しょうみょうじ|浄土宗|護念山
称名寺北海道 函館どつく前駅
寺務所受付8:00~17:00(拝観・御朱印受付9:00〜16:00)
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楽しみ方
函館市船見町にある浄土宗のお寺。函館山七福神の毘沙門天が祀られています。
箱館戦争の頃には新選組の屯所が置かれていた縁で境内には土方歳三をはじめ四名の隊士の供養碑が建てられていてその隣に新選組ファンのためのメッセージノートも置かれています。境内には他に高田屋嘉兵衛の一族のお墓や函館空襲の戦没者慰霊碑もあります。
お盆の忙しい時期だったので御朱印を頂くことはできませんでしたが宝物室は見学出来るとのことで見に行きました。2階にある宝物室には様々な文化財が収蔵展示されていて四天王像の1番左側の像が函館山七福神の毘沙門天様です。御賽銭箱も置いてあります。他にも南北朝時代に建てられたという北海道で最古の和人が定住した史跡である貞治の碑も見ることが出来ます。
正保元年(1644年)に伊勢の国(三重県)の僧、円龍上人は阿弥陀如来像を奉持し北海道に渡り、亀田村(現、函館市八幡町付近)に像を奉り阿弥陀庵を建立しました。これが称名寺の開山です。
のちの元禄3年(1690年)護念山摂取院称名寺と公称いたします。亀田川の度重なる氾濫により、宝永5年(1708年)富岡町(現、弥生小学校付近)に移転。当時は方50間の寺地に、本堂、庫裡、三十三観音堂、経蔵、鐘楼門など整っていたそうです。
しかし文化3年の大火でほぼ全焼。のち再建して書院などを更に雄大にした、との記録があります。ペリー来航時の紀行文中に当時の称名寺の様子が描かれています。箱館奉行交代の際には仮本陣となり、箱館開港当初はイギリスやフランスの領事館がおかれました。
箱館戦争では新撰組の屯所となり、明治6年には寺内に北海道最初の中学校である官立変則中学校、明治12年には同じく寺内に商船学校が設けられましたが、同年12月の大火により本尊、石仏、墓石など以外ほぼ焼失してしまいます。
この大火による市区改正で、現在地(函館市船見町)に移転しますが、現在地においても明治29年、同40年と大火の被害をうけました。
幾度もの被災を考慮し、昭和4年に鉄筋コンクリート建築の現本堂が再建されました。
内陣には、東京・芝の大本山増上寺より拝領の極彩色の豪華な人天蓋が飾られております。
境内には、新撰組土方歳三の他4名隊士の供養碑、豪商の高田屋嘉兵衛の墓、初代箱館館主河野加賀守政通の供養碑など、多くの著名人の墓があり、海産物交易の集積地として栄え、また開港により更に賑わった当時の函館の歴史を垣間見るこができます。
(称名寺公式HPから引用)
| 名称 | 称名寺 |
|---|---|
| 読み方 | しょうみょうじ |
| 参拝時間 | 寺務所受付8:00~17:00(拝観・御朱印受付9:00〜16:00) |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 寺務所1階と2階 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0138-23-0574 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://www.syoumyouji-hakodate.com |
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 護念山 |
| 院号 | 摂取院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 正保元年(1644) |
| 開山・開基 | 円龍上人 |
| 文化財 | 阿弥陀如来、円空作観音像(市指定有形文化財) |
| ご由緒 | 正保元年(1644年)に伊勢の国(三重県)の僧、円龍上人は阿弥陀如来像を奉持し北海道に渡り、亀田村(現、函館市八幡町付近)に像を奉り阿弥陀庵を建立しました。これが称名寺の開山です。
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| 体験 | 仏像御朱印博物館武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り |
| 供養 | 一般墓納骨堂 |
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