いなだじんじゃ
稲田神社のお参りの記録一覧
石井神社から車で10分ほど、稲田神社を参拝しました。
石段を上った先には清々しい空間がありました。
参拝後、「御朱印→」の看板から宮司さま宅に入り、呼び鈴を押すと、女性が出てこられ、「御朱印帳お持ちでしたらお書きしますよ。」とおっしゃってくださいました。拝殿にも御朱印受付の所にも「感染対策のため、書き置きとさせていただきます」と案内がされていたため、お書き入れいただけて嬉しかったです😊
お書き入れで拝受しました。
さ、頑張っていきましょう!
この辺りの空気がとても気持ちいい! と娘が何度も深呼吸していました。
拝殿
本殿
クシナダ姫をお祀りする神社。
櫛名田比売は素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する時、櫛に変身して素戔嗚尊の髪に挿し付いて守ったという美女神様。こちらの由緒書きには奇稲田姫と表記されてます。
クシナダ姫を中心にご家族がお祀りされていて、知識の無いあたしでも分かりやすいです。
大山祗神社の前に駐車しましたので、社殿を過ぎて正面まで来ました。
由緒書き
御朱印はご自宅で頂けるようでしたが、お留守でした。残念😢
階段左の天満宮
ちょっと危険なので、会釈で失礼しました。
手摩乳、脚摩乳の娘も蛇神らしいです。
稲田を守る姫とは、、田圃の敵、ネズミの天敵
🟰蛇神
面白いですね!
拝殿
蛇神かと思うと、〆縄も蛇に見えて来ました!
拝殿から延びる渡り廊下には奉納者名簿があります。長い!
渡り廊下の先は神楽殿かな?
本殿
拝殿左に手摩乳神社
稲田姫のお母さん(テナヅチ)
手の無い神様🟰蛇神
向かい合うようにある脚摩乳神社
稲田姫のお父さん(アシナヅチ)
脚の無い神🟰蛇神
背にはパワーのありそうな御神木。
本殿の隣り八雲神社
素戔嗚尊は旦那さん
大山祗神社
稲田姫の祖父母みたいです。
やっぱりくしさん、来てた(^^)
平安時代に編さんされた『延喜式』に新治郡(現在の笠間市・桜川市・筑西市)唯一の名神大社(みょうじんたいしゃ)と記される『稲田神社』。名神大社とは古代における神社の格式のひとつで、簡単に言うと格式の高い神社ということです。
この『稲田神社』には、稲田の地名の由来にもなったひとつの伝説が残されています。稲田神社から少しだけ離れた森の中に、奥の院と呼ばれる稲田神社本宮跡があり、すぐ近くに好井(よしい)と呼ばれる現存する泉があります。ある日、水を汲みに来た若者がその水面に美しい女の人の姿を見ます。誰かと訪ねると「スサノオノミコトの妃(きさき)、クシナダヒメ」と答えたそうです。そのことからやがて神社が建てられ、好井から水を引いた小さな3枚の神田で稲が作られました。「稲田」という地名は、このクシナダヒメを祀る神社があり、神に供える稲を作る田があることから付けられたと言われています。
今回、私的に一番行きたかったのがこちら
目的はもちろん櫛稲田姫を我が女神社に迎えること(*´Д`)
クシナダちゃんに会うだけなら、八坂・八雲・須賀みたいなスサノオを祀る神社に行けば、たま~に摂社があるけどまず御札はない(´・ω・`)
なので主宰神になってるここなら確実に手に入るだろうと!
もちろん、スサノオじゃなく敢えてクシナダヒメの方が主宰神になっている神社自体が非常に珍しいので、民俗学・神話学的にも興味津々・・・本当ですよw
・・・予想以上に良い神社だった(* ̄∇ ̄*)
まさかアシナヅチ・テナヅチまで祀られてて、完璧に出雲神話の世界が再現されてるとは♪
さすがにヤマタノオロチに相当するような龍神・蛇神は祀られてませんでしたがw
少し前に笠間の八坂神社で印象的なオロチ退治の額絵を見たばかりなのもあって、神話的雰囲気に浸れました。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
・・・なんて厨二心全開で日本最古の和歌を口ずさんでみたりw
今回は親同伴だったので、奥の院やその横にあるというクシナダヒメが顕現したという磐座までは行けず(つД`)
次回はぜひそっちも拝んでみたいですね。
書き置きでした
宮司さん不在でしたが、奥様が対応してくださいました
ついにクシナダヒメをスサノオからNTR・・・(*´Д`)
(バチが当たりますw)
参道にこれまた見事な桜が
宮司さん宅の前の池の回りでは種類の違う桜がコラボ
ホント良い時期に来たなぁ(*´∀`)♪
階段途中に天神社がありました
手水舍
アシナヅチ
アシナヅチの後ろの木
凡人の私でも凄いパワーを感じ取れるような見事な御神木
・・・てかこの木、人間の顔みたいなボコボコがいくつも浮き出てなくね?(((;゚Д゚)))
まぁ全てシミュラクラ現象だと思いますけどw
テナヅチ
こちらの横にも神木らしき注連縄の巻かれた木がありました。
装飾は少ないが重厚な本殿です
ここでは素戔嗚尊が境内社w
神楽殿・・・ではなそう なんだろ?
