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浄安寺ではいただけません
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じょうあんじ|浄土宗国穏山

浄安寺
京都府 大久保駅

パーキング
駐車場
あり

13台

御朱印について
御朱印
なし
ありません

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なむなむ
2022年09月15日(木)
147投稿

浄安寺さまに参拝致しました。

残暑厳しい暑さの中参拝。ご住職さまにご本尊さまにお参りは出来ますでしょうか?とお尋ねをしますと、今開けますからどうぞ、とのお返事。
施錠されておられた本堂の鍵を開けて、本堂内に上げてくださいました。
お寺の御由緒を、ご住職さま自ら丁寧に丁寧にお話下さり、それはそれは有難い、貴重な時間を頂きました。🙇🏻‍♀️🙏🏻
頭の悪い私は覚えきれなくて、大変勿体ないことですが、中でも印象に残っているお話は、
御本尊さまの阿弥陀如来さまは坐像ではなく立像で、右と左の足のどちらか(どっちか忘れてしまいました😓)が、半歩程前に出ておられるのだそうです。しかも、蓮華の台座は一つだけでなく、それぞれの脚に一つずつあるそうです。
病に苦しんだり、悩んだり、哀しみに暮れていたり、救いを求めている私達衆生の元へ、いち早く駆けつけ救わんが為に、坐像であれば立ち上がる所作、手間がかかるので、いつも、いつでも馳せ参じることができるよう、立ち姿で、尚且つ、半歩脚を前に出して、ご準備くださっているというお話でした。
有難いことですね。
美しい阿弥陀如来さまでございました。😊🙏🏻

浄安寺の沿革
 浄安寺は、後冷泉天皇の天喜元年(一〇五三)に浄福寺と称して建立され、仁海僧正に御詔と寺領一千坪を賜った。
 天正元年(一五七三)に、玄誉徹公上人が、宇治の平等院よりこの神宮司寺浄福寺に転住して、堂宇を再建し、浄土宗・国穏山快楽院・浄安寺と改称した。

写真コメント以外の説明は、浄安寺さまより頂いた資料より抜粋させて頂きました。
随時更新します。

浄安寺(京都府)

本堂内 寺号 浄安寺
鳥文字、と仰ったと思います。
文字が鳥の形を表している、とのこと。

浄安寺の仏像

阿弥陀如来立像 伝安阿弥(快慶)作
いつでも駆けつけて、私達を救おうという体勢で居てくださっています。🙏🏻
脇侍は観音、勢至二菩薩(作者不詳)
脇侍の仏さまも、阿弥陀如来さま同様に、少し腰を前屈みにして、駆けつける体勢でいらしてくださっています。
感謝😊🙏🏻

浄安寺(京都府)
浄安寺の建物その他

山号 国穏山

浄安寺(京都府)
浄安寺の歴史

 久御山町指定文化財
木造聖観音菩薩立像
               浄安寺蔵
一木造 彫眼 漆箔
像高 一四二・〇センチメートル
平安時代後期
平成九年三月十八日指定
木造聖観音菩薩立像は、頭部の小さいプロポーションや、柔らかい丸味のある少年のような顔つき、また体は固太りで腰を左方にひき、右膝をゆるめて立つなどの特色を示す。作風から見て、平安時代後期に遡る古作であり、秀麗な美作として貴重なものである。また、下框天板の裏面に、寛文十三年(1673)二月十八日付けの再興の墨書銘がある。
平成九年三月
          久御山町教育委員会

浄安寺(京都府)

観音堂
天治年間(1124〜1126)の創建。堂内の聖観音菩薩(寺伝によると如意輪観音とも伝えられた)は伝安阿弥作(平安後期康尚の作風)。一説には楠木正成の寄進とある(まだ南朝方として出陣する際、この観音像に武運を祈ったと伝えられる)。

浄安寺(京都府)

観音堂内
聖観世音菩薩は秘仏。
堂内の地蔵菩薩は作者は不詳であるが鎌倉時代の作である。

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歴史

椿寺として知られる浄安寺は、平安時代の天喜元年(1053)に、仁海(にんがい)僧正によって創建された浄福寺が前身です。浄福寺は天治元年(1124)に椏本八幡宮(あてもとはちまんぐう、雙栗〈さぐり〉神社の別名)の神宮寺となり、元弘元年(1331)には勅願寺になったそう。天正元年(1573)に、平等院の玄誉上人が中興。正親親王により、浄安寺の寺号と勅額を賜ったと伝わっています。

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浄安寺の基本情報

住所京都府久世郡久御山町字佐山双置80
行き方

近鉄京都線「大久保」駅から京都京阪バスで「佐山」下車、徒歩2分
京阪本線「淀」駅から京都京阪バスで「佐山」下車、徒歩2分

アクセスを詳しく見る
名称浄安寺
読み方じょうあんじ
通称椿寺
参拝時間

9時~17時

参拝料

なし

御朱印なし
電話番号0774-41-6036
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来立像
山号国穏山
院号快楽院
宗旨・宗派浄土宗
創建時代天喜元(1053)年に浄福寺と称して建立
開山・開基仁海
ご由緒

椿寺として知られる浄安寺は、平安時代の天喜元年(1053)に、仁海(にんがい)僧正によって創建された浄福寺が前身です。浄福寺は天治元年(1124)に椏本八幡宮(あてもとはちまんぐう、雙栗〈さぐり〉神社の別名)の神宮寺となり、元弘元年(1331)には勅願寺になったそう。天正元年(1573)に、平等院の玄誉上人が中興。正親親王により、浄安寺の寺号と勅額を賜ったと伝わっています。

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