とまりじんじゃ
泊神社のお参りの記録一覧
兵庫県加古川市にある神社です。
お参りするのは2回目になります。
祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)・国懸大神(くにかかすのおおかみ)です。
宮本伊織ゆかりの神社で田原氏(宮本伊織の実家)の氏神でもあります。
なるほど それで御朱印にも境内の碑にも宮本伊織が描かれているわけですね。
境内はとても広く 摂社がいくつもあります。
写真は撮っていませんが 神楽殿と能殿もあります。
境内の片隅には 城跡である石積みが残されています。
季節の御朱印がとても美しいのでご覧ください。
由緒については
伝承によれば 天照大神が天岩戸に隠れたとき 八百万の神々が 大神の怒りを解くために鏡を造り 1つは伊勢神宮に祀られ 1つは海に流された。
大和時代 それが当神社のある場所に泊まり着き そこにあったアオキの木を檍原泊大明神として祀ったのが泊神社の始まりとされる。
飛鳥時代に聖徳太子が鶴林寺を建立した際 側近で棟梁であった秦河勝が紀伊国から彼の氏神である国懸大神を勧請し社殿を建立したという。
南北朝時代には 石弾城が築かれていた。
1653年(承応2年)には 宮本伊織が宮本武蔵の供養の意を込め全社殿一式を再建した。
とありました。
少し離れた所に大鳥居
楼門
拝殿
本殿
拝殿と幣殿
幣殿と本殿
由緒書
参拝しました。駐車🅿️🚗場は境内に数台。直書き御朱印を頂きました。数人の方が御朱印に来られてました。
直書き御朱印です。
神社の入り口です。
手水舎。
舞台。
社殿です。
絵馬掛け。
兵庫県加古川市にある神社です。
主祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、国懸大神(くにかかすのおおかみ)です。
ウィキペディアに以下のように書かれていました。
天照大神が天岩戸に隠れたとき、八百万の神々が、大神の怒りを解くために鏡を造り、1つは伊勢神宮に祀られ、1つは海に流された。大和時代、それが当神社のある場所に泊まり着き、そこにあったアオキの木を檍原泊大明神として祀ったのが泊神社の始まりとされる。飛鳥時代に聖徳太子が鶴林寺を建立した際、側近で棟梁であった秦河勝が紀伊国から彼の氏神である国懸大神を勧請し社殿を建立したという。南北朝時代には、石弾城が築かれていた。1653年(承応2年)には、宮本伊織が宮本武蔵の供養の意を込め全社殿一式を再建した。
幣殿は新しいのですが、本殿は歴史を感じる建物です。
本殿の西側には摂末社が並んでいます。
大きな神社ならではだと思うのですが、立派な能舞台もあります。
加古川薪能が催されるそうです。
宮本武蔵ゆかりの神社らしく、御朱印にも宮本武蔵が描かれていました。
他にも美しい季節替わりのイラスト御朱印があります。
泊神社(とまり神社)
~令和四年神無月後半「柿と栗」御朱印~
主祭神 天照大神
少彦名神
国懸大神(くにかかすのおおかみ)
社格等 郷社
神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています。
現在の社殿は、承応2年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築した時のものといわれています。
また、南北朝時代の石弾城(いしはじきじょう)の石垣と思われるものや宮本伊織寄贈の花崗岩製の灯篭、市指定文化財の36歌仙図絵馬が残っています。
~加古川市観光協会
観光スポット案内より~
南国朝時代の石弾城跡
弁財天(市杵島姫命)
摂社末社
宮本伊織公寄進の石燈籠
朝に、舞台『巌流島』のオンライン製作発表の様子がテレビから流れてきました
剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎の「巌流島の戦い」に焦点を当て、闘いの裏に隠された人間ドラマなどを新解釈で描かれているそうで楽しみです。
武蔵・横浜流星さま♡小次郎・中村隼人さま
宮本伊織公&泊神社さまにもスポットを当てて下さい。♡✴
宮司さま御神職さまにお忙しい中ご対応頂き、「撒饌」も頂戴しました。
ありがとうございました。
加古川市加古川町木村658
music voice提供 『巌流島』舞台製作発表画像より
神無月後半限定「柿と栗」御朱印
御撒饌 美味しい瓦煎餅を頂戴しました
泊神社(とまり神社)
~令和四年 泊神社秋祭ご案内と
10月前半「コスモス」御朱印~
主祭神 天照大神
少彦名神
国懸大神(くにかかすのおおかみ)
社格等 郷社
令和四年 泊神社秋祭について
十月八日 宵宮
本殿神事 十四時半~
十月九日 本宮
本殿神事・御旅所祭 十三時~
奉納包丁儀式 十四時~
