まんがんじ|日蓮宗|示現山
満願寺京都府 蹴上駅
御朱印受付:9:00〜16:00
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楽しみ方京都小旅③
早朝、白川筋から琵琶湖疏水あたりをゆっくり散歩。日々の雑事を忘れてリフレッシュできた三日間でした☺️
京都市美術館と動物園を隔てる岡崎通の東側、この辺りは豪邸が多いワネ。
そんな住宅街に突如あらわれる立派なお寺さん。日蓮宗の満願寺は洛陽十二支妙見巡りの辰になります。御所から見ると東南東ね。
お上人はお留守でしたが、庫裏にて奥様に御朱印をいただきました。
山門
山号は示現山
なんか惹きつけられる扁額です。
大きく立派な御本堂ですが、お参りの人はいません。
平安神宮や南禅寺の近くなのにね。
おかげでゆっくり拝めました👍
遠い昔、こちらの朝勤のお経に耳を傾けたことがあります。
ココロに沁みいる読経でございました💧
月日の流れを想い、感慨にふけるワタクシ…
文子天満宮
「フミコ」ちゃいます「アヤコ」でんねん👍
菅原道真の乳母・多治比文子(タジヒノアヤコ)が道真追悼のために建立した堂宇が起源だそうな。
その隣の小祠
扁額に何も書いてないケド、こちらが妙見さんかな?
下んところにあるの蛇に見えるなぁ
閼伽井天社
お供えのお水の神様
庫裏ですが、入るのにちょっとチュウチョしました💦
あまりに立派なので…
でも大黒さまはとても親切なご婦人でした。
御首題
洛陽十二支妙見の御朱印帳
妙見さんの御朱印
満願寺は示現山と号する日蓮宗の寺院で、もとは西ノ京にあって、天慶三年(940)に北野朝日寺の最珍を開山として創建されたと伝わる。当初は真言宗に属し、北野天満宮の御共所であった北野七保のなかの五の保社ともなっていた。その後、元禄十年(1697)に日蓮宗へ改宗するとともに、元禄十五年に現在地へ移転してきた。
本堂は、移築後まもなく元禄十五年から宝永元年(1704)にかけて造営されたもので、京都市内に残る日蓮宗の一般寺院本堂の中では古い方に属する。建築的には、桁行三間・梁行一間の身舎の四周に一間幅の裳階をまわして背面に内陣部を突出し、さらにその後方に土蔵造の奥陣を付設した複合建築で、変化に富んだ外観をみせている。また、その内部の力強い空間構成には近世的特色がみられ、日蓮宗本堂の近世遺構の一例として貴重である。
境内にはこのほか、当寺が現在地へ移転してきたときのものとして鐘楼、手水舎、表門、文子天満宮本殿・拝殿などが残っており、位置が一部変化しているものの、江戸時代中期における日蓮宗の一般寺院の寺観をよく伝えている。
名称 | 満願寺 |
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読み方 | まんがんじ |
参拝時間 | 御朱印受付:9:00〜16:00 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 075-771-4874 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
洛陽十二支妙見めぐり 第5番 |
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ご本尊 | 釈迦如来 |
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山号 | 示現山 |
宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
創建時代 | 天慶三年(940) |
開山・開基 | 最珍 |
文化財 | 本堂、鐘楼、手水舎、表門、文子天満宮本殿、文子天満宮拝殿(市指定有形文化財) |
ご由緒 | 満願寺は示現山と号する日蓮宗の寺院で、もとは西ノ京にあって、天慶三年(940)に北野朝日寺の最珍を開山として創建されたと伝わる。当初は真言宗に属し、北野天満宮の御共所であった北野七保のなかの五の保社ともなっていた。その後、元禄十年(1697)に日蓮宗へ改宗するとともに、元禄十五年に現在地へ移転してきた。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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