ひたちのくにそうしゃぐう
常陸國總社宮のお参りの記録一覧
園遊会の最終日で、この後15時から宮司の講話を聞けるとのことでしたが、2時間あとでしたので、残念でしたが今日は見送り。
七五三の参拝者と歩きながら、菊の展示、倭文織の展示を見て来ました。秋の装いできましたが、半袖でいいくらい暑くなりました。
花手水
神楽殿
倭文織
境内社
休みを利用して日帰り弾丸茨城県ツアー。
1社目は総社宮常陸国へ。
しかしながら、今回の日帰り巡拝の根幹を揺るがす大事件が・・・😓
いつも下道を使って1社目の到着を8:30くらいに到着するように夜中に出発してるのですが、今回もいつもと同じように夜中の3時に出発。
栃木に入ったあたりでコンビニに立ち寄った際に、何と財布を家に忘れてきたことが判明😭
心挫けてあえなくUターン。
前々日くらいからこの日のためにガソリン満タンにしたり両替したりと準備してたのにガッカリしながら自宅へトボトボ😞
しかしながら、朝の7時から急に予定に空白になってしまって戸惑ったことと、やるせなさでどうにかならないものかとスマホをぽちぽちしてたら、どうやら普段使わない高速を使えば1時間くらいはタイムロスを回収できそうなことが判明。
急遽高速に飛び乗ってリスタートしました🚗💨💨
当初の予定では筑波山神社に行って、こちらの神社はスケジュール的に諦めてたのですが、高速出口の位置関係から通り道だということがわかり、スケジュール調整してこちらの神社を1社目として参拝しました⛩️
1時間遅れを見込んでいましたが、校則が順調だったこともあって30分遅れにまで挽回👍
気を取り直して日帰り巡拝ツアー再会です😄
参道
社号標
鳥居
ここから山道は砂利道に
境内内の参道
左に曲がると随神門を含めた社殿が見えてきます
ご由緒
手水舎
奉納相撲の土俵
随神門
社殿
斜めから
何とか本殿も見れました
扁額
社殿前の狛犬さん
社殿の向かい側には御神木
昔起きた火災のために右側が黒コゲになってますが、そこから若木が出て行くという力強い生命力を感じさせます
日本武尊の腰掛け岩
総社宮なので、いろんな神様が摂社末社で大集合
中には愛染明王を祀った愛染神社も。
こちらは武甕槌や木花之佐久夜毘売などのメジャー級の神様が祀られてます。
大絵馬
イラストは手塚治虫
ブラックジャックとのコラボ御朱印も頒布してましたが、何か繋がりがあるのでしょうか??
恐竜の御朱印もあるんですねぇ〜
拝殿の目の前には急な石段がありますが
スロープ状の参道も完備
足腰の弱い方でも安心して参拝できます。
社殿前で御朱印と
主祭神は伊弉諾尊、大国主尊、素戔嗚尊、瓊々杵尊、大宮比売尊、布留大神、社格等は常陸国総社、旧県社、創建は(伝)天平年間(729年-749年)本殿の様式は流造、別名、總社神社・明神さま、例祭は常陸國總社宮大祭(9月の第3月曜日を含む土日月)茨城十二社の一社、社名には新字体の「常陸国総社宮」の表記も用いられる他、別称として「總社神社、總社神社(そうしゃじんじゃ)」とも称される。石岡の産土神であり、地域住民からは「明神さま」とも呼ばれている、古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの常陸国の総社にあたる。当社は石岡の中心市街地を抱く丘陵の縁辺に鎮座し、西から南にかけて恋瀬川の低地を望み、社地は旧常陸国衙に隣接する、氏子は1994年(平成6年)時点で約2,500戸で、各町ごとに氏子会が組織されている、
毎年9月に催行される例祭「常陸國總社宮例大祭」は「石岡のおまつり」とも称され、関東三大祭りの1つに数えられる、社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)の創建とされる。ただし『石岡市史 下巻』では、総社の制度が確立したのが平安時代末期であることから疑問を呈している。
当初の社名は「国府の宮」であったが、延喜年間(901年 - 923年)に天神地祇(てんしんちぎ)の6柱の神が祀られるようになって「六所の宮」となり、さらに「総社」古代の読みは「そうじゃ」に名を改めた、また創建当初は現在の常陸国分尼寺跡付近にあったとされるが、天慶年間(938年 - 947年)に大掾氏(平詮国)が常陸府中(石岡)に築城した際に鎮守のために現社地に遷したという、神主は代々清原氏が世襲していた
5年ぶりの“週末の節分”という事で参拝出来ました。お天気に恵まれ最高の一日でした。
直書き御朱印帳を購入しました。
