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しょうごんじ|高野山真言宗荘林山

荘厳寺
兵庫県 船町口駅

御朱印について御朱印
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限定
-
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パーキング
駐車場
あり

無料駐車場あり

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きどっち
きどっち
2022年03月13日(日) 17時57分03秒
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高野山真言宗 荘林山 荘厳寺

黒田官兵衛ゆかりの古刹となっています。
白雉3年(652年)に法道仙人の開基。
御本尊の十一面観世音菩薩は法道仙人の自作で、脇壇には昔から仙人の立像が安置されているとのこと。

慶長年間(1596~1614)の盛時には10か寺の塔頭を構えていたそうで、徳禅上人が古跡を訪ねて当山に入り、堂宇を修理して「荘林山荘厳寺」を再興。
慶安年間(1648~1652)には、姫路城主本多政勝氏から鐘楼が寄進され、正徳5年(1715年)には多宝塔が再建されました。

黒田官兵衛と荘厳寺の関係ですが、黒田官兵衛の一族、黒田氏の歴代について記された略系図が所蔵されています。
この略系図は、歴代の黒田城主9代と8代目城主までの正室の御霊を弔う願文として、官兵衛の母の出生地であると伝えられている比延山城主の末裔・勝岡嘉作氏によって、文化6年(1809年)に奉納されたとのこと。
この中に黒田官兵衛の出自は多可郡黒田村(現在の西脇市黒田庄黒田)であると記されています。

また播州一帯では「鬼追い行事」が行われていたそうで、荘厳寺でもかつては行われていました。
鬼追い行事とは、疫病などの厄を祓うために行われた行事で、その当時の青大鬼や赤大鬼の面、田踊りに使用した道具類が今も残されているそうです。

秋に訪れると石段の紅葉がとてもきれいだろうなと思います。
新緑の季節も清々しくて良いかもしれませんね。

荘厳寺のその他建物

寺標

荘厳寺のその他建物

この手前(写真の左手)に駐車場があり、ここからは緩やかで苔むした石段を上っていきます。
約300mほどの長さです。
雨の日は苔で滑りやすいかもしれません。

荘厳寺のその他建物

奥に見えているのは大師堂

荘厳寺のその他建物

階段を上り続けると本堂が見えてきました!

荘厳寺の本殿・本堂

本堂
慶長16年(1611年)に再建された本堂「観音堂」

荘厳寺の芸術
荘厳寺の本殿・本堂
荘厳寺の手水舎
荘厳寺の仏像
荘厳寺の本殿・本堂
荘厳寺のその他建物

多宝塔

荘厳寺のその他建物
荘厳寺の末社・摂社

三社八幡宮

荘厳寺のその他建物

鐘楼

荘厳寺の末社・摂社

鐘楼のすぐそばに建つ祠

荘厳寺のその他建物

石段の参道途中に略系図の展示場があります。
拝観料200円ということで、セルフでお金を納めます。
またこちらで書置き御朱印をいただけます。

荘厳寺のその他建物

略系図のまとめたもの

荘厳寺のその他建物

こちらが展示されている略系図の一部

荘厳寺のその他建物
荘厳寺のその他建物
荘厳寺の歴史

荘厳寺縁起

荘厳寺の歴史

播磨黒田氏と黒田城の説明

荘厳寺のその他建物
荘厳寺のその他建物

かんべえくんと光さん

荘厳寺の御朱印

書置きの御朱印

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歴史

当山は白雉年間(650〜)に天竺の僧法道仙人の開基と伝えられる観音霊場である。慶長年間(1596〜)に、徳禅上人が当山に入り、堂宇を修復して再興され、爾来真言宗高野山派の末寺として法幢を輝かした。盛時には本堂への参道沿いに十ヶ寺程の塔頭を構えこいていたようで現在その建物跡地から住持のことが偲ばれる。
宝暦年間(1751〜)には社町の朝光寺と鴨川の西光寺(廃寺)を行場とする権現信仰の修験道の寺として交流していたことが伺われる。
駐車場右手参道を登り切った正面には本堂を中心とした堂宇がある。

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荘厳寺の基本情報

住所

兵庫県西脇市黒田庄町黒田1589

行き方

JR加古川線「本黒田駅」より徒歩30分

アクセスを詳しく見る
名称

荘厳寺

読み方

しょうごんじ

参拝時間

略系図展示室9:00〜17:00

参拝料

境内無料、略系図展示室:200円

トイレ駐車場にトイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0795-28-4751
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号

荘林山

宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代

白雉三年(652)

開山・開基

法道仙人

文化財

多宝塔(県指定文化財)

ご由緒

当山は白雉年間(650〜)に天竺の僧法道仙人の開基と伝えられる観音霊場である。慶長年間(1596〜)に、徳禅上人が当山に入り、堂宇を修復して再興され、爾来真言宗高野山派の末寺として法幢を輝かした。盛時には本堂への参道沿いに十ヶ寺程の塔頭を構えこいていたようで現在その建物跡地から住持のことが偲ばれる。
宝暦年間(1751〜)には社町の朝光寺と鴨川の西光寺(廃寺)を行場とする権現信仰の修験道の寺として交流していたことが伺われる。
駐車場右手参道を登り切った正面には本堂を中心とした堂宇がある。

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