出雲神話以外の摂社 秋葉神社
こちらはお稲荷さん
右手にロケットのような大きな忠魂碑がありました
大山祇神社
姫の祖先神まで祀ってあるという拘り様!
右手は公園? 何か広い空き地になっていて、ここにも桜がたくさんありました
奥にも石造物が見えたので拡大
うーん・・・立派な石柵で囲まれてるけど、たぶんこれは個人のお墓か奥津城でしょうね(^^;
宮司さん宅の前に古民具がありました
ん!?これは・・・!
北斗の拳で、プロレスラーを絞め殺した男(自称)が腕相撲に負けた台や!!(゚∀゚)
稲田神社(いなだ~)は、茨城県笠間市にある神社。式内社(名神大)で、旧社格は県社。主祭神は奇稲田姫命。
創建は不詳。当社は律令制以前から当社のある新治郡を治めていた新治国造が奉斎したと考えられている。六国史等の正史には当社の記載はないが、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「常陸国 新治郡 稲田神社 名神大」と記載されている。鎌倉時代には領主の笠間氏の保護を受けたが、室町時代末期に兵火で社殿を焼失、1602年に伊奈忠次が再建した。江戸時代の1694年には徳川光圀が参詣し、古社の衰微を嘆き、社宝の四神旗などを奉納した。1845年に社殿を焼失、1848年に再建した。明治時代の近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR水戸線・稲田駅の西方500mほどの、幹線道路(国道50号線)沿いの住宅街奥の丘の上にある。幹線道路近くにある大鳥居から長い参道を進むと、少し上がったところに大きな社殿がある形で、社殿周りは広くはないが、全体としては旧県社の風格がある。
今回は、常陸国の式内社、茨城県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分たち以外には参拝者はいなかった。
※社殿に登る階段手前の右側にある宮司さん宅にて御朱印を拝受できる。
境内南端にある<一の鳥居>。社号標は左背後にある。大きな鳥居に長くて幅の広い参道は、名神大社・旧県社にふさわしい堂々としたもの。
50mぐらい歩いただけでは、なかなか奥がどうなっているのか見えない。(^▽^)/
いよいよ高台の境内への階段。巨大な石碑は<神域改修記念之碑>。その後ろには2つ目の<社号標>。
階段の途中左側にある<天満宮>。
階段の途中に<二の鳥居>があり、これをくぐるとすぐ左側に<手水舎>がある。
階段を登り切ったところから、<拝殿>全景。江戸時代末期の1848年の再建。
<拝殿>正面。凝った彫刻などはなく簡素。中央に正統派の扁額が掛かる。
拝殿の左手には<社務所>のような建物があり、屋根付きの渡り廊下で拝殿と繋がっている。
社務所近くにある<手摩乳(てなづち)神社>。祭神の奇稲田姫命の母親。こちら『日本書紀』の表記で、『古事記』だと「手名椎命」。
脚摩乳・手摩乳の夫婦には8人の娘がいたが、八岐大蛇に7人は餌食になり、末娘の奇稲田姫命が狙われる直前、素戔嗚尊が現れ八岐大蛇を退治し、奇稲田姫命を素戔嗚尊の妻とした。
巨木の袂にある<脚摩乳(あしなづち)神社>。祭神の奇稲田姫命の父親。こちらも『日本書紀』の表記で、『古事記』だと「足名椎命」。
拝殿後ろの<本殿>。横幅のある拝殿のイメージよりからするとコンパクトなサイズ。
社殿近くの<秋葉神社>。当社の境内社は、社殿は小さいが立派な石製の社号標がある。
境内奥にある<稲荷神社>。
<本殿>をもう一度。凝った彫刻などはないが、手入れも行き届いており質実剛健なイメージ。
本殿の右側にある<八雲神社>。祭神は素戔嗚尊。素戔嗚尊は奇稲田姫命の夫なので、境内には奇稲田姫命を中心に両親・夫が揃っていることになる。
真横から<社殿>全景。落ち着いた佇まい。
拝殿と社務所。渡り廊下で繋がっているのは、神事の都合かな?
一の鳥居の手前、少し離れたところにメインの<社号標>がある。
なお、ここから北西300メートルほど離れた山中に、奇稲田姫之命の降臨地とされる奥の院が鎮座しているとのこと。今回は参拝せず。
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