いかるがでら|天台宗|斑鳩山
斑鳩寺のお参りの記録一覧
🤍🩵🤍 白聖守 🤍💙🤍
斑鳩寺
🤍斑鳩寺は聖徳太子御創建1400年の歴史を持つ寺院です🤍
斑鳩寺は姫路市とたつの市にはさまれた揖保郡太子町に位置します。
この地は法隆寺の荘園「鵤荘(いかるがのしょう)」があり、その中心に荘園経営の中核的存在として、政所とともに斑鳩寺が建立されました。鵤の地はながくこの地方の太子信仰の中心として栄え播磨の国の中における特異な文化興隆地域を形成することになりました。
斑鳩寺は創建以来、法隆寺の別院でしたが、現在は比叡山を本山にする天台宗の寺院です。
札所
新西国三十三箇所第32番
西国薬師四十九霊場第23番
播州薬師霊場第18番
聖徳太子霊跡第28番
諡号 聖徳太子
時代 飛鳥時代
生誕 敏達天皇3年1月1日(574年2月7日)
死没 推古天皇30年2月22日(622年4月8日)
別名
上宮王、豊聡耳、上宮之厩戸豊聡耳命、厩戸豊聡耳皇子、法主王、豊聡耳聖、徳豊聡耳法大王、上宮太子聖徳皇、厩戸豊聰耳聖徳法王、上宮厩戸、厩戸皇太子、多利思比孤
斑鳩寺香炉
赤門
巽門
富之小川
440m南 西国街道に
聖徳皇太子灯籠
大師堂 地蔵堂
太子山
縁起より~当寺は今から1400有余年前、聖徳太子が御開創になった霊刹である。乃ち推古天皇14年(606年)丙寅秋7月、天皇は太子に請ふて勝鬘経(しょうまんぎょう)を講ぜしめられた。よって太子は豊浦宮(現在の奈良橘寺)でこれを講説し給うこと3日にしておわる。その夜、蓮華の花が御講演の地にふりしいたと伝えられる。此の歳また太子は法華経八軸をも岡本宮で構ぜられた。
推古天皇は大変お慶びになり、太子に播磨国揖保の郡に於いて水田百町を寄進されました。太子はこの地を「鵤荘」(いかるがのしょう)と名付けられ、一つの伽藍を建てられました。これが播州斑鳩寺の始まりです。
斑鳩寺
稗田神社のすぐ近くにおるお寺
聖徳太子ゆかりの寺
また、稗田神社ともやや関連ある場所
以下引用:
摂政の聖徳太子(574年-622年)が法華経・勝鬘経(しょうまんぎょう)を講じたので、その褒美として33代推古天皇(554年-628年)より播磨国揖保郡の地を賜った。
聖徳太子は大和の斑鳩寺(法隆寺)、中宮寺(法隆寺の東隣り)、片岡僧寺(片岡山放光寺、7代孝霊天皇陵の東)の三寺にこの地を分け与えた。佐勢の地(鵤荘、いかるがのしょう)五十万代の内と云われる。
このため、当地鵤荘には各寺より、寺領の管理や調物微収のため、多くの吏員が大和から派遣された。その吏員の中に稗田氏がおり、祖神を奉祀する媛田神社(売田神社)を奉祀した。
兵庫県太子町にあるお寺です。
宗旨宗派は天台宗
ご本尊は釈迦如来・薬師如来・如意輪観音(全て重要文化財)
です。
推古天皇14年(606年) 聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り 大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘と命名 政所と寺院を建立したとされています。
これが斑鳩寺の始まりと伝えられています。
天皇中心の政治だと 神社の方が優勢かと思っていましたが 聖徳太子ゆかりのお寺はかなりの数を数えますね。
さすが仏教の力で国を治めようとしたことが分かります。
七堂伽藍と数十の坊庵を誇る大寺院でしたが 室町時代後期の天文10年(1541年) 播磨国に攻め込んできた出雲国の守護大名である尼子氏の戦禍を受け 焼失。
