みくりやじんじゃ
御厨神社のお参りの記録一覧
明石市の東二見に鎮座する境内がとても開けた印象の神社です。
こちらも約1年半ぶりの参拝となりました。
できれば紅白の梅の季節に伺いたかったのですが、1カ月は遅かったようでした。
この日は平日ということもあり、私が参拝している時間帯には他の参拝者はいらっしゃいませんでした。
ただ中学生でしょうか、神社の境内や鳥居前を友達と楽しそうに語りながら学校から帰る子供たちが多くとおり、そこまで寂しい印象はなかったです。
<御祭神>
応神天皇(誉田別命) 菅原道真 素蓋鳴命(牛頭天王)
神功皇后が三韓征伐の際にこの地に立ち寄り、住人たちが兵糧を奉ったことから御厨の名が起こったとのこと。
さらに貞観年間(859~877年)に八幡宮を勧請、延喜元年(901年)菅原道真公が大宰府に左遷される際に立ち寄られたことから天満宮も勧請。
二の鳥居と随身門
拝殿
奉納された千石船模型
古くから海運関係者の尊崇も篤いようです
とても立体的な奉納額
本殿 東側より
由加神社、秋葉神社、金刀比羅神社
左奥に見えているのは朝日神社(天照皇大神)
霊牛神社(渡会春彦)
稲荷神社
社務所前より
左から本殿、幣殿、拝殿
参拝しました。参拝者は少ないです。直書き御朱印2種類を頂きました😉種類は多数あります。迷いましたが、明石ダコとペコちゃんに引かれてしまいました😆神社の方、皆さん親切で色々な話をして頂きました🙇次回は梅の花を見に来て下さいとの事でしたので2月上旬に伺い、御朱印を頂きたいと思います。とても素晴らしい神社です。
明石ダコの直書き御朱印です。
ペコちゃんの直書き御朱印です。
鳥居。
手水舎。風鈴🎐もあります。
社殿です。
絵馬掛け。
不在時の連絡先です。
御朱印の種類です。
兵庫県明石市にある神社です。
御祭神は誉田別尊(ほむたのすめらみこと)、菅原道真、素蓋鳴命(すさのおのみこと=牛頭天王)です。
4世紀頃、神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を寄せ兵糧を集めたことから御厨(みくりや)との神名が付けられたと伝わっています。
広い境内に 末社・摂社が多くあります。
御朱印を拝受する際 紅梅と白梅の梅林があり2月頃には美しい花々が境内を彩ると教えていただいたので また早春にお参りしたいと思います。
御朱印は種類が多く 7月限定御朱印を手書きで拝受できました。
また 薄木御朱印があり こちらも拝受しました。
授与品の中に 昔懐かしいキャラクターのお守りがたくさんありました。
その数約20種類。
おもわず1つ購入しました。
懐かしすぎです 今年55周年記念です
播州明石二見 御厨神社
元旦限定御朱印
御祭神 神功皇后
応神天皇
素盞鳴命
菅原道真公
4世紀頃、神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を寄せ兵糧を集めたことから御厨(みくりや)との神名が付けられたと伝わります。
9世紀後半に八幡宮を勧請し、10世紀後半には菅原道真公がお立寄りになったことから天満宮も勧請されています。
境内にはこの伝説を伝える碑や、天満宮ゆかりの霊牛神社があります。
また、紅梅と白梅の梅林があり2月頃には美しい花々が境内を彩ります。
~明石観光協会 及び
二見校区・まちづくり協議会~
御厨は、「御」(神)「厨」(台所)の意で、神饌を調進する場所のこと。本来は神饌を用意するための屋舎を意味する。御園(みその、みそのう)=
神功皇后や菅公への兵糧調達できるほどの裕福な地域であったと以前に年配の方から教えて頂いたことがあり、地域をゆっくり歩いてみるとなんとも穏やかになれる場所と感じます。
例大祭と元旦にお参りすることができて、地域の方々のみならず(遠方からのナンバープレート)厚い信仰心・大切に思われる様子と
日没後も途切れることのない参拝の方々の列に人気ぶりがわかりました。
ありがとうございました。
明石市東二見町東二見1323
梅の蕾がたくさんです
霊牛神社
お餅がお供えされています
『霊牛さまは草を食べる』
数年前 Twitter等で話題でした、、、
草が新しくなってる⚡⚡笑
社務所 御朱印はこちら
御朱印の種類が豊富です
『🐇卯』元旦限定にしました
和紙絵柄(地模様)や朱印の種類が全て違うため、迷いに迷って
最初に選んだものになりました💦
選んだ後に御朱印先生が日付をお書き入れ下さいました。
まだまだ参拝の行列 人気が伺えます💕
山陽電鉄「東二見駅」から西へ徒歩で10分もかからないところに鎮座。
前回お参りさせていただいたのは昨年4月の桜のきれいな頃でしたが、秋の澄んだ空気の境内もまた落ち着いててとても居心地がよかったです。
梅の名所でもあるので、来年の春にはまた違った景色を楽しみにお参りしたいと思います。
今回はちょうど七五三詣も始まり、拝殿内には何組かご家族でご祈祷を受けておられました。
お詣りされたお子様が健やかに成長されるとよいですね。
社伝によると、4世紀頃、神功皇后が三韓征伐の際に二見浦に船を停め、兵糧を集められたことから御厨(みくりや)という神名が起こったと伝えられています。
貞観年間(859~877年)に八幡宮を勧請、延喜元年(901年)菅原道真公が大宰府に左遷される際に立ち寄られたことから天満宮も勧請。
応神天皇・菅原道真・素蓋鳴命をお祀りする三社相殿となっています。
元は東二見の東のほうにある君貢神社だったそうですが、長暦年間(1037~1040年)に卯ノ花ノ森と呼ばれる現在地に遷座されました。
ちなみにこの御厨神社は古代、伊勢神宮の荘園であったという伝承もあるようです。
秋祭り御朱印
一の鳥居、二の鳥居、随身門
鳥居前の松の木が左右に広がって迎え入れてくれます
拝殿
拝殿内には多くの奉納額がありますが、七五三のご祈祷中だったため、お邪魔にならないよう1枚だけ撮影させてもらいました
本殿
由加神社、秋葉神社、金刀比羅神社
朝日神社(天照皇大神)
高良神社(武内宿称、大年神)
霊牛神社(渡会春彦)
稲荷神社
木製の狐様
大関琴奨菊さんもこちらを参拝されたんですね
境内に気になる案内板が!
