じょうとくじ|浄土宗|塩竈山(えんそうざん)
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京洛五條 世継地蔵 塩竈山 上徳寺さんへ、、、🚶🏻
御本尊 阿弥陀如来
山号 塩竈山
院号 霊光院
宗旨・宗派 浄土宗
創建時代 1603年(慶長8年)
開山・開基 徳川家康/伝誉蘇生上人・上徳院殿(阿茶局)
沢山の地蔵様に囲まれ、包まれてる様で、お祈りもきっと届いてる気がしました☺️
御朱印(直書き)を頂きました🙏



本堂

同じく

手水舎

佛足跡

身代り地蔵

地蔵堂

はがため地蔵

水子地蔵

延命地蔵

願いの塔・大慈殿

歓喜地蔵

令和七年 御朱印(直書き)を頂きました🙏

京都市下京区にあるお寺です。
以前 特別拝観があった際にお参りさせていただきました。
近くを通ったので再訪しました。
特別拝観の日ではないので 当然ですが 本堂は拝観できませんでした。
寺号標にも書かれていますが 子授け・安産の寺として有名で 境内にある世継地蔵大菩薩で 祈願すると良い世継が授かると伝わり 子授け・安産・息災祈願の人がお参りされます。
寺務所には人がおられて 授与品も並んでいましたが そちらには参拝者はおらず 客殿の前には外国の方が座って談笑されていました。
うーん。なんだかなぁ。
外国の方からすれば 観光スポットの一つにすぎないのかなぁ。
私が外国の寺院にお参りした時には ちゃんと礼儀を守ってお参りしたのですが。。。
ネット情報です。
山号は塩竈山 宗旨は浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は慶長8年(1603年) 開山は伝誉一阿 開基は阿茶局 別称は世継地蔵です。
慶長8年(1603年)に徳川家康の側室阿茶局が 家康の娘・泰誉院とその母・上徳院の菩提を弔うために 阿茶局の叔父である伝誉一阿を開山として建立したとされる。
本尊は 家康が近江国矢橋の鞭崎八幡宮から移させたと伝えられる阿弥陀如来像で 快慶の作という。
平安時代この地には 陸奥国の塩竈の風景を模した庭園で有名な源融の邸宅・河原院があった。
江戸時代の『都名所図会』によれば 境内には「塩竈明神」があったとされるが現存しない。
天明8年(1788年)1月30日の天明の大火で全焼するが 再建されている。
次いで元治元年(1864年)7月19日の禁門の変後の大火・どんどん焼けでも全焼するが 新たな本堂として明治時代に永観堂の祖師堂を移築し 再興された。

山門は開いていました


京都市の由緒書(駒札)

子授け安産の寺

寺号標

手水舎

本堂

本堂の扁額

世継地蔵

内陣

身代り地蔵

七福神

歓喜地蔵

ねがいの塔

説明

延命地蔵

もう一つ延命地蔵

雲版

思いをこらして 雲版を3打して 一心に願い事を念じてお詣りする

お地蔵様

はがため地蔵

京都市下京区にあるお寺です。
山号は塩竈山
宗旨宗派は浄土宗
ご本尊は阿弥陀如来
です。
冬の特別拝観でお参りしました。
1603年に徳川家康の側室阿茶局が、家康の娘・泰誉院とその母・上徳院の菩提を弔うために、阿茶局の叔父である伝誉一阿を開山として建立したとされています。
ご本尊は、家康が近江国矢橋の鞭崎八幡宮から移させたと伝えられる阿弥陀如来像で、伝快慶の作と伝わります。
このご本尊が昨年重要文化財に指定されたということで、お参りした時には東京に出張中(?)でした。
身代わりで小さな仏像が置かれていました。
お寺としては申し訳ないとのことで、釈迦涅槃図と徳川ゆかりの掛け図を公開されていました。
写真撮影の許可もあり、ありがたく撮影させていただきました。






















歴史
上徳寺(じょうとくじ)・世継地蔵(よつぎじぞう)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルと言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・六条河原院(塩竃第)があった場所と言われています。上徳寺は1603年(慶長8年)江戸幕府初代将軍・徳川家康が側室・阿茶局(あちゃのつぼね・雲光院(うんこういん))と側室・お仙の方(泰栄院・たいえいいん)の菩提を弔う為、阿茶局の叔父・伝誉一阿を開山として創建しました。家康は快慶作とも言われる本尊・阿弥陀如来像を滋賀矢橋の鞭碕神社(むちさきじんじゃ)から移したと言われています。ちなみに上徳寺の名称は阿茶局の法名・上徳院殿に由来しています。その後1788年(天明8年)の天明の大火や1864年(元治元年)の元治の大火で焼失し、明治時代に永観堂(えいかんどう・禅林寺(ぜんりんじ))の祖師堂を移して現在の本堂にしました。なお世継地蔵は1656年(明暦3年)と享保年間(1716年~1736年)の1720年頃に祥瑞があったとされ、安産・子授けで信仰されるようになりました。
上徳寺は浄土宗の寺院です。
| 名称 | 上徳寺 |
|---|---|
| 読み方 | じょうとくじ |
| 通称 | 世継地蔵(京のよつぎさん) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 075-351-4360 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 塩竈山(えんそうざん) |
| 院号 | 霊光院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 1603年(慶長8年) |
| 開山・開基 | 徳川家康/伝誉蘇生上人・上徳院殿(阿茶局) |
| ご由緒 | 上徳寺(じょうとくじ)・世継地蔵(よつぎじぞう)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルと言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・六条河原院(塩竃第)があった場所と言われています。上徳寺は1603年(慶長8年)江戸幕府初代将軍・徳川家康が側室・阿茶局(あちゃのつぼね・雲光院(うんこういん))と側室・お仙の方(泰栄院・たいえいいん)の菩提を弔う為、阿茶局の叔父・伝誉一阿を開山として創建しました。家康は快慶作とも言われる本尊・阿弥陀如来像を滋賀矢橋の鞭碕神社(むちさきじんじゃ)から移したと言われています。ちなみに上徳寺の名称は阿茶局の法名・上徳院殿に由来しています。その後1788年(天明8年)の天明の大火や1864年(元治元年)の元治の大火で焼失し、明治時代に永観堂(えいかんどう・禅林寺(ぜんりんじ))の祖師堂を移して現在の本堂にしました。なお世継地蔵は1656年(明暦3年)と享保年間(1716年~1736年)の1720年頃に祥瑞があったとされ、安産・子授けで信仰されるようになりました。
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| 体験 | 仏像御朱印お守り武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り |
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