まつほじんじゃ
松帆神社兵庫県 淡路市
社務所
3月~10月原則 9時~17時30分
11月~2月原則 9時~16時分
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
淡路島七福神巡りにて。 寄り道してお参りさせていただきました。
菊一文字の模造刀が飾られていました。
長さや重さは再現されており、手に取ることも出来ました。
阪神の近本選手も祀って(笑)ありました。

淡路市にある神社です。
本福寺と同じく 淡路島北東側海岸に近い場所にあります。
少し歩けば 浦の海水浴場です。
松帆といえば松帆の浦というイメージですね。
心なしか 境内の土に海の砂が混ざっているような気がしました。
鳥居から本殿までは200m以上あると思われる参道が続きますが 両サイドに燈籠が並んでいて美しいです。
神門をくぐろうとしたら 山門だと書かれていました。
神宮寺があったということか?
本殿に上がる石段の手前に 狛犬ではなく亀がいました。
贔屓大神亀と書かれていました。
贔屓は龍の子どもとされる伝説上の霊獣だそうです。
贔屓に触れることで神様の「ひいき」を得ることができるとのことで 頭をさすっておきました。
すぐお隣には 八幡神社神使の厄除兎もいました。
本殿・拝殿前には狛犬さんがいらっしゃいました。
拝殿の壁には 阪神タイガースの近本選手の新聞切り抜きやタオルがかけられていました。
近本選手が淡路出身ということで 松帆神社さんが応援されているそうです。
神社がバックアップすりゃあ そらヒット量産ですね。
(まだ阪神優勝が決まっていない時だったので)阪神の優勝祈願もあわせてご挨拶させていただきました。(しっかり叶った~)
社務所で御朱印をいただく時に 社宝の名刀菊一文字があることを教えていただきました。
ただ いつでも見られるものではないそうで 大祭の時には見られるそうです。
こちらもお詣りさせていただけて幸せでした。(阪神優勝もあわせて)
ネット情報です。
兵庫県淡路島北東部大阪湾の海沿いに鎮座する神社である。
神社の創建は約700年前の応永6年(1339年)と古く 神社の位置する東浦地域一帯と山間部の小田地区の氏神として地域の人々の崇敬を集めている。
鎌倉時代の武将楠木正成の家臣である吉川弥六が 湊川の戦いにおいて主君から八幡大神の神璽を託され 海路で淡路島に落ち延びた際に 山中に祠を建て八幡大神を祀ったものが神社の創建の由来とされる。
その後この祠は 厄除け・祈願成就の御神徳顕著なることが評判となり 応永6年(1339年)に来馬庄(現在の社地)に遷され 村々鎮守の「八幡宮」となった。
明治14年(1881年)に神社の周囲の浜辺が「松帆の浦」と呼ばれていたことから「松帆神社」と改称し 現在に至る。
主祭神は八幡大神(応神天皇第十五代天皇)・誉田別命(ほんだわけのみこと)
相殿は
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)第十四代天皇・応神天皇の父君
神宮皇后(じんぐうこうごう)応神天皇の母君・三韓征伐を指揮
松帆神社の社宝 「名刀菊一文字」 は 承元時代(1207 - 1211年・鎌倉時代初期)作の古刀である。
後鳥羽天皇(後の後鳥羽上皇)の命により全国の名刀工が鍛刀した際に筆頭御番鍛冶であった備前福岡一文字派の祖である則宗の作とみられている。
「八幡宮に名刀あり」との噂や口伝はあったものの所在不明の状態が長らく続いていたが 昭和8年(1933年)に偶然 神社本殿の内陣で発見された。
昭和10年(1935年)には当時の文部省による鑑定の結果 同年10月20日付で国の重要美術品に認定された。
正面石鳥居 参道がなが~い
神門(山門と書いてある)
狛犬じゃなくて亀
贔屓(大神亀)
続いてうさぎ 八幡大神神使「厄除兎」
手水舎
本殿・拝殿
古い狛犬
阪神タイガース近本選手が淡路出身ということで
社務所
境内社 天満宮社
境内社 疱瘡社・金刀比羅社・祖霊社
