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楽しみ方

おさかべじんじゃ

刑部神社へのアクセス
兵庫県 山陽姫路駅

住所

兵庫県姫路市本町68

行き方
駐車場
近くの駅

◼︎JR播但線
京口駅から直線約1.15km
徒歩約27分
車で約5分
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◼︎山陽電鉄本線
山陽姫路駅から直線約1.25km
徒歩約30分
車で約6分
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◼︎山陽新幹線
姫路駅から直線約1.33km
徒歩約31分
車で約6分
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◼︎JR山陽本線
◼︎JR神戸線
◼︎JR姫新線
◼︎JR播但線
姫路駅から直線約1.33km
徒歩約31分
車で約6分
Googleマップでルートを確認



最寄駅ではなく、直線距離で最も近い駅を目安として表示しています。
Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。
情報提供: HeartRails Express

駐車場に関する投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年07月28日(月) 21時16分39秒
3062投稿

「どこ行きたい?」  「うーん。」  「じゃあ姫路。姫路城に行こう。」  「神社じゃなくていいの?」  「あるんよ神社が姫路城の中に。」
旅行が好きな妻に プチ旅行と称して寺社巡りに付き合ってもらうため 月に1度はこんな会話をしています。
姫路に決めたのは 以前 きどっちさんの投稿で 刑部大神(刑部神社)を知り お詣りしたいなぁと思っていたのを思い出したからです。
姫路城に行くのは もう10年以上前ぶりです。まだ白壁が真っ白でなかった頃以来です。
寺社も好きですが もともと古い建物が好きなので 姫路城は大好物です。

大手門の駐車場に車を停め いざ姫路城!暑い~~めちゃくちゃ暑い~!!
気温は35度を超えていますね。確実に。
お城の写真もたくさん撮ったのですが それは省略。
さすが休日の姫路城は観光客だらけだらけだらけ。
三の丸広場だけでもかるく50人以上。
入城料を支払う所では 半分以上が外国の方。
観光寺社でもそうですが 日本の文化に興味をもつ外国のお客様の何と多いこと。
音声ガイドを着ける方 外国語のパンフレットを手にする方 本当に多かったです。
天守の上層階は人数制限されるほどごったがえしていました。
人が多くて暑苦しいと思っていたのですが 天守は風が通り抜けるので涼しかったです。
膝を気にしながら上っていくと 最上階にちょこんと祠があります。
おおぉ これじゃこれじゃ。
観光客のほとんどは ちらっと見るだけでおしまい。
これは残念ですね。こちらもしっかり日本の文化なのに。
と言いつつ 手を合わせた後は 天守から見える姫路の町を 涼みながらしっかり堪能しました。
姫路城を守る会の由緒書には
姫路刑部大神は延喜式に 富姫神は播磨国大小明神社記に記され 古代より姫山に鎮座された由緒ある地主神である。
城主池田輝政が 城内「との三門」の高台に祀り歴代城主は手篤く崇敬する。
寛延元年(一七四八)城主に松平明矩のとき 長壁大神と改める。
明治十五年城内備前門屋敷の火災 昭和二十年七月三日(一九四五)大空襲には 奇跡的に炎上を免れた。
姫路城の守護神であり 火災・災害等にご霊験あらたかで 人々の信仰が篤い。
毎年六月二十日 ゆかた祭りとしてご神徳をたたえる。
と書いてありました。
神社とは関係ないですが 有名な「お菊井戸」が城内にあることも付け加えておきます。

ネット情報です。
刑部親王(光仁天皇の皇子)を主祭神に親王の王女という富姫を配祀する。
刑部親王は藤原百川の讒言によりその地位を追われると 親王の王女であるという富姫も幼い頃より住んでいた姫山の地で薨去した。
国司の角野氏がこの2人を守護神として姫山に祀って以来 代々の国司や守護職からの厚い保護と庶民からも厚い信仰を受けた。
「刑部神社」は姫路城が姫山に築かれる以前より 姫山にあった「小刑部(おさかべ)宮」という 地元の人たちの信仰の対象となっていた地主神を祀ったものと言われている。
天正8年(1580年)頃に羽柴秀吉が姫路城の改築を始めると 縄張り内に位置するために城下に移された後に播磨国総社である射楯兵主神社の境内に摂社として祀られた。

それが現在の姫路城の大天守最上階に祭られるようになった経緯には 様々な説があり 伝説となって語り継がれています。
最も有力なものが「池田輝政への呪い」の伝説です。
一六〇九年(慶長一四) 城が完成して間もない十二月十二日の日付で 輝政に充てた不気味な手紙が届きました。
それには輝政と夫人に天神(天狗のこと)がとりついて 呪いをかけようとしている。
その呪いを解いてほしいのなら 城の鬼門に急いで八天塔を建てて 大八天神をまつれ」と書いてありました。
これらは 秀吉が城を築くときに姫山から総社に移した刑部神社のたたりだと人々は噂しました。
そこで輝政はさっそく刑部神社を城内のとの三門内にお迎えし まつることにしました。
ところが それからも悪いことが続きます。
一六一一年(慶長一六)には 政がついに重い病気に倒れました。
そこで今度は 呪いの手紙に書いてある通りに 呪文を解く護摩祈祷を行い 八天塔を刑部神社の横に建てると 輝政の病状は回復したのでした。
その喜びもつかの間 一六一三年(慶長一八) 輝政はあっけなく亡くなり その子供たちも次々に若死していきました。
やはり 刑部大神のたたりに違いない。
「だれもいないはずの天守閣に夜な夜な怪しい灯りがともり おおぜいの人が泣きわめく声が聞こえる」
噂はその後も消えなかったのです。
(引用元)姫路-お城物語 姫路市教育委員会
寛永16年(1639年)に藩主が松平氏に変わると再度城下へ移され 慶安2年(1649年)に榊原氏に変わると城内の社殿を再建し 城内と総社境内の二社併存となる。
寛保元年(1741年)榊原政岑に認められ 長源寺の境内に分霊が勧請された。
大正末に 長源寺で祀られていた長壁大明神が長壁神社として独立した。
歴代城主によってその後も「刑部大神」は守られ いつの頃からか大天守の最上階に移されたとのことです。

刑部神社(兵庫県)

大手門

刑部神社(兵庫県)

白鷺城 さすが世界遺産です きれいです 立派です

刑部神社(兵庫県)

天守最上階にあります

刑部神社(兵庫県)

扁額

刑部神社(兵庫県)

刑部神社(兵庫県)

由緒書

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