神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています。
現在の社殿は、承応2年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築した時のものといわれています。
また、南北朝時代の石弾城(いしはじきじょう)の石垣と思われるものや宮本伊織寄贈の花崗岩製の灯篭、市指定文化財の36歌仙図絵馬が残っています。
~加古川市観光協会
観光スポット案内より~
今回は
南国朝時代の石弾城跡
弁財天(市杵島姫命)
摂社末社
をじっくりお参りさせて頂きました。
神職さま(宮司様お母様?)のお話によると、
神職さまのご祖父様が、近隣の個人さまの依頼により、白竜稲荷神社、月讀神社、熊野神社はお引き受けお祀りされているとのことでした。
⛩️も少し離れた処にありかつての敷地の広大さを偲ばせ、東向きで月讀神社と共に神宮方を向いていらっしゃる様に感じます。
加古川市加古川町木村658
秋祭ご案内
随神門
手水舎
宮本伊織公は、泊神社を再建した際、
自身の出自や武蔵の出身などを記した
棟札や、三十六歌仙図絵馬(加古川市指定文化財)を奉納されました。
絵馬
泊神社 神無月前半限定御朱印
いしはじき城跡🏯の石垣石碑
石弾城(いしはじきじょう)の石垣と蛭子神社
手前は住吉神社♡
熊野神社
月讀神社
白竜稲荷神社
弁財天社
左奥に彼岸花
彼岸花の先には⛩️
御本殿もご立派です
宮本伊織寄進の灯篭
(宮本伊織とその一族である田原正久寄贈の花崗岩製の灯篭 燈籠全高274、全高165)
本殿裏の玉垣内で見ることができます
撒饌
今回もまた違う撒饌を頂戴いたしました
ありがとうございます
おまけ
ぱん吉🍀さま🐼 poo🐻さま♡
北海道のみなさま♡💐
泊神社(とまり神社)
~9月後半「彼岸花と赤とんぼ」御朱印~
主祭神 天照大神
少彦名神
国懸大神(くにかかすのおおかみ)
社格等 郷社
神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています。
現在の社殿は、承応2年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築した時のものといわれています。
南国朝時代の石弾城跡
弁財天(市杵島姫命)
摂社末社
宮本伊織寄進の灯篭
(宮本伊織とその一族である田原正久寄贈の花崗岩製の灯篭 燈籠全高274、全高165)は、
本殿裏の玉垣内で見ることができます。
宮本伊織は、泊神社を再建した際、自身の出自や武蔵の出身などを記した棟札や、三十六歌仙図絵馬(加古川市指定文化財)を奉納するとともに、石灯篭を寄進しました。
9月1日朔日詣はどしゃ降りの中、宮司様に「宮本伊織寄進の灯篭」等をご案内頂き、後半のお参りは神職さまが覚えていて下さり撒饌まで頂きました。
素晴らしい月替わりの御朱印をお書き入れ下さっただけでも有難く嬉しかったです。
10月も必ずお参りさせて頂きたく思います。
ありがとうございます。
「撒饌」
御神饌は米、塩、水、魚、野菜、果物等の人が食べられるものだけをお供えします。一度神前に捧げて神霊に食べていただくことにより神霊の力が食物に宿り、その一部をおさがりとしていただき(食べやすくして) 皆様におわかちするのが撤饌であります。
お米(神饌米)は炊飯の際に混ぜ、その他もすべていただく事によって、神様の力を身体に取り入れます。口にすることにより神に近づきその力を授かることができるそうです。
加古川市加古川町木村658
泊神社境内
御本殿
御本殿脇に狛犬さま🐺🐺
随神門
長月後半限定御朱印
なんと良心的な 300円✴
ありがとうございます
長月限定御朱印
(9月1日・16日)
手水舎
おまけ
加古川市の商業施設で「鎌倉殿~」のイベントが開催されていました(-_☆)(゚o゚)/
「覚悟を決めるんじゃ、小四郎」
わがまち加古川 70選 No.42 泊神社
弁財天(市杵島姫命)
能舞台
拝殿前の説明板
棟札・三十六歌仙図絵馬
(加古川市指定文化財)
御由緒書
御本殿
宮本伊織寄進の灯篭
泊神社(とまり神社)
主祭神 天照大神
少彦名神
国懸大神(くにかかすのおおかみ)
社格等 郷社
神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています。
南国朝時代の石弾城跡
弁財天社(市杵島姫命)
摂社末社
宮本伊織寄進の灯篭
花崗岩製で279㎝の高さがあり、本殿裏の玉垣内で見ることができます。
宮本伊織は、泊神社を再建した際、自身の出自や武蔵の出身などを記した棟札や、三十六歌仙図絵馬(加古川市指定文化財)を奉納するとともに、石灯篭を寄進しました。
大雨の中宮司さまに、『宮本伊織寄進の灯篭』や
弁財天社をご案内頂きました。
素晴らしい御朱印も直書き下さり
