せんひめてんまんぐう
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千姫(徳川家康の孫)が姫路城にお輿入れされた後に創建した神社として有名です。
姫路城のボランティアガイドさんから伺った話を載せます。
千姫は豊臣秀頼と結婚しますが 大坂夏の陣で秀頼が自害したため徳川方に戻ります。
その後 本多忠刻と再婚することとなり 忠刻が姫路に国替えになり ともに姫路城入りします。
当時の姫路城は今のように立派なものではなく 千姫夫婦のために新築されています。
財源は 千姫が輿入れ時に与えられた化粧料10万石だと言われています。
幸せな生活は長くは続きませんでした。
本多忠刻との間に生まれた嫡男がわずか3歳で亡くなり これが亡き夫豊臣秀頼の祟りと噂されました。
秀頼の霊が鎮まってくれるようにとの願いも込めて天満宮を建立しました。
もともと千姫は天神(天満宮・菅原道真)を信仰しており天神の木像を祀っていたようです。
天満宮は姫路城西の丸からも見える様に東向きに社殿が建てられ 千姫は城内西の丸から朝夕に遥拝されていたそうです。
千姫が羽子板を奉納したことから 絵馬は羽子板の形をしています。
拝殿の左右に羽子板が置かれているのもそのためです。
(もし間違っていたらごめんなさい)

徳川義宣の参拝記念碑

全景

拝殿・本殿

内陣

右手に 千姫の羽子板

左手に 本多忠刻の羽子板


幸運の蛙

姫路市の男山中腹に鎮座しています。
千姫とは、徳川秀忠とお江の長女として生まれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼と結婚、このとき千姫は7歳。
慶長20年(1615年)大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害、千姫は秀忠のもとに戻り、元和2年(1616年)には本多忠刻と再婚。
元和3年(1617年)本多忠刻は姫路に移封され、姫路城西の丸を新居として築きます。
千姫は本多家の繁栄を願って元和9年(1623年)に男山に天満宮を建立。
西の丸から毎日礼拝できるようにと社殿を東向きに造営したと言われています。


葵の紋

なで牛


絵馬には忠刻と千姫の連歌が記されていました。
初秋の 風を簾にまきとりて (忠刻)
軒はにおほふ 竹の葉の露 (千姫)

授与品
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| 名称 | 千姫天満宮 |
|---|---|
| 読み方 | せんひめてんまんぐう |
| 通称 | 千姫天満社・男山千姫天満宮 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 079-291-1550 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》菅原道真 |
|---|---|
| 創建時代 | 1623年(元和9年) |
| 創始者 | 千姫(徳川家康の孫、豊臣秀頼正室) |
| ご利益 | 学問の神様・合格祈願 |
| 体験 | 御朱印 |
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