ひたちのくにそうしゃぐう
常陸國總社宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
例大祭(石岡のおまつり)の御朱印が頒布されているということでお参りしてきました。
今年も大幅に規模を縮小して執り行われたそうです。
花手水
奉納提灯
摂社も例大祭仕様になっていました。
拝殿
手塚治所縁の神社です。駐車場に停めて裏から入った為、表参道に戻って改めて参拝。表参道から隋神門迄雰囲気が良く、今迄の神社の中でも上位の神社でした。禊場や拝殿前の石段は下りませんでしたが、十分堪能しました。ただ拝殿前で結婚式の方が記念撮影をしていたので、拝殿正面の写真を撮り忘れました。境内には茅の輪が設置されていましたので、少し早いですが、くぐってきました。御朱印は別にアニメ好きではないのですが、手塚治は別格でアニメ入りの御朱印に惹かれました、書き置きなので今回は諦め基本の御朱印を書き入れて戴きました。
鳥居
灯篭
良い感じの参道
直角に曲がって隋神門へ
禊場
おみたらし道 ここを下ると禊場に行けます
境内社
茅の輪
日本武尊 腰掛石
拝殿 横から
扁額
本殿
神楽殿
神井
御神木
駐車場からの裏参道
12末社 左から須佐之男命 大山祇命 木花咲耶命 猿田彦命 高雨龍命(たかおかみ 雨冠に龍) 経津主命 大己貴命 少彦名命 菅原道真命 誉田別命 宇気母遅神 武甕槌神 神様の幹事は本当に難しい
神社天皇遥拝所
石段上から 下にはいきませんでした
狛犬
由緒書
境内社 松尾神社
境内社 愛染神社
境内社 厳島神社 愛宕神社
境内社 星宮神社 香丸稲荷神社
隋神門 茅葺屋根が素敵
山高神代桜
手水舎
土俵
灯篭
手塚治虫作品とコラボした御朱印が頒布されているというのでお参りしてきました。ホームページによると期間限定ですが混雑を避けるために9月の例大祭の頃ぐらいまで扱うとのことです。
相撲場
手水舎。 私が訪れた時は清掃中で使用できませんでした。
拝殿
本殿
石岡駅に『石岡のおまつり』と地元で呼ばれている例大祭の時に使われる山車のミニチュアが展示されています。
観光案内所の向かいには実物の山車が格納というか展示されています。
日立の神峰神社参拝後、電車で石岡駅まで移動、「ひたちのくにそうしゃぐう」へ参拝しました。石岡駅から15分くらいでした🚶
石岡は歴史の町のようで、歴史を巡るウォーキングコースの案内版がいくつもありました。
着いた〜 暑い〜
奥行きありそうな参道です♪
やっぱり参道は涼しい😃
随身門。藁葺き屋根でした。
土俵がありましたよ。
日本武尊の腰掛け石です。なんか浮いて見えるような…
はい気のせいです💦
拝殿
御神木です。火事で半分焼けてしまったそうで真っ黒です。
神様がたくさんいらっしゃいました🙏
書置きの御朱印を拝受しました。手塚プロダクションと書いてあります👍
さて帰ろう!
参道にある燈籠ですが、獣燈って書いてる?
献燈の旧字体かなぁ。
おじゃましました!
