こうざんじ|真言宗大覚寺派|弘浪山
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丹波の春、3寺めは高山寺。
これまでの3寺では最もアクセスがよいです。761年に法道仙人により放浪山山頂に開かれ、昭和33年に現在地に移築されたとあります。
参道両側が紅葉で、紅葉が有名。ですが、本堂横の桜も見事です。私一人だったので、独占状態。もったいない。
御朱印
大きな楼門。
寺号標。
楼門を潜ると参道。青紅葉には早かったようです。
本堂。
咲き誇る桜。
丹波ではこういう風景があちこちにありました。
真言宗大覚寺派別格本山 弘浪山 高山寺
丹波もみじめぐり十ヶ寺の一つです。
昨年5月の参拝以来1年ぶりとなります。
山門からまっすぐ続く参道の両脇にはイロハモミジが茂り、初夏は青もみじのトンネルで清々しく、秋は紅く染まってとても綺麗な眺めのお寺です。
去年初めて参拝した際にはとても感動したのですが、今回二度目の参拝にも関わらずまたまた感動してしまいました。
昨年は紅葉も見てみたいと思いつつお参りできなかったので、今年の秋こそリベンジしたいと思います。
ご本尊 十一面観世音菩薩
天平宝字5年(761年)、法道仙人により開基。
仁平3年(1153年)、兵火により焼失するも文治5年(1189年)に源頼朝の命により復興。
その後荒廃しますが、慶長5年(1600年)に僧開長によって再興されました。
山門
山門から本堂へとまっすぐ続く参道
青もみじのトンネルです。
紅葉の季節にはまた違った趣があるでしょうね。
仁王像(左)
仁王像(右)
山門天井には天女
山門天井中央には龍が描かれています
山門くぐってすぐ左手にある安全堂
中には不動明王が安置されています。
境内側から見た山門
灯籠
参道途中の鐘楼
修行大師像
本堂前には獅子吼
本堂
本堂内
本堂彫刻
芭蕉句碑
「名月爾 麓のき里や 田乃曇り」
手切地蔵菩薩
オトギリソウですかね
真言宗大覚寺派別格本山 弘浪山 高山寺
「日本の絶景」として時々雑誌等にも取り上げられる古刹になります。
何が絶景かというと、山門から本堂まで続くまっすぐな参道には両脇に石灯籠が続き、そしてモミジがトンネルのようになっているんです。
ネット上でも秋に赤く色付いたモミジの参道写真が結構挙げられていますが、今回は青モミジ!
天気がとても良かった上に、お昼近くで太陽はほぼ真上。
そして参拝者は私一人。(私が帰る頃には何人か来られましたが)
絶好の撮影タイミングとなり、「朝早く起きて、丹波まで来た甲斐があった」と大満足でした。
しかも最初の山門の写真をよく見てもらうとわかるのですが、参道には二人ほど人が写っています。
この方達はお寺の関係者で、石灯籠をきれいにお掃除されていたのですが、私が山門をくぐって参道の写真を撮ろうとすると掃除道具を持って、鳥居の陰に隠れてくれたのです。
この心意気にもすごく感動し、掃除をされていた方にご挨拶すると笑顔で「こんにちは」と返してくださいました。
日本ってやっぱりいいなと思ってしまいますね。
高山寺は、天平宝字5年(761年)、法道仙人が弘浪山頂にて十一面観世音菩薩を感得し、堂宇を建立したのが開基とされるそうです。
その後兵火により焼失したそうですが、源頼朝の命を受けた東大寺住職俊乗坊重源によって中興されます。
一時は11の末寺を構えて、後鳥羽天皇勅願所ともなっていたそうですが、その後戦国時代になると高山寺は寺院城郭とされ、織田信長の命により明智光秀が丹波平定を目指してこの地で戦いが起き、戦乱に巻き込まれて再び荒廃してしまったようです。
そして慶長5年(1600年)、開長上人によって再興されたとのこと。
昭和33年に弘浪山頂から現在地・常楽に、本堂、山門、庫裏を移築されたそうです。
御朱印は寺務所にて書置きをいただきました。
もしかしたら直書きしていただけたのかもしれませんが、掃除等でお忙しそうにされていたので手を煩わせては申し訳なくて。
今回、600投稿目にあたり、こんなに素敵なお寺にお参りできたのも何かのご縁でしょうか。
ぜひ次は紅葉の季節にお参りしてみたいと思います。
山門
仁王像(右)の壁の絵もきれいなんですが、
天井には・・・
天女が描かれています
そして左の仁王像
こちらの天井にも・・・
これは天女?
もしかして迦陵頻伽?
そして山門中央の天井には龍が描かれています
山門をくぐった先にはこの参道!
参道の途中、右側にある鐘楼
いよいよ本堂が見えてきました
本堂手前に狛犬?
両方とも口が開いてるけど?
これは獅子吼というらしいです。
説明は次の写真をご覧ください。
本堂
本堂内部
本堂のまわりには石仏がずらり
ツツジとクロアゲハ
クロアゲハに気を取られていると、「こっちも見て」と言わんばかりに私の周りを旋回して目の前で止まってくれました。
ツマグロヒョウモンという蝶らしいです。
もう一度本堂を振り向いたあと、寺務所へ。
寺務所に向かう途中で出会った「手切地蔵菩薩」
なんと右手がありません!
悪習や悪縁と「手を切る」と念じてお参りするそうです。
御朱印
歴史
高山寺の旧境内は、現在地から南東約3kmにそびえる弘浪山(標高520m)の山中にありました。
天平宝字五年(761)、法道仙人が弘浪山において十一面観音菩薩を感得し、堂宇を建立したのが開基と伝わります。
その後の仁平三年(1153)の兵火で焼失しましたが、文治五年(1189)に源頼朝の命を受けた重源聖人によって中興されました。当時は山麓に十一の末寺を構え、後鳥羽天皇勅願所ともなりましたが、南北朝時代以降は荻野氏などによって城壁とされ、相次ぐ戦乱によって寺門は再び荒廃しました。
慶長五年(1600)に日向国の僧・開長上人によって再興され、境内の基盤が整い、内尾神社別当職として隆盛を迎えます。しかし明治の神仏分離、廃仏毀釈による末寺の荒廃や、台風災害などによって山上での護符が困難となり、昭和三十三年(1958)に本堂、山門、庫裏を現在地へ移築しました。
当寺の十一面観音菩薩は白龍に座したお姿で、三十三年ごとにご開帳されます。
名称 | 高山寺 |
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読み方 | こうざんじ |
参拝料 | 保全金200円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0795-82-1261 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
詳細情報
ご本尊 | 十一面観音菩薩 |
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山号 | 弘浪山 |
宗旨・宗派 | 真言宗大覚寺派 |
創建時代 | 天平宝寺元年(757) |
開山・開基 | 法道仙人 |
ご由緒 | 高山寺の旧境内は、現在地から南東約3kmにそびえる弘浪山(標高520m)の山中にありました。
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体験 | 武将・サムライ |
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