わかみやはちまんぐう
若宮八幡宮
神奈川県 弘明寺(横浜市営)駅
御朱印受付時間:未定、日没まで(17時頃まで)
若宮八幡宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年(1193年)に創建した。久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門に当たる。下大岡村の鎮守社だったという。
横浜市には、源氏、北条家ゆかりの寺社仏閣がありますが、ここもその一つです。
自転車で行きましたが、鎌倉街道からわかりやすい場所にありました。
平坦な場所かと思いましたが、階段を上がり到着。
自然豊かな空気に、源氏の頃からの歴史を感じました。
21.10.30。先の無量寺さんより「蒔田駅」に戻り、地下鉄で「弘明寺駅」下車、徒歩10分。
横浜市南区大岡1丁目に鎮座。
御祭神
大雀命(おおささぎのみこと)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
武甕槌命(たけみかずちのみこと)
道志留辺命(みちしるべのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
事解男命(ことさかのおのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
創 建:建久4年(1193年)。
例大祭:8月第四土曜・日曜日。
当宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年に創建、下大岡村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治41年、鹿島神社・伊勢神社・神明神社・熊野神社・猿田彦社・道祖神社・辨天社の八社を合祀したといいます。
〜Webサイト「猫の足あと」より〜
「ホトカミ横浜御朱印めぐリ」⑦ 横浜の幹線道路である鎌倉街道から路地を入り、住宅街を数分進んだ奥に鎮座しており、急な石段を登り社殿に着くと静寂感に包まれた神域で気が引き締められました。
鎌倉街道沿いに《社号標》。
こちらを数分進む!
やっと《一の鳥居》。
鳥居柱に!(右)
同上!(左)
二の鳥居手前に!
→今上陛下のご生誕記念石碑。
二の鳥居。
→裏に明治14年4月の銘あり!
参道。
左手に《手水舎》。
→停止です!
右手に《若宮招魂社由緒碑》。
若宮招魂社。
狛犬(右)。
狛犬(左)。
拝殿。
社殿左サイドより!
神楽殿。
境内社。
→稲荷社(左)と天神社(右)!
御由緒碑。
社務所・宮司様自宅。
→左側の社務所は閉まってましたが、呼び鈴を押すと自宅側から奥様(たぶん)が出てこられ、直書きで御朱印を拝受できました。
ありがとうございました。
横浜御朱印巡り ⑧ 若宮八幡宮
源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は数カ所に社寺を創建、報賽所としました。若宮八幡宮はこうした由縁の地に源頼朝が建久4年9月7日鶴岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。
当初は若宮八幡大神と号し、神仏習合の社でその後永く久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として諸人の崇敬が大変厚かった。
建立以来今日に至るまで凡そ八百余年の永い間、この宮は平和と豊かなる生活即ち天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭であり、氏子即ち神の子としての魂の尊厳を自覚する聖域として世の人々によって護持せられてまいりました。
永禄七年北条氏康の命によって権大僧正源秀天(みなもとのしゅうてん)が当若宮八幡宮の別当となり、寶積(ほうしゃく)院と称し、以来現在に至っております。
明治6年村社に列せられ、ついで明治39年内務省令による神社統合の趣旨に基づき、近隣8社の氏子信徒が協議の上、明治41年11月25日若宮八幡宮に合祀され、20ヶ町の総鎮守となりました。
住宅街に鎮座しています
若宮招魂社
手水舎
狛犬
稲荷大明神
拝殿
学業成就祈願所
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