こうとくじ(こうとくぜんじ)|臨済宗大徳寺派|瑞雲山
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羽柴秀吉由緒寺院とのこと。尼崎は中国大返しで一時駐屯した場所であり、この廣德寺はその際軍議をした寺とも、明智軍の追っ手に追われた秀吉公が僧に化けて逃げ込んだ寺とも言われています。寺宝に創に化けて逃げ込んだ際、味噌を摺ったとされるすり鉢に、軍議の時に残したとされる刀があり両逸話を裏付けるように残されているそうでどっちが真実なのか気になります🤣境内はいたってシンプルなつくりで本堂前でお詣りしてから庫裏へ。こちらもご住職不在のため御朱印はいただけず・・・😭

山門

寺号表札

由緒案内

秀吉由緒の石碑

旧看板かな?秀吉公ゆかりだからか下に猿が彫られてます

本堂

庫裏

臨済宗大徳寺派 瑞雲山 廣徳寺
豊臣秀吉公ゆかりの寺になります。
本堂は結構新しい印象ですが、600年以上の歴史あるお寺です。
太閤記によると、天正10年(1582年)羽柴秀吉が備中高松城を水攻めにして戦っているところ、本能寺の変により織田信長が亡くなったとの連絡が届きました。
秀吉は兵をまとめて明智光秀が陣を構える京都山崎へと向かいますが、尼崎に差し掛かったところで敵兵が待ち伏せていました。
この危難を避けるため、秀吉は広徳寺内に逃げ込み、住持慶首座という寺僧にかくまわれ助かったのだそうです。
その功績により、秀吉から三百石の寺領を受け朱印を得たとのこと。
<御本尊> 釈迦牟尼仏木造(伝運慶作)
<脇侍> 文殊普賢菩薩
<沿革>~廣徳寺パンフレットより~
臨済宗大徳寺派瑞雲山廣徳寺は、足利義満の時代、明徳年間(1390-94)に、京都大宮の地より尼崎に誘致創建された歴史上由緒深い禅寺である。
重編応仁記によれば、廣徳寺は最初尼崎近郊大物の庄にあったと記されている。
開山は大徳寺第7世、言外宗忠和尚。 後に勅謚を得て密伝正印国師となられた名僧である。
開基本願は永徳年間(1381-84)華岳宗大禅定尼と伝わっており、宗栄尼に就いては出生等は不詳であるが、当時の此の辺りの領主にゆかりのある身分高い人であったと推知されている。
その後応仁の乱などの戦乱によって、当寺は一時期荒廃衰微していたが、永禄年間(1558-70)大徳寺107世、笑嶺宗訴大和尚が出て廣徳寺を再興、中興開山となった。
笑嶺和尚は、織田・豊臣等の戦国時代に活躍した名僧であり、織田信長の大葬儀に導師を務め、後に祖心本光禅師の謚号を賜った有名な方である。
当時尼崎・伊丹などの一帯は戦国の勇将荒木村重の支配下にあり、領主と笑嶺和尚の法縁で廣徳寺の勢威は大いにあがった。
浮世絵大津絵の祖といわれる岩佐又兵衛は村重の子と言われ、又兵衛が大徳寺や廣徳寺に出入りしたのも笑嶺和尚の縁故に依るという。
日本人名辞典には、又兵衛一説に木村姓を名乗るは父荒木村重の中央二字を姓として用うるとある。
後に荒木村重は織田信長に討たれ、信長また明智光秀にそむかれて滅び、豊臣秀吉の時代となる。


山門

本堂




【寺町 Part3】
臨済宗 廣徳寺
山号 瑞雲山
創建 1390年(言外宗忠和尚)
☆ 絵本太閤記、絵本豊臣勲功記によれば
中国大返しの際には、秀吉が同寺に逃
げこみ難を逃れたと言う逸話がある
秀吉ゆかりの寺
☆ 御本尊 釈迦牟尼仏


迫力ある御朱印頂きました山門

山門

境内です!

秀吉ゆかりの地である事がわかりますね
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
広徳寺は、明徳元年(1390)京都大徳寺の言外宗忠和尚の開基と伝えられています。中世には大徳寺の塔頭如意庵の末寺で、元和年間(1615-1624)に尼崎城築城にともない大物町から寺町に移転したといわれています。移転後も大物に秀吉から与えられた寺領を有していたという寺伝や、『絵本太閤記』、『絵本豊臣勲功記』などでは中国大返しの際に、秀吉が同寺に逃げ込んで難を逃れたという逸話などがあり、太閤ゆかりの寺として有名です。
歴史をもっと見る|| 名称 | 廣徳寺(廣德禪寺) |
|---|---|
| 読み方 | こうとくじ(こうとくぜんじ) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 06-6411-2424 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
|---|---|
| 山号 | 瑞雲山 |
| 宗旨・宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
| 創建時代 | 明徳元年(1390) |
| 開山・開基 | 言外宗忠和尚 |
| ご由緒 | 広徳寺は、明徳元年(1390)京都大徳寺の言外宗忠和尚の開基と伝えられています。中世には大徳寺の塔頭如意庵の末寺で、元和年間(1615-1624)に尼崎城築城にともない大物町から寺町に移転したといわれています。移転後も大物に秀吉から与えられた寺領を有していたという寺伝や、『絵本太閤記』、『絵本豊臣勲功記』などでは中国大返しの際に、秀吉が同寺に逃げ込んで難を逃れたという逸話などがあり、太閤ゆかりの寺として有名です。 |
| 体験 | 武将・サムライ |
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