てんじゅあん|臨済宗南禅寺派大本山南禅寺塔頭
天授庵京都府 蹴上駅
9:00~16:45
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楽しみ方【瑞龍山(ずいりゅうさん)天授庵(てんじゅあん)】
本尊:釈迦如来
宗派:臨済宗南禅寺派
開基:足利義持(中興:以心崇伝)
天授庵は、京都市左京区南禅寺福地町に位置します。南禅寺の塔頭。1339(暦応2)年、光厳(こうごん)上皇(北朝初代 光厳天皇(在位:1331-1333))の勅許により虎関師錬(こかんしれん)が南禅寺開山 無関普門(むかんふもん)(大明国師)の塔所として建立しました。1602(慶長7)年、細川幽斎が再興しています。
2つの庭園があります。方丈東庭の枯山水庭園と書院南庭の池泉回遊式庭園です。どちらも色着いたもみじがとてもきれいです。混雑していました。
【方丈】
【表門(開かずの門)】
【山門】
【方丈】
【淵黙庭(えんもくてい)】
【方丈庭園から書院庭園へ】
【書院】
【八ッ橋】
【書院】
【澄心庭(ちょうしんてい)】
【沢飛石】
【自然石による蹲居(つくばい)】
【庫裡】
京都市左京区にあるお寺です。
山号は瑞龍山
宗旨宗派は臨済宗南禅寺派
寺格は南禅寺塔頭
ご本尊は釈迦如来
です。
天授庵は南禅寺三門のすぐ南側にあります。
南禅寺第15世である虎関師錬が 南禅寺開山の無関普門(大明国師)を奉祀するための塔所として開いたそうです。
確かに開山の師が祀られていないのはよろしくないですよね。
2度の南禅寺大火で焼失し 応仁の乱でも焼失したそうですが 江戸時代に歌人としても知られる細川幽斎により再興されたそうです。
建物の中は通常非公開だそうですが お庭は拝見できます。
方丈前庭(東庭)「淵黙庭」 は 白砂の庭を苔に縁取られた菱形の畳石が横切る枯山水庭園で 切石を組み合わせた直線的な構成は小堀遠州の発案だそうです。
同様の庭は 大徳寺の塔頭でも見られました。
どこだったっけなぁ。
東庭
東庭
東庭
南庭の入り口
南庭
南庭
南庭から方丈を眺める
方丈 あがれません
これ 火消しのポンプですよね
名称 | 天授庵 |
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読み方 | てんじゅあん |
参拝時間 | 9:00~16:45 |
参拝料 | 500円 |
電話番号 | 075-771-0744 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
宗旨・宗派 | 臨済宗南禅寺派大本山南禅寺塔頭 |
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創建時代 | 1339年(暦応2年) |
開山・開基 | 虎関師錬禅師 |
概要 | 天授庵(てんじゅあん)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の寺院。大本山南禅寺の塔頭。山号は瑞龍山。本尊は釈迦如来。南禅寺第15世である虎関師錬が南禅寺開山の無関普門(大明国師)を奉祀するための塔所として開いた。 |
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歴史 | 歴史[編集] 南禅寺開山の無関普門(大明国師)は正応4年12月12日(1292年1月3日)に東福寺龍吟庵で示寂した。しかし、南禅寺山内に開山の塔所がないことを遺憾に思った虎関師錬は、暦応2年(1339年) に光厳上皇から無関普門の塔所建立の勅許を得ると、翌暦応3年(1340年)に塔所として天授庵を建立した。 明徳4年(1393年)と文安4年(1447年)の南禅寺大火で焼失し、応仁の乱でも焼失した。戦国時代には衰退していたが、慶長7年(1602年)に歌人としても知られる細川幽斎により再興された[1]。 ^ 『京都の禅寺散歩』、p.82; 『京の茶室 東山編』、pp.36 - 37 |
アクセス | アクセス[編集] 京都市営地下鉄東西線蹴上駅下車 徒歩 |
引用元情報 | 「天授庵」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A9%E6%8E%88%E5%BA%B5&oldid=96675443 |
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