これは行くしかないですね
境内の北側から一旦外に出ると鳥居が見えてきます。
北辰神社
古事記で一番最初に登場する神様・天之御中主神をお祀りしています。
造化三神の一柱になります。
播州明石二見
御厨神社 秋祭り限定御朱印
御祭神 神功皇后
応神天皇
素盞鳴命
菅原道真公
4世紀頃、神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を寄せ兵糧を集めたことから御厨(みくりや)との神名が付けられたと伝わります。9世紀後半に八幡宮を勧請し、10世紀後半には菅原道真公がお立寄りになったことから天満宮も勧請されています。境内にはこの伝説を伝える碑や、天満宮ゆかりの霊牛神社があります。また、紅梅と白梅の梅林があり2月頃~4月まで美しい花々が境内を彩ります。
御厨神社の秋祭
御厨神社のクライマックスである秋祭りには、二見あげての神幸式と屋台練りが行われ、二見全域から氏子や村人たちがたくさん集まり、とても活気に満ちた賑わいをみせる大祭であります。 神輿渡御式が本宮の正午から行われ、神主が「神遷しの儀」をすませると、聖天子が現れたとき、奇しくも出現するという鳳凰の姿をかたどった神聖な御神鳥を神輿の上にさします。
~明石観光協会 及び
二見校区・まちづくり協議会~
泉(いずみ)明石市長や西村大臣の出身地で、魚住住吉神社と共にお二人ともお祭りには参拝されることで有名です。西村大臣は今回はご多忙につきご不在でしたが、大臣秘書さまにご挨拶させて頂きました。
明石市東二見町東二見1323
アクセス方法
山陽電車「東二見駅」西へ徒歩10分
駐車場
ホームページ http://mikuriyajinja.or.jp/
お気持ちの優しいお兄さん方🏮🌿
皆さんネット掲載にも快く了解して下さいました
ありがとうございます♡
手水舎
出店のレモネード🍋飲みたかったな
こちらのお兄さん方もきまってますね✴♡ありがとうございました♡
西村大臣秘書さま
お世話様です
明石蛸ハッピ🐙親子お揃いで素敵です🐙✴♡
まだまだ宮入りがつづきます
御厨神社 秋祭り限定御朱印
林神社の次は、御厨神社に参拝に行って来ました。
この神社の境内は物凄く広いです。
本殿を中心に、摂社末社が本殿を囲むように点在しています。
御朱印は種類も多いため、どれにしよう迷ってしまいます。直書きですが絵も入るので凄く凝っています。しかも絵の上にはラメまで付きます。書いて頂いたら直ぐに閉じないで、乾かさないとラメを貼り付ける接着剤が貼りついてしまいます。
鳥居
神門
本殿
狛犬
狛犬
この狛犬の台座には文化の年号が彫られてました。
本殿内
真ん中が秋葉神社、左側が由加神社、右側が金刀比羅神社
上記の3社の社
牛を触りながらお参りをします。
豊受大神の社
鳥居
天御中主大神の社。古事記の最初に登場する神様。
京極大明神と経王大菩薩が祀られています。
海神社の次は、明石市二見町にある御厨神社に参拝に行ってきました。高砂神社に行く時に通る国道250号線から少し奥に入った所にありますが、看板は車で走っていても分かるくらい大きな看板がありますが、今までそのまま通り過ぎてました。気にはなったので行ってみることにしました。
神社に到着して境内に入ると境内は凄く広く綺麗にされてました。まさかこんなに広い大きな神社だとは思いませんでした。
とにかく御朱印の種類も豊富で沢山あり、どれにしようか迷ってしまいました。
私は紫陽花の絵が入った御朱印にしました。
また、来月に参拝に行ったら違う絵の御朱印を拝受しようと思います。
入り口の鳥居
手水社
本殿
本殿内
狛犬
狛犬
秋葉神社
霊牛神社
入り口の鳥居
古事記最初の神の天之御中主神が祀られています。
周りにある小さな祠
京極大明神と経王大菩薩が祀られています。
狐さん
狐さん
狐さん
【播磨國 古社巡り】
御厨神社(みくりや~)は、兵庫県明石市二見町にある神社。
