きよみずでら|北法相宗|音羽山
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楽しみ方清水寺のお参りの記録一覧
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清水寺は奈良時代後期に創建された北法相宗の寺院。
山号は音羽山。
778年(宝亀9年)、霊夢を受け音羽山麓にたどり着いた延鎮(えんちん)が、そこで出会った行叡居士(ぎょうえいこじ)に授けられた霊木で千手観音像を刻み、滝の上に庵を結んだのがその始まりだという。
のちの798年(延暦17年)、延鎮に帰依したという坂上田村麻呂が自邸を仏殿として寄進し、十一面千手観音を本尊として安置した。
はじめの寺名は嵯峨天皇から賜ったという北観音寺。
その後、音羽の滝の清水が人々に知られるようになり清水寺と改められたのだという。
本尊の千手観音は、「清水型十一面千手観音」と呼ばれ、一般的なものとは姿が異なる。
秘仏で33年毎に開帳されている。
「松風や音羽の滝の清水をむすぶ心はすずしかるらん」
(西国三十三所第十六番)
清水寺は、778年に延鎮によって開かれました。平安京遷都以前からの歴史を持つ、数少ない寺のひとつでもあります。798年には、坂上田村麻呂によって伽藍の整備がなされたと伝えられています。
平安時代以降は観音霊場として栄えましたが、1063年以降は何度も火災により焼失しています。
1469年の応仁の乱でも大きなダメージを受けてしまいますが、願阿弥(がんあみ)の尽力により再建されました。
現在の本堂は、1633年に徳川家光の寄進によって再建されたものです。
清水寺は婚前旅行で妻と訪れたことがあり、生まれつき心臓の弱く歩くのが苦手な妻の手を引き休みながら参道を上りきったこと思い出しながら、散策してきました。緊急事態宣言下で残念ながら思い出のお店は開いてませんでしたが一枚一枚妻と撮った場所を妻を感じながら撮影してきたので写真が多くなってしまいました、いつもは写真選んで投稿してますが今回は選ぶことできなかったので写真多めですm(__)m
あとどのくらい妻のことを覚えていられるか分かりませんがまだ自分の中で妻は生きていました😊
一周忌の後、訪れた時は涙を堪えるのが精一杯で清水寺を楽しむことできませんでしたが、本堂の修復工事も終わっていて、今回は金閣寺も清水寺も参拝客が少なく妻との思い出に浸りながら貸切に近い状態でのんびり散策することができました。妻が一緒に散策する為に人よけしてくれたんだと思うことにします🤗
少しずつ妻のことを思い出す時間が減っていき時間とは残酷なものだとも少し感じてしまいましたが😅しかし確実にどん底から抜け出したことも実感でる散策となりました。数年後また訪れてみたいと思います、その時は今より前を向いていられるよう頑張らないとと思います

京都国立博物館で行われている「鑑真和上の戒律のあゆみ」特別展に行くからと(いつもの助平根性で)京都市内の寺院巡りをしました。
GW中はコロナ禍で京都国立博物館が閉館しており、特別展が5/16迄のため必然的に本日行く事となりました。国宝・鑑真和上像が間近でゆっくり観れたのは本当に良かった。唐招提寺では年に1回、3日間しか公開されないですから。
さて、1寺目は誰もが知っている京都市東山区に在る音羽山 清水寺です。北法相宗の大本山で、本尊は十一面千手観音。
「清水の舞台」の修繕工事も終わり、綺麗になりました。
今回は廻る寺院が多いため早目に到着したのは良かったのですが、納経所が8時からだったため待つ事に。入門は6時から、納経所は8時からですので御朱印が必要な方はご注意を。
尚、駐車場はありませんので、最寄りのコインパーキング等に停める必要があります。



