ちょうしょうじ|臨済宗建長寺派|富岡山
長昌寺のお参りの記録一覧
京急電鉄の夏詣の御朱印巡りには京急富岡駅近くの富岡八幡宮もあった。
そこまで電車代を出していくのだからと近くもチェックする。こういうところが私はケチなお婆さんだ。
思っていた以上にお寺は多かった。金沢区七福神なるものもあった。
そんな中で、偶然みつけたのが、直木三十五のお墓のあるここ長昌寺であった。イヤ、実は行くまで直木三十五のお墓がある事も知らなかったのだ。
ああ、検索力のレベルの低さよ。。。
直木が富岡に家を構えたのは、肺病を患 った晩年のことでした。海がすぐそばに迫 る風光明媚なこの土地を、直木が気に入っ て、慶珊寺から土地を借りたのでした。 直木三十五文学碑が建立された昭和 35 年発行の『富岡の家』には、随筆家・内山 順が慶珊寺の奥さんから聞いた話が紹介さ れています。(横浜市金沢区役所文献より)
法要があるとのことで、住職はにこやかに挨拶されたでけであったが、住職夫人が書き置きの御朱印をくださり、色々と案内してくれた。
なんといっても心惹かれたのが、芋観世音微殺であった。
ちらも、お寺の方に案内して頂いた。
木造。約3寸。その昔、富岡の北にある鳥見塚に豊かな水をたたえて一年中芋の葉が繁る一間四方の池がありました。いつの頃からか、この池の中に小さな観音様が現れるようになり、霊験あらたかなことから、戦国時代末期、時の地頭や村人達によって池の近くに観音堂が建てられました。
この観音様は本来、人々から病苦を抜き去って下さる恵み深い観音様で、お参りすればいかなる願い事もかなえられ、また容貌を美しくして下さるとも言われて参りました。とりわけ当時は天然痘が流行し、「疱瘡」「イモ」などと呼ばれ大変恐れられており、一度患うと命を落とすか治っても痕が残るものでした。しかしながら芋観音にお参りをして祈願し、池の湧水を頂けばその難を免れ、たとえ患えども軽く治るとされました。
この由来から「芋観世音」又は「芋神様」と尊称され人々から絶大の信仰を受けられるようになり、御開帳日には近郷近住のみならず江戸や相模から子供を連れた参詣者で賑わったと古記録に記されています。現在でも3月上旬に参拝者に里芋の煮転がしや甘酒を振舞って盛大に御開帳縁日法要が行われています。
京急富岡駅周辺の寺院では、ことごとく「忙しい」と言われた日。
突然行った私が悪いのだ。
こんな風に親切に丁寧にお寺を案内して頂き本当に感謝であった。
偶然ではなく「おかげさま」なのだろう。
こちらは、金沢区七福神の布袋様が祀られている。
こちらが直木三十五のお墓になる。
こちらは、私は全く基礎的な知識もなく行ったのだが、お寺の方の説明では、直木賞作家の胡桃沢耕史氏のお墓だとのことであった。
なんでも、尊敬する直木三十五のお墓に傍に弔って欲しいとのことで、ちょうど隣にある。
臨済宗慶柵寺の横に観えるは、「直木三十五の実家跡」という道標だった。
慶柵寺の敷地の一角を借りて、家を建てたらしい。
金沢七福神めぐりでお参りしました。臨済宗のお寺です。スタンプラリーはもう終了していたので静かでした。七福神の布袋尊が祀られています。『芋観音』という観音様が芋のお池の中に鎮座しています。御朱印は御住職が目の前でさらさらと書いてくれます。夕方になってしまいましたが快く応じていただき嬉しかったです。
芋観音の御朱印です。初穂料300円。
七福神布袋様の御朱印です。初穂料300円。
まず山門の雰囲気が気に入りました。
しょうじょう寺のたぬきならぬちょうしょう寺のたぬき!かな?(笑)
山門でお出迎えしてくれます。
めっちゃ笑顔の布袋様。こちらまで微笑んでしまいます。
芋観音?て何だろうと思って入りました。
芋観音様です。
こんな感じで鎮座されています。
芋観音の由来が書いてありました。
金沢シーサイドライン鳥浜駅下車徒歩10分。
金沢七福神の布袋尊の札所でもある臨済宗寺院。
ご本尊は釈迦如来。
境内には「直木賞」の小説家直木三十五のお墓があります。
また、天然痘除けとして「芋観音」が祀られています。普段は境内左手に芋観音の石仏がありますが、毎年3月にご開帳があります。
御朱印は横の庫裏にていただく事が出来ます。
山門。
タヌキと大黒天が訪れる方を迎えます。
本堂です。
ここの左手奥に「芋観音」の石仏があります。
以前(平成31年一月)にお参りした際に頂いた御朱印です。
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