こいづかじょうぜんじ|浄土宗西山禅林寺派|恵光山
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京都市南区にあるお寺です。
とても大きなお寺というわけではないのですが 威厳のあるお寺だと直感で感じました。
いつものように京都市の由緒書があり 期待は膨らみます。
恋塚という名がついているのも気になりました。
境内に入ると 本堂の他にも地蔵堂と観音堂があり 建物はそう古くはないのですが 覗いて見た内陣の十一面観世音像は平安時代の作とされ それはそれは見事でした。
写真撮ったらだめだったかな?だとしたらすみません。
ネットでもいろいろ紹介されていました。
恋塚浄禅寺・鳥羽地蔵は1144年(天養元年)または1182年(寿永元年)真言宗の僧・文覚上人(もんがくしょうにん)が開基したと言われています。
その後1711年(正徳元年)に火災によって焼失したが 天保年間(1830年~1844年)に再建されました。
1647年(正保4年)永井日向守直清が袈裟御前を顕彰した碑を境内に建てました。
文覚上人はかつて遠藤盛遠(えんどうもりとお)という北面の武士だったが 渡辺左衛門尉源渡の妻袈裟に横恋慕し その夫 源渡を殺して袈裟御前を我ものにしようとする。
袈裟御前は一計を案じ 自ら夫の身代わりとなって遠藤盛遠に殺される。
その事実を知った遠藤盛遠は自らの罪を悔いて出家し文覚と名乗った。
それ以後文覚は全国各地を廻って荒行し のちに高雄神護寺等を再興した。
恋塚は袈裟御前の首を埋めた塚で 1647年(正保4)当時の領主 永井日向守直清が林羅山に撰させて袈裟御前の貞女を顕彰した碑が境内に建つ。
浄土宗西山禅林寺派。
「京の六地蔵めぐり」の一つ「鳥羽地蔵尊」として知られる。
六地蔵めぐりの札所は 第1番札所・大善寺(伏見六地蔵) 2番札所・浄禅寺(鳥羽地蔵) 3番札所・地蔵寺(桂地蔵) 4番札所・源光寺(常盤地蔵) 5番札所・上善寺(鞍馬口地蔵) 6番札所・徳林庵(山科地蔵)です。
こういう巡礼もあるのですね。
外観
由緒書
山門
もう一つの門
手水舎
龍でした
本堂
地蔵堂
扁額
内陣
観音堂
観世音 の扁額
内陣 十一面観世音菩薩
御本尊 本尊阿弥陀如来立像
観音堂 11面観音立像
地蔵堂 地蔵菩薩像
恋塚は袈裟御前の首を埋めた塚です。
鳥羽離宮の北面の武士、遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉源渡の妻袈裟に横恋慕し、その夫 源渡を殺して袈裟御前を我ものにしようとします。袈裟御前は一計を案じ、自ら夫の身代わりとなって遠藤盛遠に殺されます。その事実を知った遠藤盛遠は自らの罪を悔いて出家し文覚と名乗りました。それ後 文覚は全国各地を廻って荒行し、のちに高雄神護寺等を再興しました。
地蔵菩薩像は、平安時代初め、小野篁が、一度冥土へ行った際に生身の地蔵尊を拝んだことで蘇った後、一木から六体の地蔵を彫りだしたうちのひとつという伝説があります。
京の六地蔵めぐりの1つ 鳥羽地蔵尊
(毎年 8/22・23)
名称 | 恋塚浄禅寺 |
---|---|
読み方 | こいづかじょうぜんじ |
通称 | 鳥羽地蔵 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-691-3831 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来立像 |
---|---|
山号 | 恵光山 |
宗旨・宗派 | 浄土宗西山禅林寺派 |
創建時代 | 1182年(寿永元年) |
開山・開基 | 文覚上人(遠藤盛遠) |
体験 | 仏像御朱印武将・サムライ |
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