やまのじんじゃ
山之神社神奈川県 逗子・葉山駅
8:00~17:00 < 火災などからの再興で現在の境内配置になった「宗泰寺」から参内させていただくが、「宗泰寺」の守護社ではなくて麓の田越川流域で江戸時代名主だった石渡(いしわた)家の守護社。>
やまのじんじゃ
8:00~17:00 < 火災などからの再興で現在の境内配置になった「宗泰寺」から参内させていただくが、「宗泰寺」の守護社ではなくて麓の田越川流域で江戸時代名主だった石渡(いしわた)家の守護社。>
麓の田越川流域で江戸時代名主だった石渡(いしわた)家の守護社でした。
近年に社殿が全焼しましたが、直ぐ再建されました(逗子市桜山7-6)。
見落とされがちなのは、社殿裏に背中合わせで反対向きの石祠が鎮座していますけれども
嘗ての 参道/山登り路 の痕跡が在ります。
登り口であったであろう場所のギリギリまで民家が迫り、
参道を90度移動させて結果的に現在の「宗泰寺」さま(逗子市桜山7-7-1)境内から
参内させていただくようになったと推測されます。
宗泰寺に入り、そこから参拝する神社である。
てっきり、江戸時代以前の神仏習合の神社だと思っていたのだが違ったようだ。
ホトカミにあった投稿で知りました。感謝。
お寺の中に神社を作っても良しとする気持ち。
嬉しくなってしまう。
20.02.09 逗子「山之神社」_ 逗子市桜山
01) 逗子「山之神社」 鳥居と参道階段 _ 逗子市桜山
鳥居の形式は大別すると ” 神明鳥居 ” と ” 明神鳥居 ” の2種類の形式に分類されるそうで、
護国神社系に多いとされる 貫の断面が角形 なので ’ 靖国鳥居 ’ 形式。
02) 手水鉢
03) 近年に焼失したが直ぐに再建された、社殿。
04) 末社? 他所から遷座されたのか? の石祠
05) 狭いながらも高台の境内から振り返る方向の、逗子市桜山市街。
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06-1) 念のため社殿の裏にまわったら・・・
・・・ 背を向けた石祠が鎮座していた。
06-2) 朽ちかけた竹の囲いを潜って、祠の前にまわって撮った。
遥か昔は写真の立ち位置斜め左後方が参道だったのでは?と推測した。
しかし直下の崖は平削されたのであろうギリギリまで住宅街になるとともに、
参道が消滅したのであろう。
ハイキングコースなどの山中で仰向けのまま放置されている石祠をたくさん見てきたが、
当祠は 全面の被い/蓋 も階段もあるとともに 山を模すかの如く石を積み上げられた場所と
一体に固定されて 私に鄭重さが伝わった。
06-3) 石祠横の小さな石碑。
文字は風化しているが、
’ 日天** ’ と ’ 月天** ’ の文字列らしきのみ読むことができた。
もしかしたら十二天の ’ 日天 ’ と ’ 月天 ’ の文字だけで、
風化した ’ ** ’ は彫刻像だったのかもしれない。
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( 今年2020年に再度のPCから消滅したが、
他の自己Webサイトから写真を回収できたので参拝年月日記録。)
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20.02.09 #逗子 「 #山之神社 」 #逗子市桜山
https://blog.ss-blog.jp/_pages/user/auth/article/index?blog_name=mitch1&id=111561913
名称 | 山之神社 |
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読み方 | やまのじんじゃ |
参拝時間 | 8:00~17:00 < 火災などからの再興で現在の境内配置になった「宗泰寺」から参内させていただくが、「宗泰寺」の守護社ではなくて麓の田越川流域で江戸時代名主だった石渡(いしわた)家の守護社。> |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
ご祭神 | 大山祇大神 _ 大山を司る神、山の神の総元締の山神、金運の神 |
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ご由緒 | 麓の田越川流域で江戸時代名主だった石渡(いしわた)家の守護社。 |
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