にょらいいん|浄土宗|珠光山徧照寺
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浄土宗 珠光山 徧照寺 如来院
法然上人二十五霊場 第4番札所
尼崎市寺町にある寺院をまわることが今回の目的でしたが、法然上人二十五霊場巡りの札所であることに事前に気付いてよかった!
危うく専用の納経帳を忘れるところでした😅
庫裏にて御朱印をお願いすると、「本堂へおまわりください」とのことで、本堂内に上げてくださりました。
内陣の天井にはとても見事な龍が描かれており、写真を撮らせていただこうかとも思ったのですがなんとなく憚られ、今回は断念しました。
<御本尊> 阿弥陀如来
<縁起>
当山は、浄土宗に属し、山号を珠光山、寺号を徧照寺という。
この如来院は、奈良時代に第45代聖武天皇の厄除けを祈願して、行基菩薩が神崎(尼崎市神崎町)に、神崎釈迦堂を建立したのが始まりです。
如来院には遊女物語が語り継がれています。 鎌倉時代に、法然上人が神崎に立ち寄られた時、五人の遊女が救いを求めに法然上人を尋ねました。
遊女「罪業深き私達でも、ほんとうに御仏はお救い下さるのですか。」
法然「一心にお念仏を称えるなら、必ず往生できます。」
遊女達は、安心と喜びのあまり、女の命でもある頭の黒髪を切り取り、法然上人に差し出し、罪業深きを懺悔して、法然上人にお念仏を授かり、出家の身となって入水往生を遂げました。
その後、如来院は、戦国時代に城下(尼崎市大物町)へ、江戸時代に現在の地(尼崎市寺町)へ移転しました。
尚、遊女塚は尼崎市神崎町にあります。


山門

本堂


鐘楼



御朱印と一緒にいただいたパンフレットの裏面には、版木の絵が。

圓光大師二十五霊場第4番。尼崎寺町散策はこちらがメイン。本堂前でお詣りし庫裏へ向かうと本堂開けますので前でお待ちくださいとのこと。本堂内へ上がらせていただき、御朱印をお願いして阿弥陀様をお詣りさせていただきました😊

通用門

第四番如来院と神崎五人遊女遺趾の碑

山門

圓光大師二十五霊場石標

鐘楼

本堂

扁額


地蔵堂

由緒

庫裏
歴史
今から1,300年昔、行基菩薩が聖武天皇の厄除けを祈願して、神崎(尼崎市神崎町)に釈迦堂を建てたのが始まりです。
800年昔、法然上人が訪れた後、釈迦堂は洪水によりご本尊(釈迦如来)並びに堂宇が消失しました。法然上人の阿弥陀信仰が流布し、阿弥陀如来をご本尊として再建され、如来院と名を改めました。法然上人を改宗開山上人と仰ぎ、現住職は第六十三世である。
戦国時代に、尼崎城(尼崎市大物町)が築城され、如来院は大物に移転されました。
江戸時代、現在の地(尼崎市寺町)に移りました。
-法然上人二十五霊場HPより-
| 名称 | 如来院 |
|---|---|
| 読み方 | にょらいいん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 06-6411-3794 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://hccweb6.bai.ne.jp/nyoraiin/ |
巡礼の詳細情報
| 法然上人二十五霊場 第4番 | 御詠歌: 身と口と 心の他の 弥陀なれば 我をはなれて 唱へこそすれ |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 珠光山徧照寺 |
| 院号 | 如来院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 天平年間 |
| 開山・開基 | 行基菩薩(神崎釈迦堂) 中興:湛空上人 |
| 文化財 | 市指定文化財
|
| ご由緒 | 今から1,300年昔、行基菩薩が聖武天皇の厄除けを祈願して、神崎(尼崎市神崎町)に釈迦堂を建てたのが始まりです。
|
| 体験 | 御朱印札所・七福神巡り伝説 |
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