時は南北朝時代、延元元年(1336年)5月、楠木正成公が湊川の戦いにて獅子奮迅の働きむなしく足利勢の大軍に包囲され、弟・正季(まさすえ)公と刺し違え自刃されるより前、家臣吉川弥六に日頃守護神として崇め身に着けておられた八幡大神の神璽(みしるし・文殊のようなものと伝わる)を託され、戦場より逃れ安住の地にて奉祀するよう命じられた。弥六は神璽を首にかけ、仲間数人と共に夜陰に乗じて海路淡路島に落ちのび、現在の淡路市楠本付近の浜に辿り着いた。上陸し、疲労のあまり仮眠していたところ、兎に起こされ追手に気付き更に山奥へと逃れた。これより後、弥六一行の子孫は兎を八幡大神の厄除の使いと考え、その肉を食する事を禁じたと伝わる。
弥六達は潜伏を続けながら山中に小祠を建て八幡大神を祀り、周囲を開拓し一帯を楠木村と称した。これが後に楠本(くすもと)村と改められ、現在の淡路市楠本となったものである。現在も楠本地区にはこの小祠が元八幡として伝わっている。その後、この小祠については弥六一行が残党狩りを逃れた厄除の御神徳をはじめ、祈願成就の御神徳顕著なる事が評判となり、応永6年(1399年)に来馬庄(現在の久留麻の社地)に遷され、来馬・浦・仮屋・谷・下田・楠本・中持・小田・河内・白山などの村々の鎮守の「八幡宮(八幡さん)」となった。
明治14年5月に、周囲の浜辺が「松帆の浦」と呼ばれていたことから「松帆神社」と改称し、現在に至る。
歴史をもっと見る|| 住所 | 兵庫県淡路市久留麻256 |
|---|---|
| 行き方 | 神戸淡路鳴門自動車道、東浦ICより車で約5分
|
| 名称 | 松帆神社 |
|---|---|
| 読み方 | まつほじんじゃ |
| 参拝時間 | 社務所
|
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0799-74-2258 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://matsuhojinjya.com/ |
| SNS |
| ご祭神 | 八幡大神 応神天皇 |
|---|---|
| 創建時代 | 延元元年(1336) |
| 創始者 | 吉川弥六 |
| ご由緒 | 時は南北朝時代、延元元年(1336年)5月、楠木正成公が湊川の戦いにて獅子奮迅の働きむなしく足利勢の大軍に包囲され、弟・正季(まさすえ)公と刺し違え自刃されるより前、家臣吉川弥六に日頃守護神として崇め身に着けておられた八幡大神の神璽(みしるし・文殊のようなものと伝わる)を託され、戦場より逃れ安住の地にて奉祀するよう命じられた。弥六は神璽を首にかけ、仲間数人と共に夜陰に乗じて海路淡路島に落ちのび、現在の淡路市楠本付近の浜に辿り着いた。上陸し、疲労のあまり仮眠していたところ、兎に起こされ追手に気付き更に山奥へと逃れた。これより後、弥六一行の子孫は兎を八幡大神の厄除の使いと考え、その肉を食する事を禁じたと伝わる。 弥六達は潜伏を続けながら山中に小祠を建て八幡大神を祀り、周囲を開拓し一帯を楠木村と称した。これが後に楠本(くすもと)村と改められ、現在の淡路市楠本となったものである。現在も楠本地区にはこの小祠が元八幡として伝わっている。その後、この小祠については弥六一行が残党狩りを逃れた厄除の御神徳をはじめ、祈願成就の御神徳顕著なる事が評判となり、応永6年(1399年)に来馬庄(現在の久留麻の社地)に遷され、来馬・浦・仮屋・谷・下田・楠本・中持・小田・河内・白山などの村々の鎮守の「八幡宮(八幡さん)」となった。 明治14年5月に、周囲の浜辺が「松帆の浦」と呼ばれていたことから「松帆神社」と改称し、現在に至る。 |
| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印博物館お守り祭り武将・サムライ伝説 |
| Youtube | |
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