梅・白梅・枝垂れ梅が見頃を迎えており、それぞれ趣が違う花姿を堪能致しました。 ちょうど苑内に入ったころには小雪が舞い始め、身に染みる寒さとなりましたが、茶屋でお菓子と梅昆布茶のサービスがあり冷え切った体を温める飲み物は有難く、格別の美味しさでした。

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