ひたちのくにそうしゃぐう
常陸國總社宮公式茨城県 石岡駅
参拝時間自由。
授与所開所時間 午前9時から午後5時
園遊会の最終日で、この後15時から宮司の講話を聞けるとのことでしたが、2時間あとでしたので、残念でしたが今日は見送り。
七五三の参拝者と歩きながら、菊の展示、倭文織の展示を見て来ました。秋の装いできましたが、半袖でいいくらい暑くなりました。
花手水
神楽殿
倭文織
境内社
主祭神は伊弉諾尊、大国主尊、素戔嗚尊、瓊々杵尊、大宮比売尊、布留大神、社格等は常陸国総社、旧県社、創建は(伝)天平年間(729年-749年)本殿の様式は流造、別名、總社神社・明神さま、例祭は常陸國總社宮大祭(9月の第3月曜日を含む土日月)茨城十二社の一社、社名には新字体の「常陸国総社宮」の表記も用いられる他、別称として「總社神社、總社神社(そうしゃじんじゃ)」とも称される。石岡の産土神であり、地域住民からは「明神さま」とも呼ばれている、古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの常陸国の総社にあたる。当社は石岡の中心市街地を抱く丘陵の縁辺に鎮座し、西から南にかけて恋瀬川の低地を望み、社地は旧常陸国衙に隣接する、氏子は1994年(平成6年)時点で約2,500戸で、各町ごとに氏子会が組織されている、
毎年9月に催行される例祭「常陸國總社宮例大祭」は「石岡のおまつり」とも称され、関東三大祭りの1つに数えられる、社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)の創建とされる。ただし『石岡市史 下巻』では、総社の制度が確立したのが平安時代末期であることから疑問を呈している。
当初の社名は「国府の宮」であったが、延喜年間(901年 - 923年)に天神地祇(てんしんちぎ)の6柱の神が祀られるようになって「六所の宮」となり、さらに「総社」古代の読みは「そうじゃ」に名を改めた、また創建当初は現在の常陸国分尼寺跡付近にあったとされるが、天慶年間(938年 - 947年)に大掾氏(平詮国)が常陸府中(石岡)に築城した際に鎮守のために現社地に遷したという、神主は代々清原氏が世襲していた
常陸國總社宮を参拝しました。
フォローさせていただいている方の投稿で見かけた御朱印帳、ジャングル大帝だ、可愛い〜!しかも大判サイズ! これは是非とも、というわけで、自宅からも車で1時間半ほどだったので、仕事のお休みを利用して行きました。
手塚治虫先生と常陸國總社宮の関係は、江戸時代末期にこの地の藩主に仕えた藩医が手塚治虫先生のご先祖だったから、とのことです。
道にある看板を目印に駐車場へ向かう道がまあまあ幅細めなので対向車に気をつけてゆっくりと。駐車場は広いです。鳥居をくぐりたい方は、駐車場を背にして左方向に行くと鳥居が見えて来ます。
土俵、境内社数社、日本武尊が腰掛けた石…と色々ありました。
参拝後社務所へ。ジャングル大帝の御朱印帳の見本がありました。青とピンク、どちらにしよう。ピンクの御朱印帳は持っていないからピンクにしようかな、と決めかけたのですが、絵柄が青の方がくっきり見えたのが最終的な決め手となり、青にしました。長いこと迷ってしまい申し訳無かったです。
で、帰ろうとしたその時! ふと見えたのが「おみたらし道」と刻まれた石碑。説明を読むとどうやら禊場への道とのことで、せっかくなので降りて行ってみました。羽音が強めの虫たちにおののきながら降りて行くとかすかに水の流れる音が聞こえました。
帰りにトイレをお借りして…土俵を背に駐車場へ向かう途中左手にありましたよ。
御朱印帳持ち込みでもお書き入れいただけます。
参道に例大祭の提灯が飾られています。
土俵がありました。
お祭りと相撲大会のお知らせ
御神木と拝殿
拝殿へ続く石段。かなり角度あります。
おみたらし道?
