曹洞宗
法幢寺のお参りの記録一覧
1470年、若狭の僧・宗源が開いたとされる。
1513年火災で焼失、1546年松前義広、季広が再興し松前家の菩提寺とした。
1868年函館戦争の兵火で堂宇のほとんどを失ったが、1838年再建の山門、御霊屋は焼失を免れ現在に伝わっている。
本堂
本堂
御霊屋
山門
山門
松前家墓所
渡島半島南部⑥松前公園『曹洞宗大洞山法幢寺』 松前藩主松前家墓所は国指定重要文化財。
福山城(松前城)の北、寺町の一角にある法幢寺の北に松前藩主松前家墓所があり、その東側には旧箱館館主と親類関係にある河野系松前家墓所が隣接する。
法幢寺は、延徳2年(1490年)に松前大館に建立されたが、アイヌの襲撃により焼失し、3世義廣によって天文15年(1546年)菩提寺として再興され、元和5年(1619年)頃までに現在地に移ったとされる。
松前家墓所が形成されたのは、松前家7世公廣の没した寛永18年(1641年)以降と考えられている。 墓碑の総数は55基で、19代にわたる歴代藩主や正室・側室・子などの墓標が立ち並ぶ。始祖武田信廣から4世季廣までは一つの墓碑に合祀され、西に5世義廣(初代藩主)、東に蠣崎季繁(武田信廣の義父)の墓碑があるが、この2基は後世に造立されたものである。また、石廟(せきびょう)が23基みられ、寺町の寺院墓地でも、松前藩重臣を中心に石廟が採用されている。石廟は、日本海沿岸地域の墓地や、高野山などで類例があり、越前(福井県)産笏谷石(緑色凝灰岩)が使用されているが、後になると御影石(花崗岩)が使用される。
《松前藩主松前家墓所》国指定文化財
中の石廟や墓碑は怖くて撮影しませんでした。やはり空気が違う、、
《過系譜》
石廟(せきびょう)が23基みられ、寺町の寺院墓地でも松前藩重臣を中心に石廟が採用された。
墓碑の総数は55基で、19代にわたる歴代藩主や正室・側室・子などの墓標が立ち並ぶ。
《山門》
《本堂》
《御霊屋》
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