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加西市の多聞寺に向かいました。
多聞寺様は曹洞宗のお寺様です。
御本尊は釈迦牟尼仏をお祀りされています。
1616年に後藤基次(又兵衛)の三男の佐太郎が父を弔うために建立しました。
後藤基次は小説等では豪放磊落な武将として描かれることの多い武将で、黒田家には黒田孝高(官兵衛)の代より仕えて黒田二十四騎に数えられるほどでした。
基次は経験に基ずく直感型で豪胆な武官。それに対して孝高の後継の長政は熟慮断行型であり、調略、計略は父の孝高に並ぶか それ以だった上かも知れません。
孝高は小早川隆景より「もう少し慎重に」と諫言されるほど即断即決型。その孝高から見れば長政は優柔不断に見えるほどだったようです。
長政と基次の間が拗れそうになると、孝高が間に入り取りなしていたようですが、孝高の死後は間を取りなす者がなくなり基次は黒田家を出奔します。
無い物ねだりで惹き合っていた時期もありましたが、元々は水と油のような関係です。一旦、離反すると帰参するのは難しかったようです。
最期は1615年大坂夏の陣…
基次は西軍、長政は東軍。
基次は現在の大阪柏原市の玉手山で孤軍奮闘し討死しています。
この日は檀家様の法要があり、御本堂に上がることは出来ませんでしたが、境内にはキリシタン地蔵(背面に十字架が彫られてます)など見所がたくさんあります。
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兵庫県加西市にあるお寺です。後藤又兵衛の菩提所として有名なお寺です。
山号は祝融山 宗旨は曹洞宗 ご本尊は釈迦牟尼仏です。
加西西国三十三ヶ所 第十六番札所です。
お参りした日はちょうど法事だったようで お話を聞くことはできませんでした。
こちらの御朱印はとても人気があります。書置きではありましたが 拝受できました。
まあまあ広い境内は 観るものが多く それなりに時間がかかりました。
季節柄美しい風車で飾られていました。
心地よい風でくるくる回る風車をくぐり 裏手に進めます。
裏手の庭は美しく 少し表情の変わったお地蔵様もいらっしゃいます。
キリシタン地蔵尊は見ておきたいです。
背面に十字架のある 首から上のないお地蔵様です。
由縁については HPに
戦国の武将 後藤又兵衛基次公と祝融山多聞寺との関係は非常に深く 黒田官兵衛率いる「黒田二十四騎」の一人として そして大坂夏の陣 「大坂城五人衆」の一人として 西軍である豊臣の軍勢につき 河内道明寺の戦いにおいて東軍である徳川の軍勢に対し 真っ先に立ち向かい 孤軍でおよそ八時間奮戦したが 後続の真田幸村(信繁)らの軍が濃霧に阻まれて到着が遅れ 又兵衛は孤軍のまま壮絶な戦いの末 武将としての本懐を遂げ討ち死にしました。(元和元年五月六日亡)
その翌年の元和二年(1616)に 又兵衛の三男佐太郎(太郎正方)が父を弔うために 尾崎村の岩本勘兵衛家から土地の寄進を受け 又兵衛の命日(5月6日)である一周忌に合わせて多聞寺を建立開創しました。
とありました。


祝融山 多聞寺
~花手水に癒され A・R・E 祈願~
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦牟尼仏
十一面千手千眼観世音菩薩
毘沙門天
御本堂脇の部屋には、「後藤又兵衛の間」
墨絵師の御歌頭さんの大迫力の作品群と、
甲冑武具、鎧兜。金文字御朱印。
御住職はご法要でお忙しい中、
ハマの「寺(テラ)」リストさんの巡礼にお時間を作って下さいました。
ハマテラスさんも貴重な🐯💚お土産をお渡しされて、 ONLY ONE 「御本尊毘沙門天 猛虎神撃」特別御朱印をお受けになられていました。
御住職もお写真を撮影されたご様子で、近く見せて頂けるかも知れませんょ。🐯💚
毎回 驚きと感動を与えて下さる多聞寺さまです。