後に龍野城主・赤松政秀とその子赤松広英 中興・楽々山円勝寺(現・たつの市)の円光院昌仙などの発願で徐々に復興していきました。
豊臣秀吉から300石を寄進され 江戸時代には歴代将軍の御朱印地となったそうです。
江戸時代初期の境内の様子が残されていました。
さすがに歴史のある建物は荘厳です。
京都の寺社とはまた違った趣がありました。
仁王門
古いです
いや本当に古いです
大講堂
大講堂の中
びんずる尊者
稗田神社御旅所
鐘楼
聖徳殿
聖徳殿の中
江戸時代の境内図
聖徳殿後殿
別名八角円堂
天神社
聖宝殿
聖徳会館
庫裏
三重塔
天台宗 斑鳩寺
新西国三十三箇所霊場 第32番札所
西国薬師四十九霊場 第23番札所
播州薬師霊場 第18番札所
聖徳太子霊跡 第28番札所
今回は播州薬師霊場巡りでお参りさせていただきました。
1400年以上の歴史を持つ寺院ですが、入山料も駐車場も無料というのが嬉しいです。
<縁起>~播州薬師霊場参拝ガイドより~
寺伝によれば聖徳太子草創という。
日本書紀に『推古天皇十四年(606年)秋七月、天皇、皇太子を請じて勝鬘経(しょうまんぎょう)を講ぜじむ。 三日にしてこれを説き・・・(省略)天皇大いに喜びたまいて、播磨国の水田百町歩を皇太子に施る。』と記述されている。
はじめ鵤荘の政所として創建された同寺が高揚する太子信仰に支えられて寺観を整えていったものと思われる。
天文十年(1541年)戦禍のために火災に遭い全焼したが、次第に復興し、以後天台宗寺院となった。 永禄年間に至って伽藍はほぼ旧観を回復した。 寛文年間には塔頭寺院十七坊を数えていた。 聖徳殿には「植髪の太子」尊像が安置され、古来より皇族から御寄進を受けてその御衣替えが行われるしきたりで、只今のお召しものは昭和三十七年に高松宮宣仁親王の御寄進によるものである。 寺ではこの尊像に朝夕の給仕を欠かさない。
仁王門
仁王像(阿形)
仁王像(吽形)
仁王門を抜けると正面に講堂が見えます。
釈迦如来像・薬師如来像・如意輪観音像の三尊(国の重文指定)が安置されています。
ご詠歌
神代の聖の徳は いかるがの蓮の花と かほるなりけり
講堂から見た聖徳殿
聖徳殿前殿(旧太子堂)
聖徳太子がみずから作られた、秘仏の聖徳太子十六歳孝養像を安置
聖徳殿中殿
聖徳殿後殿
天神社
やすらぎ地蔵
三重塔(国の重文指定)
鐘楼と講堂
鐘楼
供養塔
稗田神社御旅所
播州薬師霊場 御朱印
お参りして御朱印を頂きました。寺の前に無料駐車🅿️🚗場があります。
直書き御朱印です。
仁王門。
仁王像。
鐘つき堂。
本堂です。
エアータッチでお願い致します🙇
三重塔。
納経所。こちらで御朱印頂きました🙇
斑鳩寺
~きっと虹の橋で~
宗派 天台宗
御本尊 釈迦如来
薬師如来
如意輪観世音菩薩
(全て重要文化財)
創建年 推古天皇14年(606年)
開基 聖徳太子
中興 昌仙上人
正式名 斑鳩寺
別称 お太子さん、
はんきゅうじ
札所等
新西国三十三所第32番
聖徳太子霊跡第28番
西国薬師四十九霊場第23番
播州薬師霊場第18番
御詠歌
神代(かみつよ)の 聖の徳は
いかるがの 蓮(はちす)の花と
かほるなりけり
文化財 国指定重要文化財
三重塔、聖徳太子勝鬘経講讃図、釈迦三尊十六羅漢図(五幅)、釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観世音菩薩坐像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将(八体) 輪観音菩薩。