京都府京都市東山区にある北法相宗の大本山の寺院。山号は音羽山。本尊は十一面千手観音菩薩。西国三十三所16番札所。1965年にそれまで属した奈良・興福寺(法相宗)から独立、北法相宗を名乗る。
京都でも平安京遷都以前からの歴史を持つ数少ない寺院の一つ。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び日本有数の観音霊場。鹿苑寺(金閣寺)や嵐山と並び、京都でも有数の観光地。ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。
寺伝によると、創建は奈良時代の778年で、大和国・興福寺の僧・賢心(のち延鎮と改名)が夢のお告げで当地を訪れ、200歳の老僧・行叡居士(ぎょうえいこじ)に庵を託され、千手観音を刻んで安置したのが始まり。2年後の780年に坂上田村麻呂が延鎮に説かれ観音に帰依し、自邸を本堂として寄進、東国蝦夷平定後、本堂を大きく改築し、観音の脇侍として毘沙門天と地蔵菩薩を祀ったとされる。この縁起より、清水寺は行叡を元祖、延鎮を開山、坂上田村麻呂を本願としている。
平安期、805年に坂上田村麻呂が太政官符により寺地を賜り、810年嵯峨天皇の勅許を得て後任寺院となり「北観音寺」の寺号を受けた。この時期、文学作品にもたびたび現れ、『枕草子』や『源氏物語』、『今昔物語集』にも記載がある。
江戸期に至るまで、1165年の延暦寺の僧兵乱入や1469年の応仁の乱の兵火などによりたびたび焼失と再建を繰り返すが、江戸期に入り幕府から寺領を受け、1629年の火災の後、徳川家光により多くの伽藍が再建されている。
明治期に神仏分離令により、境内の地主神社が分離独立。1914年に興福寺住職・法相宗管長の大西良慶が清水寺貫主に就任、1965年に法相宗から独立し北法相宗を開宗した。
当寺は、JR京都駅からバスで東北東へ3km、五条坂バス停または清水道バス停から東へ1kmほどの音羽山の中腹にある。多くの伽藍がコンパクトに並び、本堂や奥之院の見晴し台からは京都市街地や山々が眺望できるなど、観光地としてのキラー要素が満載。何度行っても意外と飽きない。
参拝時は週末の午前中早めの時間、天気予報は大雨だったため参拝者は非常に少なかったが、実際の天気は小雨でじきに上がったため、桜満開の境内の参拝を満喫することができた。

参道を登り切った時に見える景色。左は<仁王門>、右は<西門>とその後ろの<三重塔>。

上写真の撮影位置から左を向くと<馬駐(うまとどめ)>。室町後期の再建。切妻造、瓦葺。国指定の重要文化財。

まだ、明るかったので清水寺に参拝して御朱印を頂けました。
遅かったので他所は貰えずでした。
またの機会に伺ってみたいです。
清水寺の仁王門は江戸時代の再建で重要文化財です。
馬駐は昔はここで馬を止めて参拝しました。
今の駐車場みたいなものですかね。
西門は重要文化財です。
清水寺の三重塔は朱塗りの塔で鮮やかですね。
こちらも江戸時代の再建で重要文化財です。
清水寺の経蔵です。
これが清水寺の本堂いわゆる清水の舞台です。
「清水の舞台から飛び降りる」ということわざもありますね
ご本尊の千手観音を祀っています。
本堂は寄棟造りで舞台部は懸造りと言われ格子状に組まれた木材同士が支え合った建築となっています。
最近、改修が終わり囲いがない形で見られるようになりました。
清水寺の阿弥陀堂です。
こちらでも御朱印は拝受できますが閉まっていました。
音羽の滝があり清水の舞台を下から望みます。
(京都編終わり)
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修学旅行生でいっぱいになった清水坂を登り切るとこれでもかと大階段が待ち構える清水寺仁王門が見えて来ます。みんな大好き清水寺の物語が始まるわけですが、まあなんと言っても人が多いです。コロナ禍で少し減ったとはいえ、観光客が大勢います。(中心部からすぐですから私も歩いてよく行きます。夜は産寧坂人全くいないので急に世界に1人になったみたいなワクワク気分味わえるのでおすすめです。)この時は1人で行く初めての清水寺だったのでまずは「ここが清水寺かー」というなんの深みもない感情しか出て来ませんでしたが、だんだん歩いていくうちに音羽の滝を見たことがあるのを思い出して、ただいまという急な親近感を覚えました。来たことあったみたいです笑
残念ながら音羽の滝は工事中だったみたいでめちゃめちゃ人工的なネットで現実に引き戻されてしまいましたが、清水寺の舞台もだいぶ新しくてちょっとディズニーに来た時の違和感に近いものを感じてしまいました。ディスってないですよ!雰囲気に似合わず木が若いのに違和感を感じてしまったというだけです。でもこれからこの新しい清水の舞台も色んな思い出を紡いでいくのですから今は違和感があってもだんだんと馴染んでいくんだと思います。紅葉の時期に行ってみたいものです。

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