ありがとうございました。
またお参りさせて下さい。
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加西市尾崎町288番


祝融山 多聞寺
~大人気 御朱印帳+直書御朱印✴後藤又兵衛の間~
山号 祝融山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦牟尼仏
十一面千手千眼観世音菩薩
毘沙門天
創建年 年(860年)
札所等
加西西国三十三観音霊場
第16番
御詠歌
あら尊と 参る心は お尾崎の
仏の御声 多く聞く寺
大坂夏の陣で情死した猛将後藤又兵衛親子を弔うため、後藤又兵衛の一周忌にあたる、元和2年(1616年)に、棟上・開山したと伝えられています。境内の中央には樹齢160年の山桃の大木がそびえ、中央に御本堂、東に庫裏、西に書院と位牌堂などが並んでいます。新築された御本堂は荘厳で、虹梁形頭貫やその上の龍の彫刻、大棟の獅子口などは見応え十分です。
山門を入りすぐに右にある石棺を利用した三界万霊塔も見逃せません。また、毎年12月14日には、赤穂義士の小野寺十内と幸右衛門親子の法要が営まれ、2人の義勇を今もたたえています。
御本堂脇の「後藤又兵衛の間」には、墨絵師の御歌頭さんの大迫力の作品群と、甲冑武具、鎧兜。
多聞寺さまは後藤又兵衛の菩提寺でありますが、御住職は 大河ドラマ「真田丸」の又兵衛さながらに格好がよく、生まれ代わりの方ではないかと思いました。
第二弾御朱印帳の見開き最初頁の
後藤又兵衛を金文字直書して頂きました。
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加西市役所や観光協会にも残っていない、加西西国三十三観音霊場の案内書を分けて戴くことができました。拝受できた御朱印帳は、「加西西国三十三観音霊場」の御朱印帳として大切に巡礼できたらと思います。
ありがとうございます。💖
加西市尾崎町288番
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祝融山 多聞寺
~miracle 多聞寺 117~
山号 祝融山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦牟尼仏
十一面千手千眼観世音菩薩
毘沙門天
札所等
加西准西国三十三観音霊場 第16番
御詠歌
あら尊と 参る心は お尾崎の
仏の御声 多く聞く寺
「黒田二十四騎」の一人、後藤又兵衛基次公と関連が深い祝融山多聞寺さま。
元和元年(1615)5月6日 武将としての本懐を遂げ討ち死にした後藤又兵衛基次公。
その翌年の元和二年(1616)に、又兵衛の三男佐太郎(太郎正方)が父を弔うために、尾崎村の岩本勘兵衛家から土地の寄進を受け、又兵衛の命日(5月6日)である一周忌に合わせて多聞寺を建立開創されました。
♯大坂夏の陣
♯山田村
♯播磨鑑
♯小寺政職公
♯赤穂浪士
♯大友の殿様
♯黒田藩
♯キリシタン
♯真田十勇士
♯赤穂義士
♯容真御流(ようしんごりゅう)
♯加西市
♯大分市
♯播磨下里駅
♯北条鉄道
♯鶉野飛行場
♯soraかさい
♯阪神タイガース🐯
常陸国笠間藩主の浅野長直に、正保2年(1645)6月、赤穂への転封が命じらました。
ここに浅野赤穂藩が誕生しました。以後江戸城刃傷事件があった元禄14年(1701)まで、初代浅野長直公、2代長友公、3代長矩公の三代にわたり浅野家の支配がつづきました。 赤穂藩が誕生した当時、所領は約5万3500石でしたが、赤穂郡一円は117ヶ村3万5200石で、加えて飛地として、佐用郡に5ヵ村1200石、加東郡に24ヶ村8200石、そして加西郡に33ヶ村8900石の所領がありました。つまり赤穂藩のうち約三分の一にあたる所領が加西郡・加東郡にあり、加東郡穂積に代官役所を置き当地を管理していました。 当時赤穂領であった加西の村々は、現在の上万願寺、下万願寺、上若井、下若井、大内、上道山、下道山、広原、上野、佐谷、上芥田、下芥田、山田、甲和泉、大工、馬渡谷、鍛治屋、油谷、青野、田谷、小印南、国正となっており、加西市の北部が赤穂藩でした。