御縁起
寺伝によれば聖徳太子草創という。日本書紀に『推古天皇十四年(606年) 秋七月、皇太子を請じて勝鬘経を講ぜじむ。三日にしてこれを説き・・・・(省略) 天皇大いに喜びたまいて、播磨国の水田百町歩を皇太子に施る。』と記述されている。
はじめ鵤荘の政所として創建された同寺が高揚する太子信仰に支えられて寺観を整えていったものと思われる。
天文十年(1541年)戦禍のために火災にあい全焼したが、次第に再興し、以後天台宗寺院となった。永禄年間に至って伽藍はほぼ旧観を回復した。寛文年間には塔頭寺院十七坊を数えていた。聖徳殿には「植髪の太子」尊像が安置され、古来より皇族から御寄進を受けてその御衣替えが行われるしきたりで、只今のお召しものは昭和三十七年に高松宮宣仁親王のご寄進によるものである。寺ではこの尊像に朝夕の給仕を欠かさない。
尚、当寺に国指定重要文化財の御本尊薬師如来丈六坐像をはじめ、三重塔などを含み、二十点の多きを数え、その他県、町指定の文化財の多くは宝物館に安置され、随時拝観することができる。
―・―・―・―
斑鳩寺は現在、入山料を頂いておりませんので、ご自由にお入り下さい。門前の駐車場も無料でご使用下さい。満車の場合、境内に駐車できますので、ご連絡をお願いします。
( 仏像を拝観ご希望の時には宝物館並びに聖徳殿をご案内します。)
拝観料 500円
団体(10人以上)350円
斑鳩寺HPより
~播州薬師霊場ガイドより~
~・~・~・~・~
🌈虹の橋🌈
天国の少し手前に、「虹の橋」と呼ばれている場所があります。
この世界で生前、誰かと寄り添い、暮らしていた動物たちは、その命の灯が消えたとき、「虹の橋」のふもとへ行くのです。
そこには、草原や丘が広がっていて、 動物たちはそこで駆けまわり、ともにじゃれあって、楽しく遊んでいます。
おなかいっぱいのごはんと、きれいなお水、 そして優しい太陽の日差しに溢れていて、 みんながそのあたたかな場所で、のんびりと暮らしています。
病気にかかっていた子も、年老いた子も、みんな元気を取り戻し、 傷の痛みに苦しんでいた子もすっかり健康なからだを取り戻し、 昔のように、そしてまるで夢のように、そこでは過ごしているのです。 動物たちは幸せに暮らしているのですが、 たったひとつだけ、心を満たしていないことがあります。
それは、かつて共に過ごし、愛し合い、寄り添っていた人が、 ここにいないことが、恋しくて、寂しいのです。 動物たちが一緒に遊んで、駆けまわっていたある日、 ある子がふっと立ち止まり、遠くを見つめていました。 その子の目は、次第にキラキラと輝きだし、よろこびで震えだします。 突然、その子は仲間から離れ、草原を飛ぶように走っていきます。 速く、速く、それはまるで風のようです。 その子の視線の先にいたのは、 共に過ごし、愛し合い、寄り添っていたあなたでした。 その子とあなたは、虹の橋のふもとで再び出会います。
あなたは、愛するわが子を抱きしめ、愛情いっぱいにふれあい、 二度と離れることはありません。 あなたは満面の笑みで幸せにあふれたキスを受け、 もう一度、愛するわが子を抱きしめるのです。 そして、わが子の顔をのぞきこみ、見つめあっては、語りかけます。 きみと別れてからの長い長い人生を、 私は一生懸命生きてきたよ。 その中で、きみを忘れたことは一度たりともなかったよ。やっと会えたね。そしてあなたたちは寄り添いあって、 共に天国へ続く虹の橋を渡っていくのです。
兵庫県揖保郡太子町鵤709
聖徳殿後殿
聖徳殿前殿
