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若宮八幡宮ではいただけません
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わかみやはちまんぐう

若宮八幡宮
神奈川県 弘明寺(横浜市営)駅

御朱印受付時間:未定、日没まで(17時頃まで)

御朱印について
御朱印
あり

御朱印中央には、社紋と「若宮八幡宮」の印が大きく押されています。

限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
なし

なし

おすすめの投稿

こばけん
2021年11月06日(土)
978投稿

 21.10.30。先の無量寺さんより「蒔田駅」に戻り、地下鉄で「弘明寺駅」下車、徒歩10分。
横浜市南区大岡1丁目に鎮座。

御祭神
 大雀命(おおささぎのみこと)
 誉田別命(ほむだわけのみこと)
 武甕槌命(たけみかずちのみこと)
 道志留辺命(みちしるべのみこと)
 猿田彦命(さるたひこのみこと)
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 事解男命(ことさかのおのみこと)
 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
創 建:建久4年(1193年)。
例大祭:8月第四土曜・日曜日。

 当宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年に創建、下大岡村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治41年、鹿島神社・伊勢神社・神明神社・熊野神社・猿田彦社・道祖神社・辨天社の八社を合祀したといいます。
  〜Webサイト「猫の足あと」より〜

 「ホトカミ横浜御朱印めぐリ」⑦ 横浜の幹線道路である鎌倉街道から路地を入り、住宅街を数分進んだ奥に鎮座しており、急な石段を登り社殿に着くと静寂感に包まれた神域で気が引き締められました。
    

若宮八幡宮の御朱印
若宮八幡宮の建物その他

鎌倉街道沿いに《社号標》。

若宮八幡宮の周辺

こちらを数分進む!

若宮八幡宮(神奈川県)

やっと《一の鳥居》。

若宮八幡宮の建物その他

鳥居柱に!(右)

若宮八幡宮(神奈川県)

同上!(左)

若宮八幡宮(神奈川県)
若宮八幡宮の建物その他

二の鳥居手前に!
→今上陛下のご生誕記念石碑。

若宮八幡宮の鳥居

二の鳥居。
→裏に明治14年4月の銘あり!

若宮八幡宮の建物その他

参道。

若宮八幡宮の手水

左手に《手水舎》。
→停止です!

若宮八幡宮の歴史

右手に《若宮招魂社由緒碑》。

若宮八幡宮の末社

若宮招魂社。

若宮八幡宮(神奈川県)

狛犬(右)。

若宮八幡宮の狛犬

狛犬(左)。

若宮八幡宮の本殿

拝殿。

若宮八幡宮の本殿
若宮八幡宮の本殿

社殿左サイドより!

若宮八幡宮の建物その他

神楽殿。

若宮八幡宮の末社

境内社。
→稲荷社(左)と天神社(右)!

若宮八幡宮(神奈川県)

御由緒碑。

若宮八幡宮の建物その他

社務所・宮司様自宅。
→左側の社務所は閉まってましたが、呼び鈴を押すと自宅側から奥様(たぶん)が出てこられ、直書きで御朱印を拝受できました。
ありがとうございました。