3月限定の御朱印があると聞いて参拝しました。
グーグルマップに導かれるままに石岡駅から15分くらいで着きました。
本当にここかな?と思いながら細くて木々に囲まれた参道を進みました。
多分表参道ではないと思ったら後から調べたらこの参道は旧参道だそうです。
結構傾斜のきつい石段。
別に表参道があってそちらは地形の関係でしょうが平坦でした。
拝殿
狛犬さん
クスノキの御神木
神武天皇遥拝所がありました。
昔は奈良の橿原は遠過ぎてそう簡単に直接参拝できなかったかと。
珍しくカレンダー通りの連休が取れたので、東国三社巡り+霞ヶ浦周辺の集印旅行をしてみることにしました。
まずは都から常陸の国に派遣された国司の気分でここに。
というかウチから正攻法で霞ヶ浦方面に行こうとすると、どうしても筑波山の真ん前に出されるため、さすがに筑波山まで寄るとかなりタイトスケジュールになるので、誘惑断ち切るためにあえて筑波の裏を通りダイレクトに石岡へ(^_^;)
總社宮と佐志能神社でちょうど御朱印帳が一冊終わり。 御朱印帳のイラストのような完璧な装束の巫女さんが書いてくれました(*´Д`)
漫画の神様のお守りもゲット、私的にはメルモちゃんかリボンの騎士か奇子辺りが欲しいところですが、まぁ火の鳥でいいでしょうw
もしも手塚先生が神主だったとしたら、やはり「その程度の御朱印、ボクにも書けるんですよ!」とかいろんな寺社に嫉妬しまくったんだろうかとか考えてみたりwww
常陸國總社宮は(ひたちのくに・そうしゃぐう)は、茨城県石岡市総社にある神社。常陸国総社で、旧社格は県社。祭神は伊弉諾尊、大国主命、素戔嗚尊、瓊瓊杵尊、大宮比賣尊、布留大神の6柱。石岡の産土神。
社伝によると、奈良時代の天平年間(729年~749年)の創建であるとしている。当初「国府宮」と称したが、平安時代の延喜年間(901年~923年)に天神地祇の6柱の神を祀り「六所宮」となり、総社制度の確立で「総社」と改めた。創建時は現在の常陸国分尼寺跡付近にあったとされるが、天慶年間(938年 - 947年)に大掾氏(平詮国)が常陸府中(現石岡)に築城した際に鎮守のために現社地に遷したという。室町時代の1440年に太田道灌が奥州征討に向かう途上で当社にて戦勝祈願し、戦勝後、軍配団扇1握と短冊2葉を寄進した。江戸時代になると、1627年に常陸府中藩主・皆川隆庸が現在の社殿を再建、江戸幕府からは朱印地25石を下賜された。明治時代になると、近代社格制度の下郷社に列し、のちに県社に昇格した。昇格紀念の扁額は三条実美の筆。
当社は、JR常磐線・石岡駅の西南西1kmの緩やかな丘陵地の縁にある。境内はわりと広人としていて、社殿や社務所も大きく、ちゃんとした建物の境内社も多く建っている。
今回は、常陸国の総社であることと、式内論社である佐志能神社(染谷)の御朱印を拝受できることから参拝することに。参拝時は週末の午後、参拝時はちょうど菊まつりを開催していたほか、時期的に七五三の時期だったこともあり、祈祷希望者も含め、わりと多くの人たちが参拝に訪れていた。
駐車場にバイクを停めると、この参道だけが見えたのでこちらに進んでみる。他にも何人かこちらに進んでいるので合っていそう。(^▽^)/
赤い燈籠がいくつも出てきたので、徐々に気分が盛り上がる。
最初の境内社は、参道左側の<十二社>。少し変わっているのは、神社の名前ではなく、神様の名前が書いてある。左から須佐之男命、大山祇命、猿田彦命、といった具合。
参道の右側上方に<社殿>が見えてくる。
<社殿>全景。拝殿も本殿も大きくて立派。きれいに手入れがされている。
<拝殿>全景。大きな庇、華やかな外観。
<拝殿>正面。拝殿がそれほど高くなっていないので、拝殿内がよく見える。普段から昇殿祈祷が多い感じ。
拝殿前の<御神木>。
拝殿前にポツンと建っている<神武天皇遙拝所>。これは珍しい。
拝殿近くにある石碑類。
社殿の左側にある<神楽殿>。左右の建物と廊下で繋がっていて、その手前では菊が飾ってある。七五三向けかな。
神楽殿の向かいにある境内社群。左から順に見ていくと、、、
一番左は<松尾神社>。
二番目は<愛染神社>。
三番目は<厳島神社・愛宕神社>。
最後は<星宮神社・香丸稲荷神社>。
神楽殿の左隣にある<社務所>。実は複数階建てになっていて、一番下の階の外側に駐車場がある。
社務所の前にある<古井戸>?
境内全景。
社務所棟の左側にある石造りの立派な建造物。宝物庫のようなものかな?
門があるのでくぐってみると<隋神門>。あれ?やっぱり参拝順序が完全に逆では?(^_^;)
隋神門の前の敷地も広く、<相撲場>がある。
ポツンと建っている境内社。
しっかりとした屋根付きの<手水舎>。
こちらが駐車場。この左方向に進んだがこれは不正解で、右側の坂道を登って行くのが正解だったみたい...(^_^;)
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