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せっけいじ|臨済宗妙心寺派高福山(こうふくざん)

雪蹊寺
高知県 桟橋通五丁目駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内前 普通10台、マイクロ5台、大型3台駐車可(6:00~18:00・志納金「隣接の奉神社の土地」)

巡礼

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)
四国八十八箇所第33番

ご利益

雪蹊寺について

長宗我部家の菩提寺


土佐領主長宗我部元親公が、月峰和尚を開山として招き再建。後を継いだ盛親が菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改めた。境内に元親の長男で戸次川の戦いで討死した長宗我部信親の墓所がある。

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to_sun
2023年05月16日(火)
156投稿

【高福山(こうふくざん)高福院(こうふくいん)雪蹊寺(せっけいじ)】
 本尊:薬師如来
宗派:臨済宗妙心寺派
開基:弘法大師
 雪蹊寺は、弘法大師(774-835)が815(弘仁6)年に開いたとされ当時は「高福寺」という名だった。その後、鎌倉時代の仏師・運慶・湛慶親子が本尊の薬師如来などを制作した由縁で「慶運寺」と改名しているがのちに廃寺となる。戦国時代、土佐領主・長宗我部元親(もとちか)公は、一時廃寺になっていた慶運寺を再興するため、臨済宗の月峰(げっぽう)和尚を住職として招き、長宗我部家の菩提寺とした。(このとき宗派が真言宗から臨済宗になった。臨済宗の札所は四国霊場で11番 藤井寺と33番 雪蹊寺の2ヶ寺だけ)長宗我部元親の死後、四男の盛親(もりちか)が元親の戒名「雪蹊恕三大禅定門(せつけいにょさんたいぜんしょうもん)」にちなんで寺の名を現在の「雪蹊寺」に改めている。

雪蹊寺(高知県)

【33_T.Hamada's view】
 境内の入口

雪蹊寺(高知県)

【33_「運慶」「湛慶」親子の作品】
 鎌倉時代を代表する仏師「運慶」「湛慶」親子が多くの仏像を制作した。運慶作の「薬師如来像」や湛慶作の「毘沙門天像」などは国の重要文化財。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

雪蹊寺(高知県)

【33_本堂】

雪蹊寺の建物その他

【33_大師堂】

雪蹊寺(高知県)

【33_龍の手水舎】
 手水場は腰掛があり、お遍路同士の交流場となっている。

雪蹊寺の御朱印
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歴史

土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。
1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。
2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、弟子の道運、海覚作の12神将共に16体、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。
3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天質和尚が朱子学南学派の祖として活躍し、谷時中野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。 雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。

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雪蹊寺の基本情報

住所高知県高知市長浜857-3
行き方

とさでん交通 長浜行き・桂浜行き「長浜」下車 (0.3km)
32【禅師峰寺】より
(自家用車)約30分 約11km
(徒歩)約2時間30分 約7.5km
34【種間寺】より
(自家用車)約20分 約8km
(徒歩)約1時間50分 約6.5km

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名称雪蹊寺
読み方せっけいじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ観音堂の左側
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号088-837-2233
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号高福山(こうふくざん)
院号幸福院(こうふくいん)
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派
創建時代弘仁六年(815)
開山・開基弘法大師
札所など

四国八十八箇所第33番

文化財

木造薬師如来および両脇侍像 3躯、木造毘沙門天および脇侍吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像 3躯(重要文化財)

ご由緒

土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。
1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。
2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、弟子の道運、海覚作の12神将共に16体、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。
3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天質和尚が朱子学南学派の祖として活躍し、谷時中野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。 雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。

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