わかみやはちまんぐう
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若宮八幡宮は長宗我部元親が合戦のたびに戦勝祈願が行われていた。
豊臣秀吉に従軍し島津討伐に向かう際、元親は戦勝祈願を行った。しかし、戸次川の戦いで嫡子信親を失うなど惨敗となった。憤慨した元親は帰国後、この鳥居を不祥のものとして解体し海に流したという。のちに地震があった際に鳥居の基礎が浮き出たという。これは神意であると明治3年に木製にて鳥居を再建した。
歴史
文治元年3月、平氏を檀ノ浦に滅ぼした源頼朝公は、全国に守護・地頭を置き鎌倉幕府の基礎を固めました。同時に、祖父源為義公の冥福を祈り、源家の家運長久を願って京都六條の為義邸跡にあった六條左女牛若宮(ろくじょうさめうしのわかみや 六條左女牛八幡宮)に石清水八幡宮の御神霊を御勧請し、ここに新たに六條若宮八幡宮を御創建されました。
その際、土佐国吾川郡の南部一円を六條若宮の神領地として奉納せられ、神地鎮護の神として現在の地に御創建されたのが若宮八幡宮です。時に文治元年(1185年)12月30日のことでした。
名称 | 若宮八幡宮 |
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読み方 | わかみやはちまんぐう |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 088-841-2464 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://wakamiya-kochi.com |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 誉田別命 息長帯比売命 宗像三女神 |
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ご由緒 | 文治元年3月、平氏を檀ノ浦に滅ぼした源頼朝公は、全国に守護・地頭を置き鎌倉幕府の基礎を固めました。同時に、祖父源為義公の冥福を祈り、源家の家運長久を願って京都六條の為義邸跡にあった六條左女牛若宮(ろくじょうさめうしのわかみや 六條左女牛八幡宮)に石清水八幡宮の御神霊を御勧請し、ここに新たに六條若宮八幡宮を御創建されました。
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