たかだちぎけいどう
高館義経堂のお参りの記録一覧
高館義経堂に参拝してきました。
兄源頼朝に追われて平泉に落ち延びた源義経公が、1189年藤原三代秀衡公の子泰衡の急襲に遭い、妻子と共に自害した。1683年仙台藩主四代伊達綱村公が義経を偲んで建立しました。
この義経堂は、毛越寺の飛び地境内となっています。
参道
義経堂
義経公像
書置御朱印
松尾芭蕉の有名な句の一つに
夏草や 兵どもが 夢の跡
がある。
この句を詠んだ場所が平泉の高館義経堂だ。
俳聖・松尾芭蕉が門人・曽良を伴い、平泉を訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)のこと。高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めた芭蕉は、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公を思い、かの名句を詠みました。
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。(中略)「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し待りぬ。
夏草や 兵共が 夢の跡
(毛越寺の説明より)
源義経という人物があまりにもカリスマ性があり、舞台やドラマなどでもイケメンが演じるものだから脇に置かれがちだが、ここで言われている兵どもの主役は寧ろ藤原家ではないかと思うのだ。奥州にて栄華を誇り、中尊寺、毛越寺などの素晴らしい寺の建立と。その藤原氏のあっけない滅亡。その後は平泉の地は芭蕉が詠んだような状態であったのだろう。
昭和61年、義経公主従最期の地であるこの高館に、藤原秀衡公、源義経公、武蔵坊弁慶八百年の御遠忌を期して、供養のために塔を造立しました。祖父、父の志を継ぎ、奥州藤原文化を築き上げた秀衡公、運命に翻弄され、この平泉で31歳という短い人生を終えた義経公、そして、義経公を信じ戦い抜いた弁慶。それぞれの生涯に思いを馳せ、心からの供養を行うのに、この高館はふさわしい場所だと思われます。(毛越寺の説明より)
本当に源義経という人間は運命に翻弄された人物であったと思う。源義経がいなければ源氏は天下を取れなかったという活躍をしたにも関わらずの兄頼朝の仕打ち。頼朝も人間不信になっていたのだろう。他にも弟・範頼をも謀反の疑いで殺している。
東北の夏に相応しい合歓の花の咲く中、源義経、藤原氏に想いを馳せるひと時であった。
毛越寺が管理している。御朱印は書置きで毛越寺の袋に入れて頂いた。
見事な合歓の花が迎えてくれたのであった。
この階段を上がっていくのだ。
下に流れるは北上川。素晴らしい眺めだ。
夏草や 兵どもが 夢の跡
松尾芭蕉の句碑がある。
義経堂 雄姿を忍びし 合歓の花
『大人の修学旅行』Day3。
平泉ではGW期間中、
『春の藤原まつり』というお祭りが催されている。
https://hiraizumi.or.jp/event/haru_fuji.html
そのお祭りの一環として、
『源義経公追善法要』が高館義経堂で開催されるとのことで、
せっかくの機会だから参列してみることにした。
10時に高館義経堂へ向かった。
毛越寺の住職さんが10名ほど来られていただろうか。
読経しながらお堂の周りを歩いて散華した。
散華はお守りとして頂いて良いとのことで、
何枚か頂いて帰ってきた。
御朱印は書置きで頂いた。
昨年は期間限定の御朱印があったようだが、
今年は通常のもののみの模様。
岩手県西磐井郡平泉に在り世界遺産平泉中尊寺、毛越寺や道の駅平泉等程近い所に所在、行く際の注意は冬季休業在りで3月15日辺りまで休む様で毎年若干違うらしいです、拝観料は在ります、「夏草や 兵どもが 夢の跡」丘の上にあるこの場所は、悲運な最期を遂げた英雄・源義経を思ってか、松尾芭蕉がこの有名な句を詠んだ地です。
義経堂(ぎけいどう)は北上川を見下ろす「高館」(たかだち)と呼ばれる高台にある。
判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。
源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って平泉に逃れた義経が、文治5年(1189年)、最期を遂げ た居館のあった場所とされている。
源義経像 義経は藤原氏4代・泰衡に襲われ、妻子とともに自害した。
義経の首は鎌倉へ送られ、遺体だけがこの地に埋められて、そこに小さな祠が建てられた 。
祠は年月とともに風化したので、天和3年(1683年)、仙台藩主第4代・伊達綱村(だてつなむら)が新たに義経堂を建立した。
現在の堂は1808年に再建されたもの。
宝暦年間(1751~1763年)の作とされる甲冑姿の義経像が本尊として祀られており入り口にて御朱印直書きにて頂けます、歴史的建造物、パワースポット、仏閣、神社巡り、絶景、景色撮影、松尾芭蕉の軌跡、世界遺産平泉観光、参拝、散策、道の駅、散歩、御朱印集め好きな方は是非訪れて見て下さい。
【NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』~源義経ゆかりの名所①】
5月22日(日)放送分で源義経の最期が描かれていたため、そのゆかりの名所をご紹介します。
【陸奥国 名所巡り】
高館義経堂(たかだち・ぎけいどう)は、岩手県西磐井郡平泉町高館にあったとされる奥州藤原氏の居館。源義経の最期の場所として知られる。衣川館(ころもがわのたて)、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。現在は義経堂及び高館は毛通寺の飛地境内となっている。
平安時代末期1185年の壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させた義経は、1187年に兄・頼朝に追われ少年期を過ごした平泉に再び落ち延び、藤原氏三代秀衡の庇護の下、当地高館に居館を与えられた。当時、義経は判官の位にあったことから「判官館」とも呼ばれた。その後1189年4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子・泰衡の急襲に遭い、当地で妻子とともに自害したと伝わる。
当地・高館の丘の頂上には江戸時代の1683年、第4代仙台藩主・伊達綱村が義経を偲んで義経堂を建立し、中に義経の木像を安置した。当地からの眺望は平泉随一と言われ、俳人・松尾芭蕉は1689年に平泉を訪れ「夏草や 兵共が 夢の跡」と詠んでいる。
当堂宇は、JR東北本線・平泉駅の北1kmの北上川東岸の丘の上にある。丘の西側を南北に走る県道110号線(三日町瀬原線)から東方向に坂を登ったところに拝観受付がある。拝観可能エリアは率直広くはない。最も高いところにある義経堂、その手前に宝物館があるが、それ以外には芭蕉句碑など石碑類のみで10分もあれば全て見て廻ることができる。芭蕉も眺めたとされる、東側の北上川、束稲山(東山)の眺望は非常に良い。
今回は、平泉の観光スポットであることから参拝することに。参拝時は休日の午後、参観エリアは混んではいなかったが、観光客は途切れることなく訪れていた。
小丘の上にある<参拝受付>。
拝観券を購入する。御朱印もこちら。
ちょっとした階段を上がる。
階段突き当りからの景色。流れるのは<北上川>。奥の左手が<衣川>。
ちょっと右手に目を移すと、中央の山が<束稲山(東山)>。
入口階段を上がって、すぐ右側の石製小社と石碑。
入口階段を上がって、右手突き当りにある<芭蕉句碑>。
有名な句「夏草や 兵共が 夢の跡」をここで詠んだかと思うと、ちょっと感動。
入口階段を上がって、左手の方に進む。参観路は細い。
4月下旬で満開の桜。東北の春はゆっくり。(o^―^o)
参観路左手にある<頼三樹三郎(らい・みきさぶろう)の詩碑>。幕末の尊王攘夷派の志士、儒学者で、1846年幕府に追われ平泉を訪れた際「平泉落日」の感動を詠んだもの。1858年の安政の大獄で捕まり翌年死罪となった。
参道を進んで左手にある<史料館>。源義経の生涯などの紹介がある。
資料館にある<仁王像>。毛通寺の説明によると、この彫刻は大胆疎放で北方的な趣がある珍しい彫像とのこと。
参観路の階段を登る。
階段を登ったところ。目の前に堂宇が一つだけ建っている。
こちらが1683年に第4代仙台藩主・伊達綱村が建てた<義経堂>。
「白幡大明神」と書かれた扁額と「義経像」。
絵馬とおみくじが無人領布されているが、かなり人気がるみたい。(o^―^o)
義経堂の右奥にある<藤原秀衡公・源義経公・武蔵坊弁慶 八百年御遠忌 宝篋印塔>。1986年造立。
<義経堂>を斜めから。
最後に、義経や芭蕉も眺めたとされる、北上川の流れと束稲山。(^▽^)/
当時の高館は現在地より東寄りと推測されているが、長い年月の間に北上川の浸食を受け て失われた。
吾妻鏡によれば、義経は藤原元成の衣河館(ころもがわのたち)で滞在中に襲われたとあるが、高館が衣河館であったかは不明。
英雄伝説が語り継がれて幾世紀を経るうちに、高館が義経終焉の地とされて多くの文人墨 客が訪れるようになった。
平泉町は昭和44年(1969年)に護岸工事をほどこし、同時に義経堂を元の位置より5m西側 に移転した。
北上川と束稲山 高館への入り口から階段を20段ほど上ると、高台から眺望が開ける。
眼下には北上川が流れ、川向こうには秀峰・束稲山(たばしねやま、別名・東山)、平泉随 一といわれる美しい景色が広がる。
文治2年(1186年)、平泉を訪れた西行は以下の作を残している。
「ききもせず たばしね山の桜花 吉野のほかにかかるべしとは」
束稲山は、安倍頼時(あべのよりとき)治世の頃に1万本の桜を植林した桜花の名所だった。
現在、桜1万本の景観は無い。
西方(展望左手)を望むと、衣川が北上川に流れ込む。ここは前九年の役・後三年の役の古 戦場であり、弁慶の立ち往生で知られた場所。
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