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ふしみいなりたいしゃ

伏見稲荷大社のお参りの記録一覧
京都府 稲荷駅

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惣一郎
惣一郎
2021年12月25日(土)1269投稿

伏見稲荷大社(ふしみいなり~)は、京都府京都市伏見区深草にある神社。式内社(名神大)で二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は単立神社。祭神は稲荷大神(宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の総称)。稲荷山(標高233m)を神体山とする。全国に3万社ある稲荷神社の総本社。初詣では近畿地方の寺社で最多の参拝者を集める。

社伝によると、奈良時代の711年に渡来系・秦氏族の秦伊呂巨具(はたのいろこぐ)により秦氏族の私社として創建。平安時代の796年に東寺(教王護国寺)の造営にあたり鎮守社となると真言密教と結びついてその信仰を拡大した。908年に左大臣・藤原時平が三箇社を造営。927年に編纂された『延喜式神名帳』では「山城国 紀伊郡 稲荷神社三社 並名神大 月次・新嘗」と記載され、942年に神階が正一位の極位を得た。当初農耕神として祀られたが、のちに殖産興業の性格が加わり庶民から篤い信仰を受け、『枕草子』、『蜻蛉日記』、『今昔物語集』などの古典にもたびたび登場する。1072年には後三条天皇により初となる行幸があった。

鎌倉時代以降、神仏習合が進むとともに、武家の信仰をも集め、源頼朝や足利義教により社殿の造営・修造が行われたが、1467年からの応仁の乱ですべて焼失、1499年に社僧による勧進により再建した。江戸時代においては、神宮寺の愛染寺とともに神仏習合を深め、商工業の発達に伴い主に町人、商人の人気を集め、結願の礼として赤い鳥居を奉納する習慣が広まり千本鳥居が形成されるに至った。明治時代になると、神仏分離・廃仏毀釈により大きな影響を受けたが、近代社格制度のもと官幣大社に列格し、正式名称を「稲荷神社」とした。戦後、単立神社となり「伏見稲荷大社」と改称した。

当社は、JR奈良線・稲荷駅の東側にある。東口を出ると、すぐの場所に境内入口の一番鳥居がある。一番鳥居から東方向に百数十mなだらかに登って行くと、稲荷山の麓の位置に二番鳥居、楼門、外拝殿、本殿があり、さらに本殿裏手に進むと、稲荷山中腹に千本鳥居などがある。さすが稲荷山全体を神域とするだけあって境内は広大で、稲荷山中に散在する神蹟をすべて見て廻ろうとすると1日では足りない感じ。

今回は、式内社(名神大)、二十二社(上七社)、旧官幣大社、なによりも<稲荷神社の総本社>であることから参拝することに。参拝時は週末の午後遅くで、日も暮れかかっていたが、境内はどこもかしこも観光客で溢れていた。

※到着時刻が15:30と遅かったため、境内の一部しか廻ることができず。要再参拝...涙

伏見稲荷大社の鳥居

門前町を通って境内北側から入った都合上、はじめに<二番鳥居>。

伏見稲荷大社の山門・神門

つづいて<楼門>。1589年豊臣秀吉により再建。三間一戸、入母屋造、檜皮葺。国指定の重要文化財。

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