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鹿島神宮ではいただけません
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かしまじんぐう

鹿島神宮のお参りの記録(1回目)
茨城県鹿島神宮駅

投稿日:2021年03月11日(木)
参拝:2020年3月吉日
鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一之宮。旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。東北・関東を中心に全国に約600社ある鹿島神社の総本社。香取神宮(千葉県香取市)、息栖神社(茨城県神栖市)とともに「東国三社」と呼ばれる。また、毎年元旦の早朝、天皇陛下が歳旦祭の前に行う「四方拝」で遙拝される一社。御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。

社伝によると、創建は初代神武天皇元年(紀元前626年)。古代において、鹿島神宮は香取神宮とともに、大和朝廷による東国支配・蝦夷平定の拠点として機能したとし、朝廷が両社を祀ったのが始まりとする説がある。
奈良時代には、藤原氏が鹿島社と香取社を氏神として強く崇敬した。
平安時代には、927年成立の『延喜式神名帳』において常陸国鹿島郡に「鹿島神宮 名神大 月次新嘗」と記載があり、式内社(名神大社)に列し、月次祭・新嘗祭では幣帛に預かっていた。なお、延喜式神名帳で「神宮」の称号で記載されたのは、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社のみ。また常陸国において一之宮に位置づけられるようになった。
中世以降においては、御祭神が武神として崇敬されたことから、武家の信仰が篤く、鎌倉幕府・源頼朝、から寄進があり、江戸幕府・徳川家康からは朱印地が下賜され、その後1605年に家康により本殿造営、1619年に徳川秀忠により現在の社殿一式、1634年に徳川頼房により楼門等が造営された。

当社は、JR鹿島線・鹿島神宮駅の東方1kmの、平地にある丘の上にある。車だと東関東自動車道の終点・潮来ICから7km。境内の広さは70万㎡で東京ドームの15倍。境内の造りの特徴は、東向きの参道に対し、社殿が右手にあり北を向いていること(古の蝦夷防衛のためともいわれている)、社叢がとにかく広いこと。

参拝時は平日の午後一、「東国三社巡り」の2社目として参拝。コロナの猛威が広がりつつあったが緊急事態宣言までには至っていなかったため、参拝客はけっこういた。
鹿島神宮の鳥居
大鳥居。2011年の東日本大震災で旧鳥居が壊れ、境内の樹齢数百年の古木を4本使用して再建。
鹿島神宮の山門
鹿島神宮のシンボルともいえる<鐘楼>。鹿島神宮のオリジナル御朱印帳の表紙にもなっている。
鹿島神宮の手水
左手には立派な<手水舎>。
鹿島神宮の山門
あらためて<楼門>。国指定の重要文化財。1634年初代水戸藩主・徳川頼房の命による造営。三間一戸入母屋造の2階建て、朱漆塗り、銅板葺。日本三大楼門(※)の一つに数えられる。

※鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、筥崎宮(福岡県福岡市)、そして阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の各楼門。
鹿島神宮の建物その他
元帥伯爵・東郷平八郎の筆による扁額。
鹿島神宮の本殿
楼門をくぐって右手には、いきなり<社殿>が現れる。しかも参道は東向きなので、この社殿は珍しい北向き。
鹿島神宮の建物その他
楼門をくぐって左手には、お札やおみくじの<授与所>。
鹿島神宮の本殿
社殿は本殿・石の間・幣殿・拝殿から構成される。いずれも1619年江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の命による造営。いずれも国指定の重要文化財。
<本殿>は三間社流造、向拝一間、檜皮葺。漆塗りで柱頭・組物に彩色。<石の間>は桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺、漆塗りで柱頭・組物に彩色。<幣殿>は桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺、<拝殿>は桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺、柱頭・組物に彩色なしの簡素な意匠。
鹿島神宮の末社
拝殿の右前方に南向きに建つ<仮殿>。1619年本殿造営の際に一時的に神霊を安置するために建てられたもの。構造は桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。国指定の重要文化財。
鹿島神宮の末社
仮殿の手前に建つ、摂社<高房社>。
鹿島神宮の建物その他
拝殿からまっすぐと伸びる道には、祈祷殿、社務所などが続く。御朱印はこの建物の最奥にて。先にここで御朱印帳を預けて、奥の社叢(奥宮、要石、御手洗池)を廻る手順がおススメ。
鹿島神宮の末社
御朱印所のさらに奥に建つ、末社<御厨(みくりや)社>。
鹿島神宮の本殿
再び拝殿まで戻る。ここから左方向の奥参道(社叢エリア)に進む。
鹿島神宮の自然
奥参道には、天まで届きそうな、真っ直ぐ伸びる巨木が建ち並ぶ(写真だと前方に成人男性が一人歩いているが、比較すると巨木の大きさ・太さが分かる)。空気も澄んでいて気持ちが良い。
鹿島神宮の建物その他
奥参道を進むと左手に<さざれ石>。
鹿島神宮の動物
さざれ石のとなりに<鹿園>。数十頭の神の使い・鹿が飼育されていてる。横に売店があり、鹿のエサを買って与えることもできる。
鹿島神宮の末社
さらに奥参道を進むと右手に現れる末社<熱田社>。
鹿島神宮の自然
この樹叢には、スギだけでなくシイ、タブ、モミなどの巨木が生い茂り、植物の種類は600種以上とのこと。
鹿島神宮の本殿
奥参道の突き当りにあるのが<奥宮>(摂社)。1605年に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に本宮として奉納。
鹿島神宮の本殿
いかにも古社らしい、年月を感じる良い雰囲気が漂っている。
鹿島神宮の鳥居
奥宮の突き当りを右手に進むと<要石(かなめいし)>がある。地中深くで地震を起こす鯰の頭を押さえていると言われ、また香取神宮の要石と繋がっていると言われている。
鹿島神宮の建物その他
鹿島神宮の要石は凹型で、香取神宮の要石は凸型。水戸の徳川光圀公が要石の深さを確かめようと7日7晩掘らせたものの、果てが見えず、怪我人続出で諦めた話の記録ある。
鹿島神宮の建物その他
奥宮の突き当りを左手に進み坂を下ると<御手洗池>がある。1日に40万リットル以上の湧水があるらしく、透き通っている。昔は参拝前にここで禊をしたとのこと。
鹿島神宮の建物その他
御手洗池の上には、極太の巨木が覆いかぶさっており、池にはその支えが立っている。
鹿島神宮の本殿
帰りにもう一度<奥宮>。要石と御手洗池を両方見ると、奥宮の場所を3回通ることになる面白い配置。
鹿島神宮の自然
この社叢は癒されます。
鹿島神宮の鳥居
楼門を出たところに、摂末社が集まった場所がある。
鹿島神宮の末社
右手前から反時計回りに廻る。まず末社<須賀社>。
鹿島神宮の建物その他
最奥にある<坂戸社・沼尾社遥拝所>。2つの境外摂社を遙拝する。
鹿島神宮の末社
末社<津東西社>。
鹿島神宮の末社
末社<祝詞社>。
鹿島神宮の末社
末社<熊野社>。
鹿島神宮の鳥居
車祓所の脇にある<稲荷社>。

すてき

御朱印

奥宮。
奥宮。

御朱印帳

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惣一郎1269投稿

2020年1月から寺社仏閣巡りを始めた初心者です。東京在住です。
クルマとバイク、旅行が趣味なので、近くから遠くまで、精力的にお参りしています~♪

■2023年も引き続き、日本各地(目標:寺社巡りをしたことのない都道府県をなくす)を廻ってみたいと思っています~♪ (^▽^)/

①そろそろ<西国・坂東・秩父百観音巡礼>を結願したい。
  残りは和歌山県と、兵庫県日本海側、バイクで行ける近場の秩父。
②天孫降臨の<南九州>を巡る。
③いつかは廻ってみたい<四国八十八カ所巡り>。

(1月)東京都、熊本県、宮崎県、鹿児島県
(2月)福岡県、佐賀県、長崎県、徳島県
(3月)広島県
(4月)大阪府、兵庫県

■2022年は、良かった寺社を再訪しながら、日本各地(目標:47都道府県、実績:20都道府県)の寺社仏閣を廻ってみました(449寺社)。

東京都、三重県、岐阜県、愛知県、静岡県、山梨県、沖縄県、滋賀県、福岡県、長野県、
兵庫県、岩手県、埼玉県、長野県、北海道、富山県、青森県、福井県、佐賀県、山口県

■2021年は、寺院にも力を入れてみました(574寺社)。

①寺院は巡礼を中心に。西国三十三、江戸三十三、鎌倉三十三、秩父三十四、関東三十六、北関東三十六、関東八十八、東国花の寺百ヶ寺。
②神社は、引き続き延喜式内社、旧社格県社以上、総社、一国一社八幡宮、神社本庁の別表神社。
③関東なら鎌倉、やっぱり京都・奈良、チャンスがあれば憧れの熊野・四国・九州。

■2020年は、寺院も神社もよく分からないので、分かりやすそうな神社を中心に回り始めました(366寺社)。

①関東圏の延喜式内社 + 坂東三十三観音。
②関東以外に旅行に行くときは一之宮。
③チャンスがあれば、憧れの伊勢や出雲。

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