ぐみょうじ|高野山真言宗|瑞応山
弘明寺神奈川県 弘明寺(京急)駅
参拝可能時間 午前8時〜午後5時
御朱印(4種類)
弘明寺では、「大悲殿」と「御詠歌」、「波切不動尊」、「大日如来」の4種類の御朱印をいただけます。
大悲殿の御朱印
真ん中に梵字(十一面観音)大悲殿と書かれ、右上に坂東第十四番の印、右下に瑞應山の文字、真ん中に蓮華座に梵字(十一面観音)の火焔宝珠印、左下に弘明寺の文字、弘明寺観音の印が押されています。
弘明寺本堂(観音堂)にお祀りされている本尊「十一面観世音菩薩立像」(国重要文化財)は、悪病流行の天平年間に河内和泉国の僧であった行基が勅命を奉じ天下泰平のため彫刻祈願されたもので、地元では弘明寺観音と呼ばれ広く親しまれています。
由緒ある寺院です。
横浜では最古の寺院です。
横浜最古のお寺さんにお参りしました😊坂東三十三観音第十四番札所です✨聖武天皇の勅命で僧行基が全国を行脚。観音像を彫り、草庵に祀ったと伝わります🙏
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面観世音菩薩
開基 行基菩薩
創立 天平九年(737)
説明文はお寺ホームページより
金剛力士像(仁王像)と仁王門✨
仁王門✨江戸時代に再建されたもので平成14年(2002年)に改修工事が行われた。
「瑞應山」の扁額は享保7年(1722年)に没し、徳川幕府に仕えた書家佐々木玄竜の書✨
見代地蔵菩薩✨平成13年(2001年)6月、京浜急行電鉄会社設立100周年を記念して、全ての人々の病気平癒、身体健全を祈願するため奉納された。身体の悪いところと同じ場所をタオルやハンカチでさすり祈願することで、自身や家族の身体を癒してくれる😊
本堂✨
寛徳元年(1044年)3月10日、光慧上人により本堂が建立され、開山された。現在の本堂は、明和3年(1766年)に智光上人により再建されたもの。光慧上人が建立した時の古材である、チョーナ彫の床板などが使用されている。
昭和51年(1976年)に茅葺より銅板葺に改修された。間口6畳半、奥行き6間一尺。
梵鐘と鐘楼堂✨
七ツ石✨善無畏(ぜんむい)三蔵法師が渡来の際、当山の霊域を感得し、陀羅尼(だらに)を書写して結界を立てた霊石。尾りょ石と刻してある「尾閭石」や大黒天の袋に似ているので名付けられた「福石」がある。
大師堂✨
真言宗の宗祖、弘法大師を奉安している。弘法大師が弘仁5年(814年)に当山を訪れ、聖天(大聖歓喜天)を彫り、山上の奥の院に奉り、衆生救済のために一千座の護摩を修法したと伝えられる。弘法大師は今でも高野山奥の院に住み、人々の幸福を祈り続けている。
聖天堂✨
弘仁9年(818年)、弘法大師が回国の際、この地に不思議な力を感じて、聖天(大聖歓喜天)を彫り安置し、一千座の護摩を焚いて庶民の幸福を祈願したとされる。
直書き御朱印いただきました🙏
この弘明寺は、横浜市の中でも一番古い寺である、と言われることがある。
かつて奈良時代に高僧行基が諸国を廻ってこの地に来た事があった。行基がふと空を見上げた時、突如として真白の蓮の花びらがどこからか現れて舞い始め、ここの山の上に降ってきたのである。
これは不思議な事、と行基がさっそく山を登っていくと、そこには大きな白狐に乗った仙人がいた。仙人が言う事には、
「この寺は養老(717年~724年)のころに、インドの三蔵法師が日本を巡って修行された際に建てられたものである。そのとき、三蔵法師は不思議な力を持つ七つの石を持ってこられ、経を書き込んでは結界として埋めておかれた。いつもは地中に隠れているが、自ら地上にあらわれて七つとも人の目に触れたときは、良いことか悪いことのどちらかが起きるであろう」
とお告げされ、その声が切れるが早いか煙のように消えてしまったという話がある。
時は流れ、寛永元年(1624年)と明和3年(1766年)のころ、前触れもなく突然石が現れた。
里人たちは良いことが起きるか、悪いことが起きるかと大いに案じたものの、里人たちの作物はよく育ち、商いは繁盛して、寺へも多くの寄進がなされたという。
その時から、この七ツ石は福石とも呼ばれるようになったとされる。
住所 | 神奈川県横浜市南区弘明寺町267 |
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行き方 | 京急「弘明寺駅」下車、徒歩2〜3分。
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名称 | 弘明寺 |
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読み方 | ぐみょうじ |
通称 | 弘明寺観音 |
参拝時間 | 参拝可能時間 午前8時〜午後5時 |
トイレ | あり。駐車スペースから本堂に向かう途中 |
御朱印 | あり 真ん中に梵字と大悲殿、右下に瑞應山、左下に弘明寺と書かれ、右上に坂東十四番の印、真ん中に梵字の印、左下に社印が押されています。
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 045-711-1231 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.gumyoji.jp/ |
絵馬 | あり |
SNS |
武相不動尊二十八所 第18番 | |
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坂東三十三観音 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
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山号 | 瑞応山 |
院号 | 蓮華院 |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 737年 |
開山・開基 | 行基 |
体験 | 絵馬御朱印お守り重要文化財 |
概要 | 弘明寺(ぐみょうじ)は、神奈川県横浜市南区弘明寺町にある高野山真言宗の寺院。瑞應山蓮華院と号し、横浜市内最古の寺院である。本尊の木造十一面観世音菩薩立像(通称「弘明寺観音」)は国の重要文化財。 寺名は町名や駅名などにも広く使われ、江戸時代から1889年(明治22年)までは一帯を弘明寺村(のちに弘明寺町)と呼んでいた。 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか ご詠歌:ありがたやちかひの海をかたむけて そそぐめぐみにさむるほのやみ |
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歴史 | 歴史[編集] 寺伝によると、721年(養老5年)にインドの僧・善無畏が当地に結界を創り、737年(天平9年)に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられ、行基をもって開基としている。 弘仁年間(9世紀初期)には空海が双身歓喜天(弘明寺聖天)を彫刻し安置したという。 1044年、光慧上人により瓦葺き本堂が建立された。本尊である木造十一面観音立像の彫刻予想年代と、この本堂建立の年代がほぼ一致することから、この頃が実際の開山と思われる。 鎌倉時代には源将軍家累代の祈願所であった[1]。 戦国時代には北条早雲から寺領を、江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り、坂東三十三観音の十四番札所として信仰...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事・年中行事[編集] 縁日 5月下旬から9月上旬までの毎月「8」の付く日は観音、「3」の付く日は聖天の縁日となっており、さまざまな露天商が店を開き、遠方からも弘明寺参詣客とともに多くの人で賑わう。 節分 節分の豆まきは戦前から60年以上続けられ、毎年約1,000人を集める名物行事となっていたが、福豆を取ろうと人々が押し合うなど危険な状態となり、警備員の指示に従わない来場者が増えたため、寺側が過去の事故(1956年の弥彦神社事件)から群集事故の危険性があると判断し、2007年を最後に中止されていた[1]。その後、豆まき復活を求める声に応えて2015年2月3日に「節分法会(ほうえ)」が行わ...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「弘明寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BC%98%E6%98%8E%E5%AF%BA&oldid=101916437 |
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