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かめいじぞうそん

亀井地蔵尊

神奈川県 逗子・葉山駅

いつでも参拝可能です

パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について
御朱印
なし
ありません

亀井地蔵尊について

徒歩圏内に関連する「六代不動院 /六代御前墓所」があり、同日中に参拝できます。
( ホトカミ項目ページ:六代不動院 /六代御前墓所 https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkytp/Hkytptm/Dsmtk/148233/  )

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mitch
2020年07月19日(日)
2045投稿

20.07.18 逗子「亀井地蔵尊」参拝 _ 逗子市逗子

亀井地蔵尊の歴史

01-1) ” 亀井地蔵尊の由来 ” 解説板
 _ 逗子市逗子5-4 「逗子市 亀井児童公園」内
.
< 解説板からの書き起こし転載 >
亀井地蔵尊の由来
田越川原は大昔には死骸の埋葬地でした。
中世は処刑場となり六代御前や三浦胤義の子供たちも此処で首を切られました。
吾妻鏡の嘉禄元年九月八日の条には、
北条泰時や三浦義村が弁僧正の弟子達供養のため、
八万四千基の石塔を建てた旨が記されています。
今、たっているこの場所は大墓といって長い間の共同墓地でした。
かって写経石や土師器(はじき)の破片等が出土しています。
此処にあった墓石は延命寺や妙光寺ほか近くの寺に移されました。
閻魔堂がありましたが中にあった閻魔は延命寺に移され今も祀られています。
亀井地蔵尊は此処に尊く葬られています。
多くの霊を供養するために建立されました
謹んで合掌し奉ります
開眼供養 内田武雄
延命寺住職

亀井地蔵尊の建物その他

01-2) ” 亀井地蔵尊 ” 石標 

亀井地蔵尊の建物その他

01-3) 「亀井地蔵尊」遠景 

亀井地蔵尊の地蔵

01-4)  「亀井地蔵尊」近景を撮らせていただいた 
(4/全8枚)
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.
.
***********************
20.07.18 #逗子 「 #亀井地蔵尊 」 / #石碑 ” #逗子独立運動 発祥の地 ” _ #逗子市逗子 「 逗子市 #亀井児童公園 」内 
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-07-19-1#more

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歴史

< 解説板からの書き起こし転載 >
亀井地蔵尊の由来
田越川原は大昔には死骸の埋葬地でした。
中世は処刑場となり六代御前や三浦胤義の子供たちも此処で首を切られました。
吾妻鏡の嘉禄元年九月八日の条には、北条泰時や三浦義村が弁僧正の弟子達供養のため、
八万四千基の石塔を建てた旨が記されています。
今、たっているこの場所は大墓といって長い間の共同墓地でした。
かって写経石や土師器(はじき)の破片等が出土しています。
此処にあった墓石は延命寺や妙光寺ほか近くの寺に移されました。
閻魔堂がありましたが中にあった閻魔は延命寺に移され今も祀られています。
亀井地蔵尊は此処に尊く葬られています。
多くの霊を供養するために建立されました
謹んで合掌し奉ります
開眼供養 内田武雄
延命寺住職 
---
参考資料: ホトカミ項目ページ
・ 六代不動院 /六代御前墓所 _ https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkytp/Hkytptm/Dsmtk/148233/
・ 延命寺 _ https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkytp/Hkytptm/Dsmtk/54817/
・ 妙光寺 _ https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkytp/Hkytptm/Dsytt/54824/
------
鎌倉市由比ガ浜河口周辺が中世の死骸の埋葬地であったと同様に、
鎌倉郷の田越川河口周辺も死骸の埋葬地であったそうです。
” 逗子市 亀井児童公園 ” 内に 石碑 ’ 逗子独立運動発祥の碑 ’ とともに ’ 亀井地蔵尊 ’ が建つが、
遥か昔は処刑者を含む共同墓地だったと伝わる。

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亀井地蔵尊の基本情報

住所神奈川県逗子市逗子5-4
行き方

JR横須賀線「逗子駅」から、徒歩8分ほど。または 京急電鉄逗子線終点「逗子・葉山駅(旧:新逗子駅)」から、徒歩6分ほど。県道鎌倉葉山線沿い商店街から、車が入れないほどの細い路地を入って10mほどの ” 逗子市 亀井児童公園 ” 内。

アクセスを詳しく見る
名称亀井地蔵尊
読み方かめいじぞうそん
参拝時間

いつでも参拝可能です

参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印なし

詳細情報

ご本尊石造 地蔵菩薩立像
宗旨・宗派
創建時代昭和59年(甲子)四月八日奉修開眼供養 (1984)
ご由緒

< 解説板からの書き起こし転載 >
亀井地蔵尊の由来
田越川原は大昔には死骸の埋葬地でした。
中世は処刑場となり六代御前や三浦胤義の子供たちも此処で首を切られました。
吾妻鏡の嘉禄元年九月八日の条には、北条泰時や三浦義村が弁僧正の弟子達供養のため、
八万四千基の石塔を建てた旨が記されています。
今、たっているこの場所は大墓といって長い間の共同墓地でした。
かって写経石や土師器(はじき)の破片等が出土しています。
此処にあった墓石は延命寺や妙光寺ほか近くの寺に移されました。
閻魔堂がありましたが中にあった閻魔は延命寺に移され今も祀られています。
亀井地蔵尊は此処に尊く葬られています。
多くの霊を供養するために建立されました
謹んで合掌し奉ります
開眼供養 内田武雄
延命寺住職 
---
参考資料: ホトカミ項目ページ
・ 六代不動院 /六代御前墓所 _ https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkytp/Hkytptm/Dsmtk/148233/
・ 延命寺 _ https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkytp/Hkytptm/Dsmtk/54817/
・ 妙光寺 _ https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkytp/Hkytptm/Dsytt/54824/
------
鎌倉市由比ガ浜河口周辺が中世の死骸の埋葬地であったと同様に、
鎌倉郷の田越川河口周辺も死骸の埋葬地であったそうです。
” 逗子市 亀井児童公園 ” 内に 石碑 ’ 逗子独立運動発祥の碑 ’ とともに ’ 亀井地蔵尊 ’ が建つが、
遥か昔は処刑者を含む共同墓地だったと伝わる。

体験伝説

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