新西国三十三所第32番
聖徳太子霊跡第28番
おまけ1
以前近くで二重虹を見て
虹の橋🌈慰霊碑が完成したら必ずお参りしたいと思いました
おまけ2
干し大根💕 家の大根も真似させて頂きたいです
弥勒菩薩さま🍁
播州薬師霊場第18番
御詠歌
神代(かみつよ)の 聖の徳は
いかるがの 蓮(はちす)の花と
かほるなりけり
西国薬師四十九霊場第23番
西国薬師四十九霊場第23番 薬壺御朱印
西国薬師(23番)、新西国三十三(32番)、聖徳太子御霊跡(28番)にて参拝しました。
聖徳太子開基の寺院です。
見どころが多くてウロウロしてしまいました。朝一番でお参りしましたが、納経所が開いておらず庫裡を訪ねてお願いしました。奥様に対応して頂きましたが、
御朱印を頂いた直ぐ後に納経所担当らしき方が来られました。
お寺は9時前には開いていましたが、納経所は10時からなのかもしれません。
講堂
聖徳太子像
聖徳殿
聖徳殿
聖徳殿・中殿
聖徳殿・後殿
手水舎
鐘楼
鐘楼説明書
三重塔の説明書
稗田神社御旅所
供養塔
聖寶殿
弥勒堂
山王社
天神社
ペット観音
やすらぎ地蔵
斑鳩寺
~月見の会9月11日・斑鳩寺~
御詠歌
かみつ代の 聖の徳は いかるがの
蓮(はちす)の花と かをるなりけり
宗派 天台宗
御本尊 釈迦如来
薬師如来
如意輪観音
(全て重要文化財)
創建年 推古天皇14年(606年)
開基 聖徳太子
札所等
新西国三十三所第32番
西国薬師四十九霊場第23番
播州薬師霊場第18番
聖徳太子霊跡第28番
文化財
三重塔、釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観音坐像ほか(重要文化財)
斑鳩寺は創建以来、法隆寺の別院でしたが、江戸時代以降は天台宗となります。
三重塔に飾られた中に、🌒🐵お猿が三日月に向かって懸命に手を伸ばしていたり、🌿🦌美しい鹿の彫刻もありました。🌎
その美繊細さに閉門まで見せて頂きましたほどです。
幾度訪れても、彩やかに法隆寺・聖徳太子を感じることができる時空間のお寺様です。
拝観無料 駐車場無料 です。
(宝物館と聖徳殿 入館料500円)
宝物館
重要文化財仏像10体をはじめ、勝鬘経講讃図、二十五菩薩面等を展示しています
聖徳殿
植髪の聖徳太子像をご開帳します。
(写真は非公開)
拝観ご希望の方はご予約願います。
兵庫県揖保郡太子町鵤709
079-276-0022
いつもどこでも床が気になります・・・
聖徳殿や夢殿の床下にシェルターとかあるんちゃうの とか(笑)
聖徳殿を一周
🌒🐵
🌿🦌
鐘楼堂
宝物館
天神社
山王社
仁王門の裏にたてかけてあるものは何ですか?
箒 ホウキです。とてもよく掃けます。
と教えて頂きました。
赤門(東門)
聖徳太子を巡るシリーズ その9
新西国三十三観音霊場第32番札所の天台宗寺院。
ご本尊は、釈迦如来、薬師如来、如意輪観世音菩薩です。
約1400年前に創建された古刹。聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、大和国斑鳩宮から移住し、鵤荘と命名されました。そこの政所と寺院を建てたのが始まりです。そして長らくは法隆寺の別院だったそうです。
仁王門です。
聖徳太子十六歳尊像です。
講堂です。
聖徳殿前殿です。
こちらは後殿です。
鐘楼です。
三重塔です。
1565年龍野城主赤松政秀により再建です。
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