現在の石岡市が府中松平藩と呼ばれていた江戸時代末期、藩主・松平播磨守に仕えた手塚良庵という藩医がいました。世界的な漫画家・手塚治虫先生のご先祖です。常陸国総社宮では当地と手塚先生の御縁にちなみ、風土記勅撰千三百年の平成25年、手塚プロダクションの協力を得て先生の作品を象った授与品の頒布を開始しました。(HPより)
御朱印帳。昔のマンガは育て方、生き方を学べたような気がする。YouTubeで“ライオン”の生態を見ると、生きる力が見れる。
手水舎。
随神門(寛永4年、1645年)
拝殿。
昭和39年に発生した火災によって類焼しましたが、幹の周囲から次第に蘇生し、現在も力強い生命を保っています。当宮では御神木として大切に保存しています。(HPより)
御本殿(寛永4年、1645年)
“日出ずる国”常陸国だなぁ~と、茨城県にいると、太陽がどこから昇っても感じる私。
YouTube二子山部屋sumo food、面白い。
応援します。
最前列は小学生以下のエリアとする配慮が好感度抜群。子供連れ優先でシルバーシートは後ろにしてしまえば良い。
年配者が紙袋、段ボール箱上げる姿は老害だよなぁ~悲しい神州。
年寄りは、若者の見本になって頂きたいと~他県の自治会、私より。
カメラに当たるかも?と(笑)
結構後ろから押される、子供には危険ですね。
年寄りほど割り込んでくるからタチが悪い、いつの間にか私は後退していた。
シルバーシートは柵作って後ろが良い。
1回目終了時、後ろを向いた瞬間に私の前にポトンと来福、何気嬉しい。“御天道様は見ている”。
今回もDAISOの折り畳みイスが大活躍、踏み台に化けた。百均でデカイまな板を購入して天板に載せると足元が安定します。
昇殿祈祷して豆まき。
祈祷者から、我々一般者に御裾分け(豆まき)。
歌手相川七瀬(48)が31日までにインスタグラムを更新。現在通っている国学院大・神道文化学部の卒業論文とその発表を終えたことを報告した。大学院に進学する予定。(日刊スポーツ紙より)
“夢見る少女じゃいられない”が神道文化学部の選択とは立派な女性です。
政治家になって“御天道様が見てるよ”の道徳を布教して頂きたい。
“常陸国”で“豆まきの巡礼”笠間稲荷→〆鹿島神宮(太陽信仰)。
相川様は、ただ者ではないなぁ~。
“建国の鹿島神宮”の地位向上に努めて頂きたい。
私の立ち位置は一般者のデッドライン、前の女性二人は関係者。この辺りから子供優先エリアに進入します。
子供にあやかってスマホ片手に立つ親、マナー良く後退する親、色々な人間模様が見れて面白い。
子供の花道!私の前に立つと普通に注意します(笑)
子供連れ優先エリアも必要ですね。
ニコニコして始まり、豆まきでリスキーになる修羅場。煩悩の集まりアメージング。
私は門徒、浄土真宗は“豆まき”、おみくじ、御守り、御朱印等々も無い、勿論参加すると楽しいけれど“信心”あるのみ。
神道(自然信仰)は共同宗教、仏教は個人宗教の考え方に賛同してます。
常陸国総社宮例大祭で露払いを行う獅子頭です。材料は保存に適した檜(ヒノキ)材を用いており、重量は17kgもあります。髪は馬の毛を利用しています。 はっきりとした制作年代は分かりませんが、宝暦年間(1715~1764)頃、照光寺の本堂を修理した際に大工さんがお世話になったお礼に製作したという言伝えが残っています。(HPより)
高天原、日出ずる国、日高見国、常陸国。ここ茨城県は好きだなぁ~。感無量の一日でした。
関係者の方々に感謝感謝です。
久し振りの参拝。
なんだかとっても行きたくなったんだから仕方ない。
そんな時はきっと呼ばれているんだ!と思いながら。
獅子頭の交差点、目印でとてもいい👍
車椅子の参拝者がいたけれど、駐車場からの坂は行きも帰りも辛そうだなーと思った。
仕事柄危ない操作とか気になってしまうがちゃんとしててウンウン、と立ち去る私。
古龍印 ヒタチノクニサウルスとサシノサウルス
綺麗に飾られてました。
門松であー、お正月だなって気分が盛り上がる。
面白いな!と思った。このおみくじの結び方は楽しいと思う。
1300年も前、常陸国の国府が現在の石岡市に置かれ、国府の長たる国司が新たに就任すると、国内の神々を参拝するのが習わしであり、その社の神を1ヶ所に集め祀ったのが総社と考えられているそうです。
さすが総社!年始参りの参拝者でいっぱいです。
写真を撮るのに一苦労。お顔が写っていないものはアップしちゃいました。
駐車場から少し歩きます。
花手水
黄色を中心にアレンジしてますね。
ロウバイもあった!
