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なぎじんじゃ・はやぶさじんじゃ

梛神社・隼神社
京都府 四条大宮駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
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パーキング
駐車場
あり

神社の駐車場はありません
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のぶさん
2024年03月26日(火)
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元祇園 梛神社
もとぎおん なぎじんじゃ
梛神社は素盞嗚尊を奉斎して、厄除の神、武勇の神として崇敬祈願する人多く、実に霊験尊きお社です。
清和天皇、貞観十一年(八六九)三月朔日、京都に疫病が流行し、その悪疫を薙払い疫を鎮めるために、牛頭天皇(御名 素盞嗚尊)を播磨国広峰より勧請して四条の坊城へ神輿を入れ奉られました。此の地に数万本の梛の木があり、源 某と言う者が此の地に居住し、神霊を朱雀大路に近い梛の林中に祭祀しました。
後に八坂の郷に御遷座のとき、当地の住人は花を飾った風流傘を立て、棒を振り、楽を奏して神輿をお送りしました。これが祇園会の起源ともいわれ、古来より祇園会に傘鉾の役人は壬生村より出る定めになっていると伝えられています。

式内 隼神社
しきない はやぶさじんじゃ
隼大神は天下安穏五穀豊穣を護らせ給うが故に、古来朝廷の御尊崇篤く、延喜式によれば、左京四条に坐す神一座隼神社と曰うとあります。京中に坐す神三座の内にて、貞観二年(八六〇)六月十五日朝廷より従五位下の神階を贈られ、七年、十年、十六年に級階を累進して従四位上に位し、天慶三年(九四〇)九月四日従三位を給わりました。延喜の制に大社に列し、四度官幣を受けた事は延喜式、三代実録、日本紀略等の正史に記載されています。
現在では、厄除の神、病気平癒の神として広く崇敬されています。

梛神社・隼神社(京都府)
梛神社・隼神社(京都府)
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歴史

【梛神社】
素戔嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉命、誉田別尊などを配祀する。
社伝によれば貞観十一年(869)教の都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を播磨国広峰(現在の兵庫県姫路市)から勧請して鎮疫祭を行った。この時その神輿を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。
後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これが後の「祇園會(祇園祭)」の起源と伝えられる。また、当社は八坂神社の古址にあたり、元祇園社と呼ばれる。
維新の頃は田んぼの中の一小祠であったが、明治七年(1874)と昭和四年(1929)の復興を経て現在に至る。
【隼神社】
武甕槌神、経津主神を祀り、「延喜式神明帳」にも載る大社であり、大正七年(1918)蛸薬師坊城からこの地に移された。梛神社とともに厄除け、疾病払いの神である。
例祭は梛神社が五月の第三日曜日、隼神社が十一月十七日である。

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梛神社・隼神社の基本情報

住所京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2
行き方

阪急電車 大宮駅から徒歩約7分
市バス 壬生寺道下車すぐ

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名称梛神社・隼神社
読み方なぎじんじゃ・はやぶさじんじゃ
通称元祇園梛神社
参拝時間

授与所:9:00~17:00

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号075-841-4069
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://motogion-nagijinja.or.jp/
お守りあり
SNS

詳細情報

ご祭神〈梛神社〉素盞嗚尊
〈隼神社〉隼大神(武甕槌神〉
創建時代貞観十一年(869年)
本殿一間社流造
ご由緒

【梛神社】
素戔嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉命、誉田別尊などを配祀する。
社伝によれば貞観十一年(869)教の都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を播磨国広峰(現在の兵庫県姫路市)から勧請して鎮疫祭を行った。この時その神輿を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。
後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これが後の「祇園會(祇園祭)」の起源と伝えられる。また、当社は八坂神社の古址にあたり、元祇園社と呼ばれる。
維新の頃は田んぼの中の一小祠であったが、明治七年(1874)と昭和四年(1929)の復興を経て現在に至る。
【隼神社】
武甕槌神、経津主神を祀り、「延喜式神明帳」にも載る大社であり、大正七年(1918)蛸薬師坊城からこの地に移された。梛神社とともに厄除け、疾病払いの神である。
例祭は梛神社が五月の第三日曜日、隼神社が十一月十七日である。

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Wikipediaからの引用

概要
梛神社(なぎじんじゃ)は、京都府京都市中京区壬生にある神社。通称は「元祇園社」。 境内には大正期に遷座した式内大社の隼神社(はやぶさじんじゃ)が鎮座する。 境内北側に御供石があり、祇園祭の山鉾巡行の際にこの石の上に神饌を置いて神に供える習わしになっている。もとは下京区万寿寺通烏丸西入ル、御供石町にあったが、1932年にこちらに移された。
歴史
歴史[編集] 社伝では、貞観11年(869年)3月朔日に京での疫病流行により播磨国広峰(広峰神社)から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのが創祀という[1][2]。 その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会傘鉾の起源であるとしている[1]。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという[1]。 明治までは小祠であったが、明治7年(1874年)と昭和4年(1929年)の復興により現在の形が整えられた...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 年間祭事は次の通り[1]。1979年発行の『京都事典』には「祭りは5月17日に行われる」と書かれているが[2]、現在の説明板(2018年9月確認)に書かれている5月17日に最も近い祭事は、5月第3日曜日の「氏神祭」である[1]。 月次祭 (毎月1日・15日・17日) 歳旦祭 (1月1日) 元始祭 (1月3日) 節分祭 (2月2日・3日) 祈年祭 (2月17日) 氏神祭 (5月第3日曜) 夏越祓、茅の輪くぐり (6月30日) 隼神社例祭、火焚祭 (11月第3日曜) 新嘗祭、勤労感謝祭 (11月23日) 大祓式 (12月31日) ^ a b 引用エラー: 無効な ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報梛神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A2%9B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89950213

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