おみたらしとは
半分ほど降りて振り返ったところ。
鳥居の手前が禊場?
御神水チョロチョロ
1月 元旦祭、新年特別祈願祭
2月 節分祭、祈年祭
3月 神武天皇遥拝式、春季慰霊祭、の祭り
4月 交通安全特別祈願祭
5月 御田植祭
6月 夏越大祓・茅の輪くぐり神事
7月 祇園祭、青屋祭
9月 例祭(15日)、神幸祭、奉祝祭、還幸祭
10月 観月祭
11月 總社園遊会、七五三祭
12月 新嘗祭、寒中禊、師走(歳越)大祓
略記
1300年もの昔、現在の石岡市は常陸国の国府が置かれ繁栄を極めておりました。国府の長官たる国司が新たに就任すると、国内の神々を参拝するのが習わしでした。その社の神を一箇所に集め祀ったのが総社だと考えられています。
社伝によれば聖武天皇の天平年間、勅命によって天神地祇六柱を国内六府の地に勧請合祀し、
国家の鎮護、皇室の御守護、民衆の幸福を祈願したとございます。当神社は六所明神を御祭神とする最も古い総社のひとつと称え奉られております。中世には一宮鹿島神宮と並び、事ある毎に鎌倉将軍家より奉幣がございました。社宝「総社文書」は当時を記す貴重な史料です。時代は下り戦国時代には大掾氏をはじめ武家の崇敬篤く、永享年間には太田道灌が奥州下向の際に、参籠祈願を行い和歌を残し、軍配を奉納いたしました。旧社格・県社。
例大祭(石岡のおまつり)
9月15日と敬老の日を最終日とする3日間は「石岡のおまつり」と呼ばれる当宮の例大祭。重さ約1トンの大神輿をはじめ、40基ほどの山車・幌獅子が練り歩く勇壮なお祭りには毎年50万人もの見物客が訪れます。
名称 | 常陸國總社宮 |
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読み方 | ひたちのくにそうしゃぐう |
通称 | そうしゃぐう |
参拝時間 | 参拝時間自由。
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参拝にかかる時間 | 30分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 真ん中に常陸國総社宮と書かれた御朱印です。夏越大祓の限定御朱印もあります。
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0299-22-2233 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | soushagu@poplar.ocn.ne.jp |
ホームページ | http://sosyagu.jp/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
茨城十二社 第11番 |
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ご祭神 | 《主》伊邪那岐命,須佐之男命,邇邇藝命,大国主命,大宮比賣命,布瑠大神 |
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創建時代 | 平安期 |
文化財 | 常陸國總社宮例大祭(市指定無形民俗文化財)
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ご由緒 | 略記
例大祭(石岡のおまつり)
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭りアニメなどサブカル武将・サムライ伝説花手水 |
概要 | 常陸國總社宮、常陸國總社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)は、茨城県石岡市総社にある神社。常陸国総社で、旧社格は県社。 社名には新字体の「常陸国総社宮」の表記も用いられるほか、別称として「總社神社、總社神社(そうしゃじんじゃ)」とも称される。石岡の産土神であり、地域住民からは「明神さま」とも呼ばれている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)の創建とされる。ただし『石岡市史 下巻』では、総社の制度が確立したのが平安時代末期であることから疑問を呈している[1]。 当初の社名は「国府の宮」であったが、延喜年間(901年 - 923年)に天神地祇(てんしんちぎ)の6柱の神が祀られるようになって「六所の宮」となり、さらに「総社」(古代の読みは「そうじゃ」[2])に名を改めた[3]。また創建当初は現在の常陸国分尼寺跡付近にあったとされるが、天慶年間(938年 - 947年)に大掾氏(平詮国)が常陸府中(石岡)に築城した際に鎮守のために現社地に遷したという[4]。神...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「常陸國總社宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%9C%8B%E7%B8%BD%E7%A4%BE%E5%AE%AE&oldid=101255091 |
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