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ひたちのくにそうしゃぐう

常陸國總社宮の御由緒・歴史
公式茨城県 石岡駅

ご祭神《主》伊邪那岐命,須佐之男命,邇邇藝命,大国主命,大宮比賣命,布瑠大神
創建時代平安期
ご由緒

略記
1300年もの昔、現在の石岡市は常陸国の国府が置かれ繁栄を極めておりました。国府の長官たる国司が新たに就任すると、国内の神々を参拝するのが習わしでした。その社の神を一箇所に集め祀ったのが総社だと考えられています。
社伝によれば聖武天皇の天平年間、勅命によって天神地祇六柱を国内六府の地に勧請合祀し、
国家の鎮護、皇室の御守護、民衆の幸福を祈願したとございます。当神社は六所明神を御祭神とする最も古い総社のひとつと称え奉られております。中世には一宮鹿島神宮と並び、事ある毎に鎌倉将軍家より奉幣がございました。社宝「総社文書」は当時を記す貴重な史料です。時代は下り戦国時代には大掾氏をはじめ武家の崇敬篤く、永享年間には太田道灌が奥州下向の際に、参籠祈願を行い和歌を残し、軍配を奉納いたしました。旧社格・県社。

例大祭(石岡のおまつり)
9月15日と敬老の日を最終日とする3日間は「石岡のおまつり」と呼ばれる当宮の例大祭。重さ約1トンの大神輿をはじめ、40基ほどの山車・幌獅子が練り歩く勇壮なお祭りには毎年50万人もの見物客が訪れます。

歴史
歴史[編集] 社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)の創建とされる。ただし『石岡市史 下巻』では、総社の制度が確立したのが平安時代末期であることから疑問を呈している[1]。 当初の社名は「国府の宮」であったが、延喜年間(901年 - 923年)に天神地祇(てんしんちぎ)の6柱の神が祀られるようになって「六所の宮」となり、さらに「総社」(古代の読みは「そうじゃ」[2])に名を改めた[3]。また創建当初は現在の常陸国分尼寺跡付近にあったとされるが、天慶年間(938年 - 947年)に大掾氏(平詮国)が常陸府中(石岡)に築城した際に鎮守のために現社地に遷したという[4]。神...Wikipediaで続きを読む
引用元情報常陸國總社宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%9C%8B%E7%B8%BD%E7%A4%BE%E5%AE%AE&oldid=94480822

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