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しきちじんじゃ(わらてんじんぐう)

敷地神社(わら天神宮)
京都府 北野白梅町駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年03月11日(火) 19時54分26秒
2520投稿

京都市北区にある神社です。
京都市では わら天神の通称で知られ 安産の神としてとても有名です。
腹帯を購入する際 安産御守として藁が授与されることから 「わら天神」の通称があり 藁に節があれば男児 節がなければ女児が誕生するといわれています。
うちの孫の時には 節があったので男児だと思っていたのですが 女児が生まれました。
まあこんなこともありますわな。
摂社・六勝稲荷神社は試験合格の神として有名で 娘の国家試験受験の際にはお参りしました。
こちらは ありがたいことに見事合格させていただきました。
主祭神は 木花開耶姫命(このはなのさくやびめ) 配祀神は天日鷲命(あめのひわしのかみ) 栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)です。
ネット情報です。
本社の歴史は そもそもは北山の神として 山背国葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇がその北山の地に祀られていた。
天長8年(831年)に その地に氷室が設けられ その夫役として加賀国から移住した者が 崇敬していた菅生石部神社(敷地天神)の神を勧請し 北山の神の隣に祀ったうえ 更に菅生石部神の母神である木花開耶姫命も祀って祭神に定めたという。
応永4年(1397年)に 足利義満が山荘・北山殿(後の金閣寺)を造営するに当たり 参拝に不便になったことから両社を合祀して現在地に遷座した。

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

正面大鳥居

敷地神社(わら天神宮)(京都府)
敷地神社(わら天神宮)(京都府)
敷地神社(わら天神宮)(京都府)

二の鳥居

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

拝殿

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

本殿の拝所

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

本殿横から

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

由緒書

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

摂社 六勝神社

敷地神社(わら天神宮)(京都府)
敷地神社(わら天神宮)(京都府)
敷地神社(わら天神宮)(京都府)

六勝神社 本殿拝所

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

本殿横から

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

末社 八幡神社

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

由緒書

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

末社 大山祇神社

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

由緒書

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

綾杉明神

敷地神社(わら天神宮)(京都府)

由緒書

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歴史

わら天神宮の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村(やましろのくにかどのぐんきぬがさむら)に降臨された北山の神で、その成立は平安建都以前と推定されています。天長八年(西暦831年)、この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として 加賀国の人々が移住してきました。彼らは移住にあたり、崇敬していた菅生石部神(すごういそべのかみ)の分霊を勧請し、ご祭神をその御母木花開耶姫命と定め、北山の神の西隣に祀りました。
応永四年(1397年)、足利三代将軍義満による北山第(後の鹿苑寺(金閣寺))の造営にあたり参拝に不便になったことから、 両者を合祀して現在地へ遷座、社号を菅生石部神の通称である敷地神社(しきちじんじゃ)とし、爾来六百年になります。

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敷地神社(わら天神宮)の基本情報

住所

京都府京都市北区衣笠天神森町10

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

敷地神社(わら天神宮)

読み方

しきちじんじゃ(わらてんじんぐう)

参拝時間

8:30~17:00

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印の郵送対応なし

御朱印帳あり
電話番号075-461-7676
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://waratenjin.com/
絵馬

あり

SNS

巡礼の詳細情報

京都十六社

第11番

御本尊:木花開耶姫命

詳細情報

ご祭神《主》木花開耶姫命,《配》天日鷲命,幡千千姫命
創建時代

平安時代以前

ご由緒

わら天神宮の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村(やましろのくにかどのぐんきぬがさむら)に降臨された北山の神で、その成立は平安建都以前と推定されています。天長八年(西暦831年)、この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として 加賀国の人々が移住してきました。彼らは移住にあたり、崇敬していた菅生石部神(すごういそべのかみ)の分霊を勧請し、ご祭神をその御母木花開耶姫命と定め、北山の神の西隣に祀りました。
応永四年(1397年)、足利三代将軍義満による北山第(後の鹿苑寺(金閣寺))の造営にあたり参拝に不便になったことから、 両者を合祀して現在地へ遷座、社号を菅生石部神の通称である敷地神社(しきちじんじゃ)とし、爾来六百年になります。

体験御朱印お守り

Wikipediaからの引用

概要
敷地神社(しきちじんじゃ)は、京都市北区衣笠天神森町にある神社。旧社格は村社。わら天神の通称で知られ、安産の神として知られる。
歴史
歴史[編集] そもそもは、北山の神として山背国葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇がその北山の地に祀られていた。天長8年(831年)に、その地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇敬していた菅生石部神社(敷地天神)の神を勧請し、北山の神の隣に祀ったうえ、更に菅生石部神の母神である木花開耶姫命も祀って祭神に定めたという。 応永4年(1397年)に、足利義満が山荘・北山殿(後の金閣寺)を造営するに当たり、参拝に不便になったことから両社を合祀して現在地に遷座した。 明治時代になると村社に列せられている。
行事
祭事[編集] 春季大祭 4月第1日曜日 秋季大祭 10月26日
引用元情報敷地神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%95%B7%E5%9C%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90913854
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