かめだはちまんぐう
亀田八幡宮北海道 千代台駅
社務所:8:30~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
渡島半島南部⑯函館『亀田八幡宮』
広い厳かな雰囲気の境内には、本殿と旧拝殿があり、函館薬祖神社と亀田稲荷神社もお祀りされています。
ギュッと詰まった函館の街の中では珍しく、境内だけでなく駐車場もとても広いです。
例大祭の立派な御朱印を拝領して社務所を出ると、隣で御守をいただいていた男性に「御朱印はどうすればもらえるのだろう、、」と尋ねられました。どうもこちらの神社は御朱印帳を置いていないらしく、スタートに失敗してから困っていたご様子。立派な神社だったので少し意外でした。御朱印帳について大雑把に説明しましたが、予備の御朱印を持っていたら譲りたいくらいでした。その後が気になる参拝の思い出です。
季節感ある美しい手水でしたが、さっさと投稿しなかったので冬になってしまいました、、
例大祭〜書置きですが
力強い素敵な御朱印☆
『一ノ鳥居』弘化四年に函館奉行が奉納した大鳥居
明徳元年の御創祀と伝えられる。蝦夷地大乱の時、松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護として松前藩の祈願所に定めた。函館戦争では境内も戦場となり、幕軍榎本武揚・大鳥圭介等がこの八幡宮神殿で降伏の誓約を誓い戦争が終結した。
『村橋直衛』薩摩藩士~函館戦争の終結に尽力。日本初の低温発酵ビールを製造した「開拓使麦酒醸造所」の設立に携わった。
『狛犬さん』五稜郭や弁天台場を手掛けた石工の作品
『本殿』御祭神~誉田別命
『旧拝殿』文久三年に改築され現在も残されています。
こちらのモニュメントは『黒田清隆』
手水舎
二ノ鳥居
『亀田稲荷大明神』御祭神~宇迦之魂神
大小の狐様~微笑ましい家族みたいな様子でした
『函館薬祖神社』御祭神~少彦名神
明徳元年越前国敦賀郡気比神宮より、八幡大神の御分霊を同国笠原右源太が当地に奉遷。その後河野加賀守森幸が、右源太の孫左衛門をして本殿造営をしたが、松前藩祖信広との戦乱の為祭祀営繕不能となる。蝦夷地大乱の時、松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護と、藩祖信広の大弓半弓矢を奉納、正月6日の法楽神事を仰付け、七重浜の柏樹林の伐採を禁じ、松前藩の祈願所に定めた。慶長8年10月本殿拝殿を建立(現神輿殿・文久2年8月改築)。毎年祭祀料玄米25俵、各村の役納を仰付け大祭毎に代参。明治元年蝦夷統督清水谷侍従参拝。戊辰戦争では、幕軍榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。同2年8、12月侍従東久世通禧参拝。同9年郷社。同15年有栖川宮一品幟仁親王御真筆の奉納。同41年神饌幣帛料供進神社に指定。
名称 | 亀田八幡宮 |
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読み方 | かめだはちまんぐう |
参拝時間 | 社務所:8:30~17:00 |
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり1390 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0138-41-5467 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
ご祭神 | 《主》誉田別命 |
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創建時代 | 1390年(明徳元年) |
創始者 | 笠原右源太 |
本殿 | 流権現造 |
ご由緒 | 明徳元年越前国敦賀郡気比神宮より、八幡大神の御分霊を同国笠原右源太が当地に奉遷。その後河野加賀守森幸が、右源太の孫左衛門をして本殿造営をしたが、松前藩祖信広との戦乱の為祭祀営繕不能となる。蝦夷地大乱の時、松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護と、藩祖信広の大弓半弓矢を奉納、正月6日の法楽神事を仰付け、七重浜の柏樹林の伐採を禁じ、松前藩の祈願所に定めた。慶長8年10月本殿拝殿を建立(現神輿殿・文久2年8月改築)。毎年祭祀料玄米25俵、各村の役納を仰付け大祭毎に代参。明治元年蝦夷統督清水谷侍従参拝。戊辰戦争では、幕軍榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。同2年8、12月侍従東久世通禧参拝。同9年郷社。同15年有栖川宮一品幟仁親王御真筆の奉納。同41年神饌幣帛料供進神社に指定。 |
体験 | 御朱印 |
概要 | 亀田八幡宮(かめだはちまんぐう)は、北海道函館市八幡町にある神社。旧社格は郷社。祭神は誉田別命。 |
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歴史 | 歴史[編集] 神輿殿(旧本殿)。手前右に立つのは「箱館戦争降伏式之地」記念碑。 創建年は諸説あり、松前藩の記録『福山秘府』によれば「時期不明」とあり[1]、1690年(元禄3年)の神社調では「今から100年前くらいからある」となっている[2]。一方、神社の由緒では、1390年(明徳元年)、河野加賀守森幸が氣比神宮から八幡神を奉遷したと伝わる[1]。なお北海道神社庁では、奉遷したのは越前国の笠原右源太としている[3]。 コシャマインの戦いの際、武田信広が祈願したところ、七重浜に生えていた柏が軍勢に見えたため、アイヌが降伏したとの伝説がある[4]。その後、1594年(文禄3年)に松前藩の祈願...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] 函館バス「宮前町」徒歩5分。 |
引用元情報 | 「亀田八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=102191742 |
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