~かさい観光ナビより~
本日、決心して加西市の多聞寺さまにお参りに上がりました。
ご多忙の御住職にご拝顔できるとも思ってはいませんでした。
来月祥月命日の義父から、うちは加西の北部の出所で、真田十勇士の御墓へもお参りに上がるようにと聞かされ、今年は加西西国霊場を巡拝するためでした。
曹洞宗御本山永平寺の御朱印帳を握りしめていると、境内をお掃除されていた御住職が御本堂へ。失礼とは思いましたが、お声かけさせて頂き、お忙しい中貴重なお時間を戴きました。
御住職は永平寺御朱印帳をご覧頂くと即座に「私は1年半、息子は二年 永平寺で修行させて頂きました」と教えて下さり、「第十八世宮崎奕保禅師様」や志方城のお話も下さいました。
また、初めて苗字を正確にお呼び下さり、嬉しいご縁に恵まれました。
来月御住職のお時間ができましたら、主人と再びお参りに上がらせて戴きますことをお伝えして多聞寺さまを後にしました。
多聞寺御住職、みーちゃま🐯、ハマテラス先生、芝っちさま。
不思議な幾多のご縁に恵まれましたことに
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。💖
加西市尾崎町288番
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曹洞宗 祝融山 多聞寺
黒田二十四騎の一人、後藤又兵衛基次の菩提寺。
昨年の11月に多聞寺さんを初めて参拝させていただいてから、今回が3回目のお参り。
11月はご住職のお誕生日ということで、今年の11月の直書き御朱印をいただける日に伺わせていただきました。
私の前には2組いらっしゃいましたが、先にお参りを済ませて待つこと30分ほど。
ご住職にお誕生日のことをお話すると「誕生日を覚えていただいてたとは嬉しいです」と。
そしてこの多聞寺さんの前にお参りに行った百代寺のご住職のことなどもお話いただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。
さらにいつかは欲しいと思っていた多聞寺さんの御朱印帳がまだあるとのことで、迷わずいただくことに。
この御朱印帳には、裏にご住職が願主の名前を直接書き入れてくださり、「身体健全 交通安全 心願成就 諸縁吉祥」の祈祷をその場でしてだけます。

仕事の帰りに、気になっていた多聞寺さんへ。思い切って行ったら直書き御朱印はお休みの日でした。
そんな事も知らずに花手水を鑑賞していたら、住職さんがこられて
「花手水、今朝新しくしたところですよ。ごゆっくり楽しんでくださいね♪」と声をかけていただきました。
何も知らず「御朱印お願いできますか?」と聞くと、笑顔で「いいですよ。準備しますね」って。
その後、御朱印は今日は書き置きのみだと知り、お礼を改めて言いました。
御朱印帳が、なんとも言えないキレイな藤色で思わず拝受。
御朱印帳には後藤又兵衛の墨色御朱印をもれなく書いていただけるのですが、それだけでなく
この御朱印帳を持って他の神社仏閣に参拝にいく道中、事故に遭わないよう健康でいられるよう、私の名前を御朱印帳に書き込んでくださり、祈念してくださいました。
ありがたすぎました。
青海波、花天井、花手水、全てがキレイでキチンと手入れがされていて、住職さまのお人柄が伝わりました。
何回もお伺いすることになりそう♡

曹洞宗 祝融山 多聞寺
昨年11月以来の二度目の参拝。
前回参拝した際はたまたまご住職のお誕生日で、他の参拝者もたまたま途切れたこともあってご住職とお話できたのですが、今回はお盆中でお忙しい時期だったためご住職にお会いできませんでした。