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歴史

源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は数カ所に社寺を創建、報賽所としました。若宮八幡宮はこうした由縁の地に源頼朝が建久4年9月7日鶴岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。当初は若宮八幡大神と号し、神仏習合の社でその後永く久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として諸人の崇敬が大変厚かった。
建立以来今日に至るまで凡そ八百余年の永い間、この宮は平和と豊かなる生活即ち天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭であり、氏子即ち神の子としての魂の尊厳を自覚する聖域として世の人々によって護持せられてまいりました。
永禄七年北条氏康の命によって権大僧正源秀天(みなもとのしゅうてん)が当若宮八幡宮の別当となり、寶積(ほうしゃく)院と称し、以来現在に至っております。
明治6年村社に列せられ、ついで明治39年内務省令による神社統合の趣旨に基づき、近隣8社の氏子信徒が協議の上、明治41年11月25日若宮八幡宮に合祀され、20ヶ町の総鎮守となりました。
大正15年8月27日横浜市幣帛供進の指定社となり、昭和21年宗教法人法令に依り神社本庁所属の神社となりました。
終戦後道徳は弛緩し、思想低下し世情混迷頽廃をうれい、20ヶ町の氏子有志は神威の加護のもとに恒久の平和を祈念し祖国再建の成就を念願し昭和22年時の宮司寶積育三は若宮八幡宮奉賛会(初代会長渡部清治)を組織し御由緒深き若宮八幡宮を維持、愈々神威顕揚に奉仕すると共に念願達成に努めました。
昭和36年私たちの祖先が建立した床しい茅葺きの社殿もいたく古び、風雨に耐え難くなりましたので、時の宮司寶積千一郎、奉賛会々長加藤五十春両氏の熱意により、氏子20ヶ町の奉賛会理事諸氏と協議の上、御造営奉賛会を組織し、広く浄財を集め昭和39年10月、現在の八幡造銅板葺の御社殿(本殿・幣殿・拝殿)及び神楽殿、社務所を造営再建いたし今日に至っております。

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若宮八幡宮の基本情報

住所神奈川県横浜市南区大岡1ー5ー1
行き方

ブルーライン弘明寺駅下車 徒歩8分

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名称若宮八幡宮
読み方わかみやはちまんぐう
通称若宮神社
参拝時間

御朱印受付時間:未定、日没まで(17時頃まで)

参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

御朱印中央には、社紋と「若宮八幡宮」の印が大きく押されています。

限定御朱印なし
電話番号045-714-6200
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスwakamiya.yokohama@gmail.com
ホームページhttp://wakamiya-yokohama.net/
お守りあり

巡礼の詳細情報

【公式】横浜御朱印めぐり

詳細情報

ご祭神ご祭神 大雀命、誉田別命、武甕槌命、道志留辺命、天照皇大神、猿田彦命、市杵島姫命、事解男命、伊邪那美命
境内社 浅間神社、天満宮、熊野神社、伏見稲荷大明神
創建時代建久4年(1193)
創始者源頼朝
ご由緒

源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は数カ所に社寺を創建、報賽所としました。若宮八幡宮はこうした由縁の地に源頼朝が建久4年9月7日鶴岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。当初は若宮八幡大神と号し、神仏習合の社でその後永く久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として諸人の崇敬が大変厚かった。
建立以来今日に至るまで凡そ八百余年の永い間、この宮は平和と豊かなる生活即ち天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭であり、氏子即ち神の子としての魂の尊厳を自覚する聖域として世の人々によって護持せられてまいりました。
永禄七年北条氏康の命によって権大僧正源秀天(みなもとのしゅうてん)が当若宮八幡宮の別当となり、寶積(ほうしゃく)院と称し、以来現在に至っております。
明治6年村社に列せられ、ついで明治39年内務省令による神社統合の趣旨に基づき、近隣8社の氏子信徒が協議の上、明治41年11月25日若宮八幡宮に合祀され、20ヶ町の総鎮守となりました。
大正15年8月27日横浜市幣帛供進の指定社となり、昭和21年宗教法人法令に依り神社本庁所属の神社となりました。
終戦後道徳は弛緩し、思想低下し世情混迷頽廃をうれい、20ヶ町の氏子有志は神威の加護のもとに恒久の平和を祈念し祖国再建の成就を念願し昭和22年時の宮司寶積育三は若宮八幡宮奉賛会(初代会長渡部清治)を組織し御由緒深き若宮八幡宮を維持、愈々神威顕揚に奉仕すると共に念願達成に努めました。
昭和36年私たちの祖先が建立した床しい茅葺きの社殿もいたく古び、風雨に耐え難くなりましたので、時の宮司寶積千一郎、奉賛会々長加藤五十春両氏の熱意により、氏子20ヶ町の奉賛会理事諸氏と協議の上、御造営奉賛会を組織し、広く浄財を集め昭和39年10月、現在の八幡造銅板葺の御社殿(本殿・幣殿・拝殿)及び神楽殿、社務所を造営再建いたし今日に至っております。

体験祈祷御朱印武将・サムライ

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