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おおばじんじゃ

大庭神社のお参りの記録一覧
神奈川県 藤沢本町駅

赤トリイ
2023年09月16日(土)
418投稿

藤沢市にある大庭神社に参拝。ここは延喜式内相模國十三社のひとつとのこと。引地川沿い引地川親水公園のそばの高台に神社がある。鳥居、社号標があり急な石段を昇り左側に拝殿が見える、ひっそりとした神社だ。鐘楼もあった。
御朱印は鵠沼神明にある皇大神宮でいただきました。

大庭神社の建物その他

大庭神社〜扁額

大庭神社(神奈川県)

大庭神社〜御朱印

大庭神社(神奈川県)

大庭神社〜鳥居この向こうは石段が続く

大庭神社(神奈川県)

大庭神社〜拝殿

大庭神社(神奈川県)

大庭神社〜鳥居と社号標と由来の看板

大庭神社(神奈川県)

大庭神社〜鐘楼

大庭神社の建物その他

大庭神社〜社号標

大庭神社の建物その他

大庭神社〜石段を昇った先に本殿が

大庭神社(神奈川県)

大庭神社〜由来

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こばけん
2023年06月09日(金)
987投稿

 23.06.07。JR藤沢駅北口より「湘南台駅西口」行きバスで20分、「天神社前」下車、徒歩10分。藤沢市稲荷の引地川沿い高台に鎮座。

御祭神 主・神皇産靈神(かみむすびのかみ)
    菅原道眞
    大庭三郎景親

創建年 不詳

社格等 式内社(小)
    旧郷社

【由緒】
 平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には「高座郡大庭神社」と記載されているものの、近世以前のその他の記録(社伝)は存在しない。

 境内にある梵鐘は享保六年(1721)の鋳造で、当初は「天満天神宮」という文字が彫られたと伝えられる。また、藤沢市教育委員会が出版している『藤沢の文化財』によると、明治以前の当社は「天神社」という名で呼称されていたとのことである。

 安永六年(1777)、神祇伯資顯王によって大庭城を拠点としていた大庭三郎景親を、さらに天明三年(1783)諏訪部定太郎、山崎六郎兵衛包高らの願いによって菅原道眞をそれぞれ勧請されたという。
〜「相模國延喜式内社 大庭神社」しおり〜
※管理元社の皇大神宮より頂いたものです。

 急階段(確か106段?)を登ると静寂な境内に着きます。無人の神社ながらしっかりと管理されている様子が伺え、時節の紫陽花も見られて良き参詣でした。

大庭神社(神奈川県)

管理元社の皇大神宮(藤沢市鵠沼神明)にて直書きで拝受。

大庭神社(神奈川県)

バス道路より神社へ向かう途上にある藤沢市民の憩いの公園です。

大庭神社(神奈川県)

続いて川(橋)を渡ります。

大庭神社(神奈川県)

引地川

大庭神社(神奈川県)

橋の名前は当社の古名からのようです。

大庭神社(神奈川県)

鳥居方向

大庭神社(神奈川県)

一の鳥居

大庭神社(神奈川県)

社号標

大庭神社(神奈川県)

急階段です💦

大庭神社(神奈川県)

階段が続きます。

大庭神社の建物その他

登った先に!

大庭神社(神奈川県)

境内入り口
手前に《ニの鳥居跡》
関東大震災で倒壊したようです。

大庭神社の建物その他

鐘楼
神仏分離令以前は近くの成就院(次に訪問)が別当寺であった。
【由緒】の項で、梵鐘の鋳造年は享保6年とありますが、現在の梵鐘の刻は昭和29年とあります。

大庭神社(神奈川県)

社殿遠景

大庭神社(神奈川県)

参道

大庭神社(神奈川県)

紫陽花

大庭神社の自然
大庭神社(神奈川県)
大庭神社の手水

手水舎
水は出ていませんでした。

大庭神社(神奈川県)

拝殿

大庭神社(神奈川県)
大庭神社(神奈川県)

本殿

大庭神社(神奈川県)
大庭神社(神奈川県)

軍人碑

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2022年04月11日(月)
136投稿

最寄りのバス停から川を渡って公園を横目に歩いて15分ほど、階段を登ると
風が爽やかで気持ちの良い神社でした
御朱印は皇大神宮で参拝日をお伝えしていただきました

大庭神社の建物その他

敷地から少しだけ離れると神社の全景を見渡すことができます

大庭神社(神奈川県)

無人ですが敷地内は綺麗に整備されています

大庭神社の鳥居

ここから階段を登ります

大庭神社の建物その他

神社ですが鐘がありました
鐘をつくことができます

大庭神社(神奈川県)

お参りさせていただきました

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惣一郎
2021年05月10日(月)
1269投稿

大庭神社(おおば~)は、神奈川県藤沢市稲荷にある神社。旧社格は郷社。
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「相模国高座郡 大庭神社」の2つの論社の一つ。もう一つの論社<熊野神社(大庭神社旧跡)>は当社の南西1.5kmの引地川東岸の丘陵地にある。

創建は不詳。社伝を含め近世以前の記録はない。境内梵鐘は1721年鋳造で、「天満天神宮」と書かれていたとされ、藤沢市教育委員会出版の書物『藤沢の文化財』によると江戸期には「天神社」と呼ばれていたとされる。主祭神は神皇産靈神とされるが、江戸期に大庭城主・大庭三郎景親と菅原道真を合祀した。明治時代の神仏分離令以前は、当社の近くにある成就院(高野山真言宗の寺院)が別当寺として当社を管理した。

当社は、小田急江ノ島線・善行駅の西方1kmほどの引地川親水公園脇の小山上の森の中にある。境内には古い梵鐘もあるので、少なくとも神仏習合の江戸期までは村の鎮守ぐらいの規模は合ったものと思われる。現在は境内は掃き清められているが神職常駐ではなく、鵠沼皇大神宮の兼務社となっている。

参拝時は週末の午後で、自分以外にも、近くの親水公園に遊びに来た子連れ家族が参拝に来ていた。

※式内論社2社を比べる(別途投稿<熊野神社(大庭神社旧跡)>参照)と、当社は神社の体をなしているので、どちらかと言えば当社かと思うが、サイズ感は所詮<村の鎮守>レベルなので、決め手に欠く感じ...

大庭神社の鳥居

引地川親水公園のそばに木々に覆われた丘があり、その麓に鳥居と社号標がある。

大庭神社の鳥居

丘の上までまっすぐに伸びる階段。

大庭神社の建物その他

境内全景。階段を登り切った左側に境内地がある。

大庭神社(神奈川県)

一段低いところに<鐘楼>がある。

大庭神社の建物その他

梵鐘には思いっきり<大庭神社>と書いてある。ばっちり神仏混淆。

大庭神社の建物その他

一段高い境内地入口。

大庭神社の手水

境内左手に<手水舎>。

大庭神社の本殿

拝殿全景。サイズ的には旧村社、ザ・村の鎮守。旧郷社にしては小さめ。

大庭神社の本殿

拝殿正面と、<大庭神社>と書かれた扁額。

大庭神社の本殿

本殿。フル木製でしっかりメンテされている。

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