茅葺の隋神門
水みくじを🐉の形に縛っていきます。
まだまたお正月
御神木
拝殿
本殿
常陸國總社宮⛩️へ久しぶりにやって来ました🎵
9月に例大祭が行われましたね☺️
例大祭の切り絵御朱印を頂きました🎵
ブラックジャックとのコラボ御朱印もありますよ❗
御朱印
例大祭の切り絵御朱印
参ります✨
静寂さ
拝殿
御神木
記念御朱印もあります。
常陸國總社宮を参拝しました。
フォローさせていただいている方の投稿で見かけた御朱印帳、ジャングル大帝だ、可愛い〜!しかも大判サイズ! これは是非とも、というわけで、自宅からも車で1時間半ほどだったので、仕事のお休みを利用して行きました。
手塚治虫先生と常陸國總社宮の関係は、江戸時代末期にこの地の藩主に仕えた藩医が手塚治虫先生のご先祖だったから、とのことです。
道にある看板を目印に駐車場へ向かう道がまあまあ幅細めなので対向車に気をつけてゆっくりと。駐車場は広いです。鳥居をくぐりたい方は、駐車場を背にして左方向に行くと鳥居が見えて来ます。
土俵、境内社数社、日本武尊が腰掛けた石…と色々ありました。
参拝後社務所へ。ジャングル大帝の御朱印帳の見本がありました。青とピンク、どちらにしよう。ピンクの御朱印帳は持っていないからピンクにしようかな、と決めかけたのですが、絵柄が青の方がくっきり見えたのが最終的な決め手となり、青にしました。長いこと迷ってしまい申し訳無かったです。
で、帰ろうとしたその時! ふと見えたのが「おみたらし道」と刻まれた石碑。説明を読むとどうやら禊場への道とのことで、せっかくなので降りて行ってみました。羽音が強めの虫たちにおののきながら降りて行くとかすかに水の流れる音が聞こえました。
帰りにトイレをお借りして…土俵を背に駐車場へ向かう途中左手にありましたよ。
御朱印帳持ち込みでもお書き入れいただけます。
参道に例大祭の提灯が飾られています。
土俵がありました。
お祭りと相撲大会のお知らせ
御神木と拝殿
拝殿へ続く石段。かなり角度あります。
おみたらし道?
おみたらしとは
半分ほど降りて振り返ったところ。
鳥居の手前が禊場?
御神水チョロチョロ
ジャングル大帝の限定御朱印帳を頂くため参拝させていただきました。8:30前に到着したのですが9/15の例大祭の準備でお神輿の移動や氏子さんと思われる方々で境内の大掃除が始まったところでした。
とりあえず9時まで近くの公園で時間をつぶし、落ち着いてきたところで無事に御朱印帳、ちょうど発売されたブラックジャックコラボのファイルと例大祭期間限定の切り絵御朱印も頂くことができました。
写真を撮っていたらお掃除されてた方にどこから来たのですかと声をかけられ、手塚先生の御朱印帳を買いに来ましたと少しお話しして例大祭はとても混むとのことで早めに来てよかったです。
参道
手水舎
随神門
ヤマトタケルノミコトが東征の途中腰掛けられたとされる腰掛石
拝殿
お掃除中に裏手に出たところで拝見した御神木様
ジャングル大帝コラボ御朱印帳。毎年例大祭とお正月の期間限定で販売されるようです。
コラボファイル「つづる」
切り絵御朱印頂きました。つづるファイルに入れられます。
御朱印とお守りも頂きました。
水天宮から移動し、総社宮に参拝いたしました。
入口にある随神門がすごく趣がありました。ここをくぐり、奥までいくと左側に拝殿、本殿があります。とても立派なものでした。その拝殿の反対側に、御神木と日本武尊の腰掛石があります。境内はすごく広いというわけではありませんが、見どころはたくさんありました。
拝殿、とても立派でした
由緒
随神門、雰囲気がすごく良くありませんか
日本武尊の腰掛石、手塚治虫さんとのコラボになるんですね
日本武尊の腰掛石
御神木
近いと大きさがわからないので、御朱印を書いていただいているときに、社務所前から撮りました
御田植祭の稲です、青々として元気です
はさみ紙
駐車場から来る途中にある境内案内
御本殿
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