しゅうおんあんいっきゅうじ|臨済宗大徳寺派
酬恩庵一休寺京都府 京田辺駅
9:00~17:00
禅宗臨済宗大徳寺派の寺。一休禅師が中興の祖。江戸時代に寄進をされた現在重要文化財である方丈は三方枯山水庭園に囲まれる。名勝に指定をされているこの庭園は石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六昌俊によるもの。また寺には一休禅師が伝えたとされる一休寺納豆が今現在も禅師の頃のままの作り方で製法が伝えられている。
京都府京田辺市にあるお寺です。
山号は霊瑞山
宗旨宗派は臨済宗大徳寺派
ご本尊は釈迦如来坐像
です。
一休さんと縁のあるお寺だと聞いてお参りしました。
元の名は妙勝寺と言い、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師が中国で禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めだそうです。
元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名したそうです。
禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたそうです。
禅師の遺骨は当所に葬られています。
禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称で呼ばれるようになったそうです。
禅寺ということもあり、境内はとてもきれいに掃き清められていました。
新緑がとても美しく、GWということもあり、参拝者は多かったです。
方丈には、禅師が大徳寺に通われる際に用いられた輿が飾られていました。
京田辺から京都市内までこの輿で?道だって整備されていたかどうか分からないのに。何日かかって?と思うほど距離がありますよね。
昔の人はすごいとしか言いようがありません。
方丈庭園は名勝に指定されており、庭木と苔と砂利が美しい紋様を映し出しています。
また、狩野派の襖絵も見事でした。
庫裏には、虎の屏風があり、「将軍様 虎を追い出してください」の有名な一説を思い出させてくれます。
また、禅師が食したとされる納豆(とても塩辛い)の試食ができました。
二十世紀の森と書かれた庭には、信徒(?)による地蔵が並んでいて、ユニークなお顔には笑ってしまいました。
小さな橋があり、「このはしわたるべからず」の看板が。
やってくれますね。
青紅葉が美しいということは、秋の紅葉も素晴らしいと想像できます。
また訪れたいお寺です。
一休禅師の墓所
一休禅師の輿
狩野派の襖絵
さあ将軍様 虎を追い出してください!
このはしわたるべからず
京都府京田辺市にあります、
酬恩庵一休寺に参拝しました。
臨済宗大徳寺派の寺院で御本尊は【阿弥陀如来】
一休宗純の埋葬地であり、枯山水の石庭や一休宗純の木像や納豆の一種である【一休寺納豆】が有名。
新年あけましておめでとうございます。
今年最初の投稿、酬恩庵一休寺さんに初詣に訪れ参拝しました。
今年の初詣最初は何処に行くのか、全く予定を決めておらず、とりあえず京都方面の電車に乗り何処行くか考えていたら、ふと子供の頃見ていた一休さん
を思い出し😅呼ばれた様な気がして急遽訪れる事に
しました。🤣🤣
他の初詣参拝地より人が少なかったので、
ゆっくりと参拝できました。
子供の頃の記憶が思い出し、一休さんの
テーマソングが頭の中でエンドレスに流れだす🤣
一休宗純が眠る墓所
三本杉(二代目)
かの有名な虎の屏風🐯
本殿
宝物殿
ここは、どうするのか?🤣🤣わかるよね?🤣
六地蔵
ちえまもり
中央の押印を間違えて二重押されましたが
「気にしない〜気にしない〜気にしない〜」
by一休さん🤣
正月限定御朱印
鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのである。
住所 | 京都府京田辺市薪里ノ内102 |
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行き方 | 東海道新幹線「京都」駅出て近鉄線に乗り換え、近鉄「京都」駅から近鉄「新田辺」駅まで急行で20分。
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名称 | 酬恩庵一休寺 |
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読み方 | しゅうおんあんいっきゅうじ |
通称 | 一休寺 |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0774-62-0193 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.ikkyuji.org/ |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご本尊 | 釈迦如来坐像 |
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宗旨・宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
ご由緒 | 鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのである。 |
体験 | 坐禅(座禅)おみくじ絵馬結婚式食事・カフェ御朱印お守り重要文化財アニメなどサブカル |
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