かわちあそじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
最新のお知らせ
大祓について
2021年06月30日(水) 14時00分〜
6月30日 14時から大祓神事を執り行います。
新型コロナウイルス感染症まん延防止の観点から
昇殿での参列は氏子総代の方々に限らせて頂きます。
一般の方は拝殿の外で参列となりますが、例年通り
茅の輪くぐり神事の際は、神職・総代・一般参列の方で
列を作り、ご一緒にお進み頂けます。
当日はマスクの着用をお願いします。
また雨が予想されますので雨具等ご用意の上お越しください☺️
茅の輪
茅の輪くぐり神事
茅の輪くぐり神事②
茅の輪くぐり神事③
昨年の一般参列の様子
雲仙普賢岳噴火から30年
雲仙普賢岳の大火砕流から明日の2021年6月3日で30年が経ちます。
彼の山は当社からもハッキリと見え、とても美しく壮大です。
しかし、度々噴火を起こし周辺地域に甚大な被害をもたらしている山でもあります。
島原大変肥後迷惑という言葉があるように眉山の山体崩壊により津波が発生し
対岸の熊本県に押し寄せ多くの人命と住居、財産を奪いました。
河内町には当時の教訓を後世に伝える為に石碑が遺されています。
「事あらん時は慾をはなれ萬の物を顧ずただ老多るをたすけ幼をたつさえて速にさけのくべし」
「かねて其道をもあたため置て急難にのそみてまようことなかれ」
「これらの事をも よくかんがへてめんめん覚悟して子孫をもさとしいましむへし」
現代の言葉に直すと
「後の世に同じような津波が襲ったときは、すべてのことに優先して、
ただお年寄りを助け、幼い子どもを連れて直ちに避難しなければならない。
かねてより逃げ道を確かめておき、いざという時になって、
迷うようなことがあってはならない」
というような内容です。当時、家から荷物を持ちだそうとした住民の多くが
そのまま波に飲まれて亡くなり遺された家族は老人、子どもで
相当な苦労をしたと河内町町史で伝えられています。
災害の多い日本で生活していく中で突然の災害に被災してしまうかもしれません
先人達が遺した歴史を忘れず、その想いを継承することで被災した際の心構えも出来ると思います。
因みに石碑は船津厳島神社の側に建立しております。
長文になりましたが、当時の想いを感じていただければ幸いです。
氏子以外の参拝 | 歓迎 | ||
---|---|---|---|
御朱印 | 初穂料500円。
| ||
限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | - | 書き置きのみ | |
郵送対応 | - | ありません | |
御朱印帳 | |||
駐車場 | たこやき大阪さんの横から大鳥居を通って坂の中程、左側に駐車出来る場所が有ります。 |
おすすめの投稿
本殿横の🌸が気になって参拝しました。
駐車場からも🌸が満開となっているのが見えました😊
月替りの素敵な御朱印、ありがとうございました。
桜と龍の素敵な御朱印
拝殿と桜
参道脇のシバザクラ
河内阿蘇神社へ月参りしました。
寒波の影響で小雪のチラつく中のお参りでした。
月替りの素敵な御朱印にも、うさぎと共に雪の結晶が描かれています。
切り絵の御朱印はありませんでしたが、来月の拝受を楽しみにしてます。
寒くないぞ!
凛々しい狛犬さま
風に向かって凛々しい狛犬さま
河内町のみかんはおいしいです。
歴史
元明天皇の御代 肥筑両国の国司であった道君首名(みちのきみのおびとな)は飽田・宇土・玉名の三郡の海岸を巡見し飽田群河内に異人の三官という海から来た者が一団を率い拠点を構え徘徊していると知る。
元正天皇の御代 霊亀元年(715年)道君首名の命を受け藤原泰忠が三官討伐に向かい河内の海岸に清浄な地を選び阿蘇大神を勧請し榊を以て健磐龍大神・栂を以て比咩明神・柚を以て速瓶玉神を神籬とし斎祭り敵国降伏・天下泰平・国家安泰を三柱の神に祈願し見事異人三官を討伐した。
藤原泰忠は社名を若宮大明神とし十二月初卯の日を祭日と定め以後は藤原泰忠の次男、藤原経房が祭を掌り代々その子孫が神職を勤めている。
異人三官討伐から時を経て応永四年九州兵乱の際、飽田群活亀之庄河内浦一円の領主牛島美作橘公基は戦に発つ前に此度の戦で勝利を得させ給えば社を再興し我が家在らん限り毎年十二月初卯の日に奉斎せんと祈願を籠め出陣し神慮叶い勝利を得凱旋し応永二十年九月に社を造営し二度の勝ち戦を導いた鎮西守護勝軍大明神と崇め海辺山の総廟とし以降は山の上三苗字の祈願所として天下泰平・国家安穏・御武運長久・五穀豊穣の御利益が在るとして崇敬を集めた。
名称 | 河内阿蘇神社 |
---|---|
読み方 | かわちあそじんじゃ |
通称 | 鎮西守護勝軍大神 |
参拝時間 | 終日可能 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 初穂料500円。
|
限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 096-276-0213 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://kawachi-asojinja.localinfo.jp/ |
詳細情報
ご祭神 | 《主》健磐龍命,《配》比咩明神,速甕玉神,阿蘇十二神 |
---|---|
ご神体 | 12体の神像 |
創建時代 | 715年 |
ご由緒 | 元明天皇の御代 肥筑両国の国司であった道君首名(みちのきみのおびとな)は飽田・宇土・玉名の三郡の海岸を巡見し飽田群河内に異人の三官という海から来た者が一団を率い拠点を構え徘徊していると知る。 元正天皇の御代 霊亀元年(715年)道君首名の命を受け藤原泰忠が三官討伐に向かい河内の海岸に清浄な地を選び阿蘇大神を勧請し榊を以て健磐龍大神・栂を以て比咩明神・柚を以て速瓶玉神を神籬とし斎祭り敵国降伏・天下泰平・国家安泰を三柱の神に祈願し見事異人三官を討伐した。 藤原泰忠は社名を若宮大明神とし十二月初卯の日を祭日と定め以後は藤原泰忠の次男、藤原経房が祭を掌り代々その子孫が神職を勤めている。 異人三官討伐から時を経て応永四年九州兵乱の際、飽田群活亀之庄河内浦一円の領主牛島美作橘公基は戦に発つ前に此度の戦で勝利を得させ給えば社を再興し我が家在らん限り毎年十二月初卯の日に奉斎せんと祈願を籠め出陣し神慮叶い勝利を得凱旋し応永二十年九月に社を造営し二度の勝ち戦を導いた鎮西守護勝軍大明神と崇め海辺山の総廟とし以降は山の上三苗字の祈願所として天下泰平・国家安穏・御武運長久・五穀豊穣の御利益が在るとして崇敬を集めた。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り花手水 |
河内阿蘇神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
11
0