いなだじんじゃ
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平安時代に編さんされた『延喜式』に新治郡(現在の笠間市・桜川市・筑西市)唯一の名神大社(みょうじんたいしゃ)と記される『稲田神社』。名神大社とは古代における神社の格式のひとつで、簡単に言うと格式の高い神社ということです。
この『稲田神社』には、稲田の地名の由来にもなったひとつの伝説が残されています。稲田神社から少しだけ離れた森の中に、奥の院と呼ばれる稲田神社本宮跡があり、すぐ近くに好井(よしい)と呼ばれる現存する泉があります。ある日、水を汲みに来た若者がその水面に美しい女の人の姿を見ます。誰かと訪ねると「スサノオノミコトの妃(きさき)、クシナダヒメ」と答えたそうです。そのことからやがて神社が建てられ、好井から水を引いた小さな3枚の神田で稲が作られました。「稲田」という地名は、このクシナダヒメを祀る神社があり、神に供える稲を作る田があることから付けられたと言われています。
稲田神社(いなだ~)は、茨城県笠間市にある神社。式内社(名神大)で、旧社格は県社。主祭神は奇稲田姫命。
創建は不詳。当社は律令制以前から当社のある新治郡を治めていた新治国造が奉斎したと考えられている。六国史等の正史には当社の記載はないが、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「常陸国 新治郡 稲田神社 名神大」と記載されている。鎌倉時代には領主の笠間氏の保護を受けたが、室町時代末期に兵火で社殿を焼失、1602年に伊奈忠次が再建した。江戸時代の1694年には徳川光圀が参詣し、古社の衰微を嘆き、社宝の四神旗などを奉納した。1845年に社殿を焼失、1848年に再建した。明治時代の近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR水戸線・稲田駅の西方500mほどの、幹線道路(国道50号線)沿いの住宅街奥の丘の上にある。幹線道路近くにある大鳥居から長い参道を進むと、少し上がったところに大きな社殿がある形で、社殿周りは広くはないが、全体としては旧県社の風格がある。
今回は、常陸国の式内社、茨城県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分たち以外には参拝者はいなかった。
※社殿に登る階段手前の右側にある宮司さん宅にて御朱印を拝受できる。
境内南端にある<一の鳥居>。社号標は左背後にある。大きな鳥居に長くて幅の広い参道は、名神大社・旧県社にふさわしい堂々としたもの。
50mぐらい歩いただけでは、なかなか奥がどうなっているのか見えない。(^▽^)/
いよいよ高台の境内への階段。巨大な石碑は<神域改修記念之碑>。その後ろには2つ目の<社号標>。
階段の途中左側にある<天満宮>。
階段の途中に<二の鳥居>があり、これをくぐるとすぐ左側に<手水舎>がある。
階段を登り切ったところから、<拝殿>全景。江戸時代末期の1848年の再建。
<拝殿>正面。凝った彫刻などはなく簡素。中央に正統派の扁額が掛かる。
拝殿の左手には<社務所>のような建物があり、屋根付きの渡り廊下で拝殿と繋がっている。
社務所近くにある<手摩乳(てなづち)神社>。祭神の奇稲田姫命の母親。こちら『日本書紀』の表記で、『古事記』だと「手名椎命」。
脚摩乳・手摩乳の夫婦には8人の娘がいたが、八岐大蛇に7人は餌食になり、末娘の奇稲田姫命が狙われる直前、素戔嗚尊が現れ八岐大蛇を退治し、奇稲田姫命を素戔嗚尊の妻とした。
巨木の袂にある<脚摩乳(あしなづち)神社>。祭神の奇稲田姫命の父親。こちらも『日本書紀』の表記で、『古事記』だと「足名椎命」。
拝殿後ろの<本殿>。横幅のある拝殿のイメージよりからするとコンパクトなサイズ。
社殿近くの<秋葉神社>。当社の境内社は、社殿は小さいが立派な石製の社号標がある。
境内奥にある<稲荷神社>。
<本殿>をもう一度。凝った彫刻などはないが、手入れも行き届いており質実剛健なイメージ。
本殿の右側にある<八雲神社>。祭神は素戔嗚尊。素戔嗚尊は奇稲田姫命の夫なので、境内には奇稲田姫命を中心に両親・夫が揃っていることになる。
真横から<社殿>全景。落ち着いた佇まい。
拝殿と社務所。渡り廊下で繋がっているのは、神事の都合かな?
一の鳥居の手前、少し離れたところにメインの<社号標>がある。
なお、ここから北西300メートルほど離れた山中に、奇稲田姫之命の降臨地とされる奥の院が鎮座しているとのこと。今回は参拝せず。
名称 | 稲田神社 |
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読み方 | いなだじんじゃ |
通称 | 稲田姫 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《合》経津主命,菅原道真,大山咋命,大日貴命,《主》奇稲田姫之命 |
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体験 | 御朱印 |
Wikipediaからの引用
概要 | 稲田神社(いなだじんじゃ、稻田神社)は、茨城県笠間市稲田にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 創建は不詳。『稲田姫宮神社縁起』(江戸時代)によると、当地の邑長武持の家童が稲田好井の水を汲もうとすると、泉の傍らに女性が現れた。家童の知らせで武持が尋ねると「自分は奇稲田姫で当地の地主神である」と答え、姫の父母の宮・夫婦の宮を建て、好井の水で稲を作り祀るよう神託を下したという[1]。当社の北西300メートルの稲田山中腹には本宮(奥の院)が鎮座するが、本宮の祠左手には巨石が突き出ており、この磐座が稲田姫の降臨地と伝わっている[1]。 また、当社は新治国造が奉斎した神社と考えられている[1]。新治国造は律令制以前に新治郡地域を治めたとされる国造で、『先代旧事本紀...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 初祈祷 (1月1日)[1] 節分祭 (2月3日) - 閏年は4日に行う。 祈年祭 (2月19日) 祇園祭 (7月30日) 素盞鳴尊が奇稲田姫命が本宮の地で再会したという故事に因む盛大な祭で、神輿が本宮で一夜を過ごす[2]。 例大祭 (11月17日) ^ 祭事は境内説明板による。 ^ 引用エラー: 無効な タグです。「神々」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません |
引用元情報 | 「稲田神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=91469143 |
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