本当にありがとうございました。
またお参りさせて頂きます。
加古川市加古川町木村658
長月限定 見開き御朱印
宮本伊織公 切り絵御朱印
武将御朱印
御本殿
御本殿後方 宮本伊織公寄進の燈籠
絵馬もおわけ頂き、鶴絵馬に『五穀豊穣』をお祈りして、寅絵馬はお世話になっているツアーズ巡礼お仲間に♡🐯
荒井神社で御朱印を待つ間に時間があったので、荒井神社から車で10分くらいのところにある泊神社に参拝に行って来ました。この神社も境内はとても綺麗にされてます。私たちが伺った時、若い神職さんが枯葉を竹箒で掃いてました。境内はとても広いので大変だなーと思いました。宮本武蔵と伊織のゆかりの神社です。
2年振りに参拝にいきました。
御朱印は毎月変わりますので気になってましたので行ってきました。
神門
由緒書き
本殿
本殿内
種子神社
住吉神社
泊稲荷神社
日吉神社
大池稲荷神社
日本媛神社
皇孫神社
熊野神社
月読神社
白龍稲荷神社
狛犬
狛犬
舞台
石弾城跡の説明
桜が満開でした。
昨年7月以来の参拝。
創立年不詳。
神代に天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、大神の怒りを解くために群神事計り御鏡を造った。
御鏡の一つは伊勢神宮に祀られ、一つは海に流された。
大和時代にそれが泊まり着いたところに檍の木があり、檍原泊大明神として祀ったのが泊神社の起こりとのこと。
宮本武蔵の二人の養子のうちの一人、宮本伊織が武蔵亡き後、一族の氏神である泊神社の荒廃を嘆き、また武蔵の供養を願って浄財を寄進して社殿を改築再建したとのこと。
石灯篭や三十六歌仙の額を奉納し、このときの棟札も残されているそうです。
この宮本伊織はもともと武蔵の甥であり、明石藩の小笠原家に仕えていて、小笠原家が北九州の小倉へ移動の際も同行。
島原の乱にも出陣していたそうです。
御朱印
7月の御朱印と少し絵が違ってました
神門
拝殿
幣殿・・・と思っていたのですが、神楽殿だそうです。
承応2年(1653年)宮本伊織により再建
国の登録有形文化財
神楽殿内
宮本伊織が奉納した棟札の写真
拝殿内には三十六歌仙図絵馬の写真も飾られています
本殿 東側
承応2年(1653年)宮本伊織により再建
左側に少し見えている部分が幣殿
こちらは江戸時代後期(1830-1867年)
いずれも国の登録有形文化財
本殿 北側
末社 熊野神社
末社 手前から
住吉神社 泊稲荷神社 日吉神社 大池稲荷神社 日本媛神社 皇孫神社
神楽殿と拝殿 西側から
末社 種子神社
手水舎
能舞台
柿本人麻呂の歌碑
「稲日野も 行き過ぎかてに 思へれば
心恋しき 加古の島見ゆ」
神門から少し離れたところに鳥居
鳥居の脇にある猿田彦神社
泊神社の境外社だと思われます
創立年不詳
以下、泊神社でいただいた御由緒より一部抜粋、要約
泊は、船が停泊する場所を意味します。
太古にはこの辺りは海岸線だったと考えられています。
神話によると、天照大神が天岩屋戸に隠れ、天下が暗闇になったとき、大神の怒りをとくため、天香山の銅で日像の鏡を作ったが、うまくできなかったので海に流しました。
この鏡がたどり着いた海岸にたまたま一本の檍(もちのき)があり、そこがいつしか檍原(あわきはら)泊大明神として、信仰の対象となったと考えられています。
祭神は天照大神、少彦名神、国懸大神
社伝によると、聖徳太子が刀田山鶴林寺を建立したとき、その大工が工を起こして社殿を建て、紀伊国から自身の氏神である国懸大神をお迎えして祀りました。
とのこと。
また承應2年(1653年)に、宮本武蔵の養子であった宮本伊織が氏神である泊神社の荒廃を嘆いて、浄財を寄進して社殿を改築再建したとのこと。
このとき宮本伊織が神社に奉納した棟札が残されており、三十六歌仙図絵馬なども残されているそうです。
加古川市加古川町木村658
鳥居
神門の90mほど西側にあります
神門
拝殿 正面より
本殿
拝殿内
拝殿 横から
本殿
本殿の彫刻 左側背面より
本殿の彫刻 右側背面より
宮本伊織が奉納した石灯籠
本殿背面に二基
承應二年三月に寄進されたそうです
手水
神楽殿
境内社 種子神社
境内社
左:住吉神社 右:泊稲荷神社
境内社
左:日吉神社 右:稲荷神社
境内社
左:日本姫神社 右:皇孫神社
境内社 熊野神社
境内社 月読神社
境内社 白竜稲荷神社
境内社
境内を利用して築かれた石弾城がこのあたりにあったようです
宮本武蔵と伊織ゆかりの神社の泊神社に参拝に行って来ました。この神社も境内が広くて、本殿を囲むようにある摂社や末社が御鎮座されてました。
門
由緒書き
手水社
注連柱鳥居と本殿
石弾城の説明書き。
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