創建は不詳。社殿によると、神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を泊め食糧を調達したが、この故事により神饌を調進する場所という意味で「御厨」の名が起きた(伊勢神宮の荘園であったとする説もある)。平安時代の貞観年間(859年~877年)に八幡宮を勧請。901年に菅原道真公が左遷され太宰府に向かう途次、船を二見浦に寄せ当地に上陸した所縁により、寛和年中(985年~987年)に天満宮を勧請した。当時の社地は近隣の別の地にあったが、長暦年間(1037年~1040年)に現在地に遷座した。のち戦国時代の天正年中(1573年~1591年)に播磨姫路藩初代藩主・池田輝政が境外に社領40石を寄進、江戸時代の1618年に徳川家光が朱印地40石と山林を寄進している。
当社は、山陽電鉄本線・東二見駅の西方500mの、大通り(県道718号線)沿いの市街地の中にある。海まで400mほどの平地。大通りから少し北に入ったところに境内があるが、入口の神門をくぐってびっくり、境内はかなり広い。あまりに広くて、大きな社殿が小さく見えるぐらい。境内南側の社殿周りは草木が少なく、綺麗に掃き清められていて気持ちが良い。境内北側は草木が生えていて、境内社が点在している。
今回は、以前から気になっていた古社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外には地元民と思しきご老人が数人参拝に訪れていた。
境内南端入口全景。手前は県道。鳥居はなく社号を刻んだ石碑があるだけなので、あまり目立たない。ただし、そばの交差点名は「御厨神社前」。
参道を進んでかなり奥まったところにある<一の鳥居>。
参道右側の<手水舎>。
少し進むと<二の鳥居>と<神門>。
神門をくぐったところからの眺め。想像以上に広々とした境内。
<拝殿>全景。かなり横幅があるが、周りが広いので、大きな拝殿がポツンとある感じ。(^_^;)
拝殿前左側の<狛犬>。年季が入っている。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。両側が桟敷のようになっている。
<拝殿>正面奥。
拝殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た<社殿>全景。よく見ると、幣殿、本殿も大きく、立派で複雑な構造。
社務所の左隣(北側)にある<蔵>。その左隣には小さな<外宮>。豊受大神を祀る。
社殿右側から北方向を望む。とにかく広々とした境内。しかも綺麗に掃き清められていて心地良い。(o^―^o)
社殿を横から。写真は<幣殿>と<本殿>部分だけだが、拝殿同様サイズが大きい。
拝殿後方(北側)。立派な松の木が自由奔放に伸びている。このさらに北側は公園のような林。
境内北側の鳥居を出て、公道を渡ったところに飛地境内があるので行ってみる。
飛地境内の<北辰神社>。
元の境内に戻って、北東部にある境内社群を見て廻る。
まず草木が茂るゾーンの中にある<稲荷神社>。
<稲荷神社>の社殿。
こちらは<霊牛神社>。
社殿の中には可愛らしい仔牛の像が。(o^―^o)
こちらは<高良神社>。武内宿禰を祀る。
<社殿>を後方から見たところ。やはり<本殿>も大きい。
境内南東部の境内社を見て廻る。
こちらは<内宮>。天照大神を祀る。
こちらは<由加神社>、<秋葉神社>、<金比羅神社>。
最後に<社殿>全景。広々とした境内に大きな社殿がポツンとあるのが印象的。公園のような心地よさも良い感じ。 (^▽^)/
火災により社殿とともに記録文書を焼失したため、創立年月は不詳とのこと。
御厨という言葉は、主に伊勢神宮について使用されることから、伊勢神宮の荘園ではなかったかという説もあるそうです。
とても境内は広く、また拝殿もとても立派なのでじっくりと観察しながらの参拝でした。
また女性の神職の方に御朱印をいただいたのですが、とてもご丁寧に対応くださり有難うございました。
和紙に書かれた見開きの4月限定御朱印をいただきました。
書き置きですが、1枚1枚レイアウトなどが異なり、どれにするかとても悩みました。
鳥居
手水
境内から桜越しの神門
拝殿
拝殿内
拝殿内
拝殿内の彫刻
本殿側面の彫刻
社務所
境内社
境内社
境内社
御朱印の挟み紙
約10年ぶりに同性の神社へ。
梅が美しい。
1月限定のアマビエ御朱印
書き文字がかっこよかったのでこれをチョイス
順風満帆がいい。
黄色の梅、初めて見た。いい香り。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
1
0