しきちじんじゃ(わらてんじんぐう)
敷地神社(わら天神宮)京都府 北野白梅町駅
8:30~17:00
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方3月関西小旅行 4回目の参拝ですが3年半ぶりです。
4月の第一日曜日に春季例大祭が毎年行われており、境内ではすでに準備が始まっていて、神輿も庫から出されていました。
以前の参拝時にはありませんでしたが、月例御朱印を頒布されており、また前回は敷地神社(わら天神)と六勝神社とも直書でしたが、今は直書はされておらず紙での頒布。
手水舎
敷地神社拝殿
綾杉明神
綾杉明神 由緒書
六勝神社拝殿
六勝神社由緒書
末社 八幡神社
六勝神社 本殿
京都市北区にある神社です。
京都市では わら天神の通称で知られ 安産の神としてとても有名です。
腹帯を購入する際 安産御守として藁が授与されることから 「わら天神」の通称があり 藁に節があれば男児 節がなければ女児が誕生するといわれています。
うちの孫の時には 節があったので男児だと思っていたのですが 女児が生まれました。
まあこんなこともありますわな。
摂社・六勝稲荷神社は試験合格の神として有名で 娘の国家試験受験の際にはお参りしました。
こちらは ありがたいことに見事合格させていただきました。
主祭神は 木花開耶姫命(このはなのさくやびめ) 配祀神は天日鷲命(あめのひわしのかみ) 栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)です。
ネット情報です。
本社の歴史は そもそもは北山の神として 山背国葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇がその北山の地に祀られていた。
天長8年(831年)に その地に氷室が設けられ その夫役として加賀国から移住した者が 崇敬していた菅生石部神社(敷地天神)の神を勧請し 北山の神の隣に祀ったうえ 更に菅生石部神の母神である木花開耶姫命も祀って祭神に定めたという。
応永4年(1397年)に 足利義満が山荘・北山殿(後の金閣寺)を造営するに当たり 参拝に不便になったことから両社を合祀して現在地に遷座した。
正面大鳥居
二の鳥居
拝殿
本殿の拝所
本殿横から
由緒書
摂社 六勝神社
六勝神社 本殿拝所
本殿横から
末社 八幡神社
由緒書
末社 大山祇神社
由緒書
綾杉明神
由緒書
10月7日は戌の日でしたので 息子夫婦の安産祈願&腹帯を頂きにお参りしました。
京都市北区にある神社です。
京都市の多くの方がこちらの敷地神社にお参りされるようです。
わら天神宮と呼ばれています。
安産のお守りがとても珍しいからです。
安産のお守りを購入するとその中にわらが入っており 節があると男児が 節がなければ女児が生まれると言われています。
お参りした親戚はみなこれが当たっており 息子夫婦はどうだろう・・・節がありました。
天神様のお告げでは 男児のようです。
本殿にはお礼参りのよだれかけが奉納されています。
この日はお参りの方が多く 顔の映り込みが多くなってしまったので 昨年お参りした際の写真を上げさせていただきます。
絵馬のように文字の書かれたよだれかけが奉納されています
わら天神宮の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村(やましろのくにかどのぐんきぬがさむら)に降臨された北山の神で、その成立は平安建都以前と推定されています。天長八年(西暦831年)、この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として 加賀国の人々が移住してきました。彼らは移住にあたり、崇敬していた菅生石部神(すごういそべのかみ)の分霊を勧請し、ご祭神をその御母木花開耶姫命と定め、北山の神の西隣に祀りました。
応永四年(1397年)、足利三代将軍義満による北山第(後の鹿苑寺(金閣寺))の造営にあたり参拝に不便になったことから、 両者を合祀して現在地へ遷座、社号を菅生石部神の通称である敷地神社(しきちじんじゃ)とし、爾来六百年になります。
名称 | 敷地神社(わら天神宮) |
---|---|
読み方 | しきちじんじゃ(わらてんじんぐう) |
参拝時間 | 8:30~17:00 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-461-7676 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://waratenjin.com/ |
絵馬 | あり |
SNS |
京都十六社 第11番 | 御本尊:木花開耶姫命 |
---|
ご祭神 | 《主》木花開耶姫命,《配》天日鷲命,幡千千姫命 |
---|---|
創建時代 | 平安時代以前 |
ご由緒 | わら天神宮の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村(やましろのくにかどのぐんきぬがさむら)に降臨された北山の神で、その成立は平安建都以前と推定されています。天長八年(西暦831年)、この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として 加賀国の人々が移住してきました。彼らは移住にあたり、崇敬していた菅生石部神(すごういそべのかみ)の分霊を勧請し、ご祭神をその御母木花開耶姫命と定め、北山の神の西隣に祀りました。
|
体験 | 御朱印お守り |
概要 | 敷地神社(しきちじんじゃ)は、京都市北区衣笠天神森町にある神社。旧社格は村社。わら天神の通称で知られ、安産の神として知られる。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] そもそもは、北山の神として山背国葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇がその北山の地に祀られていた。天長8年(831年)に、その地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇敬していた菅生石部神社(敷地天神)の神を勧請し、北山の神の隣に祀ったうえ、更に菅生石部神の母神である木花開耶姫命も祀って祭神に定めたという。 応永4年(1397年)に、足利義満が山荘・北山殿(後の金閣寺)を造営するに当たり、参拝に不便になったことから両社を合祀して現在地に遷座した。 明治時代になると村社に列せられている。 |
行事 | 祭事[編集] 春季大祭 4月第1日曜日 秋季大祭 10月26日 |
引用元情報 | 「敷地神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%95%B7%E5%9C%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90913854 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
16
0