こちらは黒田官兵衛に仕えた後藤又兵衛基次の菩提寺になります。
又兵衛の真牌(位牌)は今も本堂に奉安されています。
またこちらの多聞寺のことを調べていると、後藤又兵衛だけではなく、赤穂浪士にゆかりのあるお寺でもあるようです。
「かさい観光ナビ」のHPによると、
『赤穂藩で京都留守居役を務め、吉良邸討ち入りに参加した小野寺十内と小野寺幸右衛門親子の子孫が多聞寺の檀家であることから、江戸時代から毎年12月14日に義士祭が行われています。』
との記載がありました。
実はこの日、多聞寺に車で到着して、いざお参り!と思った矢先に近くでガシャーンという大きな音が。
何かが崩れたのかな?と思いつつ参拝しているとパトカーや救急車のサイレンがどんどん集まってきました。
近くで車が横転するほどの事故があったようで、事故があった現場を参拝後通る予定だったため、もう少しタイミングが後だったら自分が巻き込まれていたかも?と思うとちょっとぞっとしました。


神社用の御朱印帳は、静岡や福岡での神社で授かりストックしてあるのですが、お寺用の御朱印帳はストックがなく、今使用中の分の残りページが僅かとなり、次はどちらのお寺さんで授かろうかと考え、前々から狙い定めていた後藤又兵衛の御朱印帳のある多聞寺さんに決定❗️全国から望まれるほど人気あるカッコイイ御朱印帳で有名です。皆さまご存知ですか?😊墨絵師の御歌頭さんのイラストです。
後藤又兵衛の菩提寺ですが、大河ドラマで又兵衛はとてもカッコ良く強く描かれていましたね。その場所に来れたことに感動します。
多聞寺さんにはこれまでにも何度か参拝試みましたが、何故かご縁がなく、今回は前もってご連絡し、お約束取り付けていただいた上での参拝です。🙇♀️
御住職がとても温かく、親切に迎えて下さりありがとうございました。又兵衛を語り継がれるお姿やお話の全てに感動してしまいました。🥰
堂内の撮影は許可を得まして、たくさん頑張りましたが皆さまに素晴らしさが伝わりましたでしょうか?🤗
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曹洞宗 祝融山 多聞寺
黒田二十四騎の一人、後藤又兵衛基次の菩提寺です。
又兵衛は黒田官兵衛に仕え、身長は180cmを超える巨漢だったと云われています。
「槍の又兵衛」としても有名で、槍の扱いには非常に長けていた武将です。
慶長19年(1614年)に「大坂の陣」が勃発、又兵衛は豊臣軍に付きました。
元和元年(1615年)、道明寺の戦いにおいて徳川軍と対立。
8時間にわたり孤軍奮闘の戦いの末、討ち死にしました。
そしてその翌年、又兵衛の三男佐太郎が父を弔うために、尾崎村の岩本勘兵衛家から土地の寄進を受け、又兵衛の命日(5月6日)である一周忌に合わせて多聞寺を建立されたとのこと。
現在も又兵衛の真牌(位牌)を本堂に奉安されています。
私がこちらを参拝させていただいたのは11月6日でしたが、なんとご住職のお誕生日だということで、花手水のお花もいつもより少し豪華にされていたようです。
お昼時ということもあり、たまたま他に参拝者もいらっしゃらなかったため、色々とお話もお聞きすることができました。
これも素敵なご縁ということで、また必ずお参りしたいお寺様の一つになりました。
ただ残念なことが一つ。
私がこの日訪れた際、ご住職が本堂前に置かれていた書き置きの御朱印の整理をされていたんですが、どうやらマナーの悪い参拝者もいるようで、とても困っていらっしゃいました。
ご住職も仰っていましたが、きっとそういった方には夢で後藤又兵衛が甲冑姿で登場し罰を与えてくれることでしょう。
なお最近までコロナの影響で御朱印は書き置きのみだったようですが、直書きの御朱印も再開されたとのことで、しっかり直書き御朱印を拝受致しました。
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