ひたちのくにそうしゃぐう
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楽しみ方常陸國總社宮のお参りの記録一覧
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茨城⑨駐車場から令和坂を通って参拝しました。参拝者も少なくて、静かな境内をゆっくりと見て廻ることができました。
1627年頃再建な随身門と随身が歴史を感じて素敵😍随身門の茅葺き屋根に草🌱と苔があるのも良き。
9月の例大祭で舞うのか、帰り際に拝殿の中で巫女さんが舞の練習をしていました。
宝物庫と思われる建物が白壁の蔵でなくて、石積みでモダンでした。
国府と総社の物語
約1300年前の7世紀、現在の茨城県は常陸国と呼ばれていました。広大で海山の幸に恵まれたこの国は全六十余国のうち最上の「大国」とされ、常世の国とも称される憧れの聖地でした。
常陸国の中心地である国府があった場所が旧茨城郡、現在の石岡市です。茨城の県名はここに由来します。国府の長官である国司が執務した国衙跡の遺跡は近年の大規模発掘に伴い国指定史跡に登録されました。
国衙の南側にかつて倭武天皇(ヤマトタケルノミコト)が腰掛けたと伝わる「神石」があります。日本百名山の一つ「筑波山」、日本第二の湖「霞ヶ浦」の悠々たる美景を同時に望めるこの場所に創建された「総社」が常陸国総社宮です。
総社とは、それぞれの律令国に鎮まる八百万の神々を国衙近くの一ヶ所に合祀した神社であり、全国で55社が確認されています。国司たちは総社を拝することで自らが治める国の数多の神々に祈りを捧げたのです。徳川光圀が『大日本史』編纂のために参照したと伝わる社宝「総社文書」は連綿と続く当宮の歴史を今に伝えています。
長大な歴史の波に翻弄され祭祀を中断せざるを得なかった総社もある中で、当宮は創建以来絶えることなく「国府の神祭り」を続けて参りました。その現在の形が最大の祭典である9月の例大祭です。地域を挙げて祝われるため「石岡のおまつり」とも呼ばれ、全国から数十万人もの参拝者が訪れます。









常陸國總社宮、常陸國總社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)は、茨城県石岡市総社にある神社。常陸国総社で、旧社格は県社。社名には新字体の「常陸国総社宮」の表記も用いられるほか、別称として「總社神社、總社神社(そうしゃじんじゃ)」とも称される。石岡の産土神であり、地域住民からは「明神さま」とも呼ばれている。中世には国司代による奉幣の祭祀が3月3日と7月16日に行われていた。また、少なくとも戦国時代まで常陸国内の神事を執行・主導する立場にあり、仏事に対しても関与できるほどの権力を有していた。そして、7名の総社供僧と呼ばれる仏教僧も神社に奉仕していた。永享12年5月(ユリウス暦:1440年5月)には太田道灌が奥州へ向かうにあたって武運を祈るため参拝し、戦に勝って戻った折に軍配団扇1握と短冊2葉を寄進し、以下のような短歌を詠んだ。
「曙の 露は置くかも 神垣や 榊葉白き 夏の夜の月」
道灌の子孫である太田資宗は先祖・道灌の寄進した軍配に感激し、軍配を納める金の梨地の筥(はこ)を作り、その蓋に由緒を書いて寛文8年4月(グレゴリオ暦:1668年5月)に神社へ奉納した。
現在の石岡市が府中松平藩と呼ばれていた江戸時代末期、藩主・松平播磨守に仕えた手塚良庵という藩医がいました。世界的な漫画家・手塚治虫先生のご先祖です。常陸国総社宮では当地と手塚先生の御縁にちなみ、風土記勅撰千三百年の平成25年、手塚プロダクションの協力を得て先生の作品を象った授与品の頒布を開始しました。(神社ページより)
今現在のアニメオタクが、秩父の札所で聖地廻りとかする気持ちが全くわあからなかったのだが。ここ常陸国総社は手塚治虫先生ファンには聖地だ。新しいアニメを理解出来ないでいてごめんなさい。
とにかく、昔ながらの雰囲気のある聖地だ。茅葺屋根の門は手入れが大変だろう。それを思うと感謝だ。人も少なく、ゆっくりと参拝。大和の国から太田道灌、手塚治虫先生と想いを馳せながらの常陸国廻りであった。
神社に向かう道は梅の花に満ちていた。ようこそここへ♪歓迎されているようで有難い。
梅が香や 誘い旧き 社へと
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