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こくぶんじ|真言宗智山派摩尼山(まにざん)

國分寺
高知県 土佐長岡駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

仁王門左側 普通45台・大型5台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第29番

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to_sun
2023年05月14日(日)
189投稿

【摩尼山(まにざん)宝蔵院(ほうぞういん)国分寺(こくぶんじ)】
本尊:千手観世音菩薩
宗派:真言宗智山派
開基:行基菩薩
 他の国分寺と同じく、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅命により741(天正13)年頃に建立、行基菩薩が千手観世音菩薩を彫って本尊とした。その後、815(弘仁6)年に弘法大師が訪れた際、大師はここで「星供(ほしく)の秘宝」を修めたとされる。鎌倉時代から戦国時代にかけ幾度もの戦禍や災害を受けて荒廃したが室町末期に長宗我部氏の庇護を承け復興している。
 国分寺には国の重要文化財も多数あり、1922(大正11)には境内全域が国の史跡に指定されている。

國分寺(高知県)

【29_T.Hamada's view】
 本堂(右)と大師堂(左)

國分寺(高知県)

【29_土佐の苔寺】
 杉苔の美しい庭園が残る。1558(永禄元)年に再建された本堂の外観は、柿葺(こけらぶ)き・寄棟造りで天平様式を伝える。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

國分寺(高知県)

【29_本堂】
 長宗我部国親(くにちか)・元親(もとちか)親子により創建時の金堂跡に再建。

國分寺の建物その他

【29_大師堂】
 1634(寛永11)年、土佐藩10代藩主 山内豊策(とよかず)公により再建。

國分寺(高知県)

【29_仁王門】

國分寺(高知県)

【29_仁王阿形像】

國分寺(高知県)

【29_仁王吽形像】

國分寺(高知県)

【29_龍の手水舎】

國分寺(高知県)

【29_酒断地蔵尊】
 お酒をやめたい人が願いをかける。

國分寺(高知県)

【29_本堂への路】
 山門(仁王門)をくぐると杉並が続く。

國分寺(高知県)

【29_光明殿への路】
 杉苔が美しい庭園は「土佐の苔寺」ともいわれる。

國分寺の御朱印
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歴史

土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国衙は、国分寺から北東1㎞ほどの近くで「国分寺共々土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・経済・文化の中心地であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。
本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部国親元親親子が、永禄元年に再建。外観は柿葺き、寄棟造りで天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られる。現在国の重要文化財に指定されている。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で建立され、現在の仁王門は昭和の初めに再建され、二層造りである。1250年余の面影を残す境内地は、全域が国の史跡に指定され、杉苔が美しい庭園で「土佐の苔寺」ともいわれる。

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國分寺の基本情報

住所高知県南国市国分546
行き方

南国市コミュニティバス「国分寺通」下車 (0.5km)
28【大日寺】より
(自家用車)約20分 約12km
(徒歩)約20時間 約9km
30【国分寺】より
(自家用車)約30分 約11km
(徒歩)約1時間40分 約7km

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名称國分寺
読み方こくぶんじ
通称土佐国分寺
参拝時間

7:00~17:00

トイレ駐車場にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号088-862-0055
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスwebmaster@tosakokubunji.org
ホームページhttp://www.tosakokubunji.org/

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊千手観世音菩薩
山号摩尼山(まにざん)
院号宝蔵院(ほうぞういん)
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代天平13年(741)
開山・開基行基菩薩
文化財

金堂(本堂)、木造薬師如来立像、木造薬師如来立像、梵鐘(重要文化財)
土佐国分寺跡(史跡)
本堂の厨子・須弥壇、絹本著色両界曼陀羅(高知県指定保護有形文化財)
板絵両界光明真言曼荼羅 2枚、海獣葡萄鏡・常滑焼甕 2個(南国市指定有形文化財)

ご由緒

土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国衙は、国分寺から北東1㎞ほどの近くで「国分寺共々土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・経済・文化の中心地であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。
本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部国親元親親子が、永禄元年に再建。外観は柿葺き、寄棟造りで天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られる。現在国の重要文化財に指定されている。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で建立され、現在の仁王門は昭和の初めに再建され、二層造りである。1250年余の面影を残す境内地は、全域が国の史跡に指定され、杉苔が美しい庭園で「土佐の苔寺」ともいわれる。

体験御朱印重要文化財札所・七福神巡り除夜の鐘

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