とまりじんじゃ
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泊神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月19日(月)
参拝:2021年7月吉日
創立年不詳
以下、泊神社でいただいた御由緒より一部抜粋、要約
泊は、船が停泊する場所を意味します。
太古にはこの辺りは海岸線だったと考えられています。
神話によると、天照大神が天岩屋戸に隠れ、天下が暗闇になったとき、大神の怒りをとくため、天香山の銅で日像の鏡を作ったが、うまくできなかったので海に流しました。
この鏡がたどり着いた海岸にたまたま一本の檍(もちのき)があり、そこがいつしか檍原(あわきはら)泊大明神として、信仰の対象となったと考えられています。
祭神は天照大神、少彦名神、国懸大神
社伝によると、聖徳太子が刀田山鶴林寺を建立したとき、その大工が工を起こして社殿を建て、紀伊国から自身の氏神である国懸大神をお迎えして祀りました。
とのこと。
また承應2年(1653年)に、宮本武蔵の養子であった宮本伊織が氏神である泊神社の荒廃を嘆いて、浄財を寄進して社殿を改築再建したとのこと。
このとき宮本伊織が神社に奉納した棟札が残されており、三十六歌仙図絵馬なども残されているそうです。
加古川市加古川町木村658
以下、泊神社でいただいた御由緒より一部抜粋、要約
泊は、船が停泊する場所を意味します。
太古にはこの辺りは海岸線だったと考えられています。
神話によると、天照大神が天岩屋戸に隠れ、天下が暗闇になったとき、大神の怒りをとくため、天香山の銅で日像の鏡を作ったが、うまくできなかったので海に流しました。
この鏡がたどり着いた海岸にたまたま一本の檍(もちのき)があり、そこがいつしか檍原(あわきはら)泊大明神として、信仰の対象となったと考えられています。
祭神は天照大神、少彦名神、国懸大神
社伝によると、聖徳太子が刀田山鶴林寺を建立したとき、その大工が工を起こして社殿を建て、紀伊国から自身の氏神である国懸大神をお迎えして祀りました。
とのこと。
また承應2年(1653年)に、宮本武蔵の養子であった宮本伊織が氏神である泊神社の荒廃を嘆いて、浄財を寄進して社殿を改築再建したとのこと。
このとき宮本伊織が神社に奉納した棟札が残されており、三十六歌仙図絵馬なども残されているそうです。
加古川市加古川町木村658
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