またふりじんじゃ
末多武利神社京都府 宇治(京阪)駅
24時間
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宇治上神社から戻る途中に末多武利神社へ。平将門の乱の折、征東大将軍となり平定に向かったがすでに乱は平定されており、恩賞の対象から外された藤原忠文が時の大納言・藤原実頼を恨み、祟ったと言われており、その鎮魂のために建立された小祠なのだが・・・😥忠文の死後、実頼の娘・述子(村上天皇の女御)、実頼の長男・敦敏が相次いで死去したため怨霊説が流布されたらしい。将門の乱のとき、忠文は既に68歳の高齢であり、さらにその後の藤原純友の乱にも征西大将軍に任ぜられている。まあこちらも戦功の機会はなかったらしいのだが・・・😅乱後に民部卿も兼ねるなどさして不満らしい行動をとっていたわけではなさそうなのだが・・・。
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941年、参議・藤原忠文は、征夷大将軍として東国の平将門の乱平定に向かう。だが、その到着前に将門はすでに討たれていたという。そのため、大納言・藤原実頼(900-970)により恩賞の対象から外された。忠文は実頼を恨み、死後も一族の子女に憑りついて祟ったという。その怨霊を鎮魂するために祠に祀られたという。
| 住所 | 京都府宇治市宇治又振 |
|---|---|
| 行き方 | 京阪宇治線宇治駅徒歩5分
|
| 名称 | 末多武利神社 |
|---|---|
| 読み方 | またふりじんじゃ |
| 参拝時間 | 24時間 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| ご祭神 | 藤原忠文 |
|---|---|
| ご由緒 | 941年、参議・藤原忠文は、征夷大将軍として東国の平将門の乱平定に向かう。だが、その到着前に将門はすでに討たれていたという。そのため、大納言・藤原実頼(900-970)により恩賞の対象から外された。忠文は実頼を恨み、死後も一族の子女に憑りついて祟ったという。その怨霊を鎮魂するために祠に祀られたという。 |
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