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ちょうしょうじ|臨済宗建長寺派富岡山

長昌寺
神奈川県 南部市場駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
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御朱印帳
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パーキング
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その他の巡礼の情報

横浜金沢七福神(布袋尊)

長昌寺について

直木三十五のお墓


直木賞で知られる直木三十五のお墓がある。

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かおり
かおり
2023年08月03日(木)
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京急電鉄の夏詣の御朱印巡りには京急富岡駅近くの富岡八幡宮もあった。
そこまで電車代を出していくのだからと近くもチェックする。こういうところが私はケチなお婆さんだ。
思っていた以上にお寺は多かった。金沢区七福神なるものもあった。
そんな中で、偶然みつけたのが、直木三十五のお墓のあるここ長昌寺であった。イヤ、実は行くまで直木三十五のお墓がある事も知らなかったのだ。
ああ、検索力のレベルの低さよ。。。

直木が富岡に家を構えたのは、肺病を患 った晩年のことでした。海がすぐそばに迫 る風光明媚なこの土地を、直木が気に入っ て、慶珊寺から土地を借りたのでした。 直木三十五文学碑が建立された昭和 35 年発行の『富岡の家』には、随筆家・内山 順が慶珊寺の奥さんから聞いた話が紹介さ れています。(横浜市金沢区役所文献より)

法要があるとのことで、住職はにこやかに挨拶されたでけであったが、住職夫人が書き置きの御朱印をくださり、色々と案内してくれた。

なんといっても心惹かれたのが、芋観世音微殺であった。
ちらも、お寺の方に案内して頂いた。

木造。約3寸。その昔、富岡の北にある鳥見塚に豊かな水をたたえて一年中芋の葉が繁る一間四方の池がありました。いつの頃からか、この池の中に小さな観音様が現れるようになり、霊験あらたかなことから、戦国時代末期、時の地頭や村人達によって池の近くに観音堂が建てられました。
この観音様は本来、人々から病苦を抜き去って下さる恵み深い観音様で、お参りすればいかなる願い事もかなえられ、また容貌を美しくして下さるとも言われて参りました。とりわけ当時は天然痘が流行し、「疱瘡」「イモ」などと呼ばれ大変恐れられており、一度患うと命を落とすか治っても痕が残るものでした。しかしながら芋観音にお参りをして祈願し、池の湧水を頂けばその難を免れ、たとえ患えども軽く治るとされました。
この由来から「芋観世音」又は「芋神様」と尊称され人々から絶大の信仰を受けられるようになり、御開帳日には近郷近住のみならず江戸や相模から子供を連れた参詣者で賑わったと古記録に記されています。現在でも3月上旬に参拝者に里芋の煮転がしや甘酒を振舞って盛大に御開帳縁日法要が行われています。

京急富岡駅周辺の寺院では、ことごとく「忙しい」と言われた日。
突然行った私が悪いのだ。
こんな風に親切に丁寧にお寺を案内して頂き本当に感謝であった。
偶然ではなく「おかげさま」なのだろう。

長昌寺の御朱印
長昌寺の御朱印
長昌寺(神奈川県)
長昌寺の像

こちらは、金沢区七福神の布袋様が祀られている。

長昌寺(神奈川県)
長昌寺(神奈川県)
長昌寺の建物その他
長昌寺(神奈川県)

こちらが直木三十五のお墓になる。

長昌寺のお墓

こちらは、私は全く基礎的な知識もなく行ったのだが、お寺の方の説明では、直木賞作家の胡桃沢耕史氏のお墓だとのことであった。
なんでも、尊敬する直木三十五のお墓に傍に弔って欲しいとのことで、ちょうど隣にある。

長昌寺の建物その他
長昌寺(神奈川県)
長昌寺(神奈川県)
長昌寺(神奈川県)
長昌寺(神奈川県)
長昌寺(神奈川県)
長昌寺(神奈川県)
長昌寺(神奈川県)

臨済宗慶柵寺の横に観えるは、「直木三十五の実家跡」という道標だった。
慶柵寺の敷地の一角を借りて、家を建てたらしい。

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歴史

天正2年(1574年)、後北条氏(小田原北条氏)の家臣で富岡を領した柳下豊後守が亡き妻(法名「桂窓長昌大姉」)の菩提を弔うために長昌庵を創建し、鎌倉禅興寺(現在は明月院)から仙溪僧才禅師を招いて当山の開山となりました。文禄2年(1593年)に柳下豊後守は安房富津岬周辺から来襲した里見水軍と戦い、槍で重傷を負いながらも里見軍を打ち破りました。しかしながらその槍傷により同年9月17日に亡くなります。その時豊後守が離さなかった槍先は柳下家に現存しているそうです。里見軍は撤退する際に当時の長昌庵の本尊、阿弥陀如来立像を持ち去りましたが、里見軍と村民に不幸が続いたため、阿弥陀如来の祟りとして如来像を返してきたと言われています。お陰でこの阿弥陀如来立像は現在も長昌寺本堂に現存しています。時代は流れ、明治37年(1904年)には富岡中部にあった西源禅庵が廃寺となり長昌寺に統合し、戦後、芋観世音菩薩を観音堂にお迎えし現在に至っております。

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長昌寺の基本情報

住所神奈川県横浜市金沢区富岡東3-23-21
行き方

京急「富岡駅」より徒歩14分

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名称長昌寺
読み方ちょうしょうじ
通称芋観音
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号045-771-6970
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://yokohama-choshoji.com/

詳細情報

山号富岡山
宗旨・宗派臨済宗建長寺派
創建時代天正2年(1574年)
ご由緒

天正2年(1574年)、後北条氏(小田原北条氏)の家臣で富岡を領した柳下豊後守が亡き妻(法名「桂窓長昌大姉」)の菩提を弔うために長昌庵を創建し、鎌倉禅興寺(現在は明月院)から仙溪僧才禅師を招いて当山の開山となりました。文禄2年(1593年)に柳下豊後守は安房富津岬周辺から来襲した里見水軍と戦い、槍で重傷を負いながらも里見軍を打ち破りました。しかしながらその槍傷により同年9月17日に亡くなります。その時豊後守が離さなかった槍先は柳下家に現存しているそうです。里見軍は撤退する際に当時の長昌庵の本尊、阿弥陀如来立像を持ち去りましたが、里見軍と村民に不幸が続いたため、阿弥陀如来の祟りとして如来像を返してきたと言われています。お陰でこの阿弥陀如来立像は現在も長昌寺本堂に現存しています。時代は流れ、明治37年(1904年)には富岡中部にあった西源禅庵が廃寺となり長昌寺に統合し、戦後、芋観世音菩薩を観音堂にお迎えし現在に至っております。

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