しんとつかわじんじゃ
新十津川神社北海道 新十津川駅
参拝/24時間
【北海道 古社巡り】
新十津川神社(しんとつかわ~)は、北海道樺戸郡新十津川町字中央にある神社。旧社格は県社。祭神は國常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこ)。
1890年、新十津川村の村人が神社設立の協議を行い、奈良県十津川村の玉置神社の分社を創建することとなり、翌年徳富川畔に仮殿を設置した。1894年近隣に社殿を完成するも、1898年に石狩川の大氾濫で被災、1899年に高台に遷座し、1900年に社殿を造営した。1923年に村社に列し、その後1930年に郷社、1943年に県社に昇格した。
当社は、JR函館本線・滝川駅の北西3kmの小高い丘の上にある。石狩川の西岸から、国道451号線を西方に600mほど緩やかに登った場所で、周りは広々とした耕作地が広がっている。国道に面して広がる境内も広々としていて、柵や壁はなく、鳥居が道から奥まっているため、クルマで国道を走っていても気付きにくいかもしれない。樹木がほど良く間引かれているため境内は明るく、アスファルトの参道を歩くと、公園を歩いているような気持ち良さがある。
今回は、北海道の旧県社ということで参拝することに。参拝時は午後、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内南端東寄りにある<社号標>。ただし、ここは参道入口ではない。
参道は先ほどの場所の西寄りにあるこちら。入口から広々。
こちらは、石製の<一の鳥居>。
参道左側の<狛犬>。北海道でよく見かける黒色の石材。凛々しい風貌。
参道右側の<狛犬>。古い狛犬でよく見かける風車の模様は入っていない。
参道左側の、簡素な<手水舎>。
参道を進むと、青銅製の<二の鳥居>。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。面白い形の扁額には「玉置神社」とある。
<拝殿>内部。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿に向かって右手にある<社務所>。
拝殿に向かって左手にある<鎮座百年記念碑>。
御朱印は、写真後ろの宮司さん宅にて。
記念碑の後ろにある<御神輿庫>。扉の脇には「本村居住四國出身者」、「大正九年(1920年)六月」と書かれている。百年前の建物ですね。
最後に<社殿>全景。銅板葺の屋根、木造の躯体ともに良い味わいが出ている。(^▽^)/
明治22年奈良県十津川村の有する吉野郡一帯の豪雨により、生活の方途を失った人々が北海道へ移住し奈良県十津川の玉置神社5柱の御分霊を奉斎
母村の玉置神社は上代神武天皇がご東征の折玉置山で休まれたと伝えられ白河法皇9回、鳥羽法皇は20数回、後白河法皇は32回、後鳥羽法皇31回、後嵯峨法皇2回、亀山上皇1回という大変な数の参拝を数えると伝わる高貴な由緒の神社。
御祭神は
國常立尊(くにのとこたちのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
天照大神(あまてらすおおかみ)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)の五柱。
宮司様のお話ではこの御祭神をお祀りしている神社を探し全国から参拝にくるとか。
「昨日も埼玉から来た人に三回目でやっと会えて御朱印を書いたんだよ、電話してくれればいいのに。飛行機代もかかるのに、運試しだというんだよ、この三回目に人生賭けたっていうんだよ、凄いよね~」
「きのうは沢山御朱印をかいたんだよ」
「昨日は大雨でしたよね」
「みんな根性だね」
「・・・・」
「今日はだれも来なくていい感じに仕事してたんだよ」
「す、すみません・・・・」
「いいんだよ、8社兼務してるから、いない事多くて、電話してから来た方がいい
よ」
「でも、電話もご迷惑かと思って…。頂けなければまた来ようと…」
「神社にはそれぞれの≪気≫があるからね。御朱印はもらったほうがいいんだよ」
御朱印を書きながらお話してくださいました。
9月4日のお祭りに向けて氏子(多分)の方々と大掃除の最中にありがとうございました。
そして、シャツに作業ズボンで脚立に乗って作業したらっしゃった方に
「神社の方はいらっしゃいますか?」と尋ねたら「俺、ここの宮司」と…😱😱
沢山の人が灯篭や行灯に脚立をたてて作業中。工事中かとおもうほど。
なので写真少な目です。
お賽銭箱の前に「はしご」がかかっておりますがお参りさせていただきました。
氏子総代の方と間違えてしまって、平誤りの私に、本物?の氏子さんが「いいんだよ、一番下っ端なんだからガハハ!」
温かい神社さんです。
本社は明治22年奈良県十津川村の有する吉野郡一帯の豪雨により、生活の方途を失った人々が北海道へ移住する事に端を発し、明治24年1月14日に本村役場側に仮殿を設けて、奈良県十津川の玉置神社5柱の御分霊を奉斎した。同27年6月24日、本村上徳富のシスン島に仮殿を建築、同31年水害により現在の高台に奉遷し、同33年9月には社殿を造営、更に大正4年には現在地に社殿を新築した。母村、玉置神社は上代神武天皇がご東征の折玉置山で休まれたと伝えられ白河法皇9回、鳥羽法皇は20数回、後白河法皇は32回、後鳥羽法皇31回、後嵯峨法皇2回、亀山上皇1回という大変な数の参拝を数えると伝わる。本社は玉置神社と同名にて奉斎し大正4年に大正天皇ご大典記念として社殿を新築。その間明治28年8月24日公認神社として認可され、大正4年12月21日に村社、昭和5年8月に郷社、同18年1月15日に県社となった。さらに昭和42年社名変更をし新十津川神社となる。平成2年に鎮座100年を迎え母村十津川村より杉、桧材を奉納賜り本殿、社殿、廊下、社務所を改修、神饌所を新築、平成9年神前を横断する車道と2曲りしている参道を直線に改修し現在に至る。
名称 | 新十津川神社 |
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読み方 | しんとつかわじんじゃ |
通称 | 玉置神社 |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0125-76-2542 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 國常立尊(くにのとこたちのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冊尊(いざなみのみこと) 天照大神(あまてらすおおかみ) 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) |
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創建時代 | 明治24年(1891)1月 |
本殿 | 神明造 |
文化財 | 刀剣(3)(「備前国忠吉作」「相模守藤原国綱」「無銘」) |
ご由緒 | 本社は明治22年奈良県十津川村の有する吉野郡一帯の豪雨により、生活の方途を失った人々が北海道へ移住する事に端を発し、明治24年1月14日に本村役場側に仮殿を設けて、奈良県十津川の玉置神社5柱の御分霊を奉斎した。同27年6月24日、本村上徳富のシスン島に仮殿を建築、同31年水害により現在の高台に奉遷し、同33年9月には社殿を造営、更に大正4年には現在地に社殿を新築した。母村、玉置神社は上代神武天皇がご東征の折玉置山で休まれたと伝えられ白河法皇9回、鳥羽法皇は20数回、後白河法皇は32回、後鳥羽法皇31回、後嵯峨法皇2回、亀山上皇1回という大変な数の参拝を数えると伝わる。本社は玉置神社と同名にて奉斎し大正4年に大正天皇ご大典記念として社殿を新築。その間明治28年8月24日公認神社として認可され、大正4年12月21日に村社、昭和5年8月に郷社、同18年1月15日に県社となった。さらに昭和42年社名変更をし新十津川神社となる。平成2年に鎮座100年を迎え母村十津川村より杉、桧材を奉納賜り本殿、社殿、廊下、社務所を改修、神饌所を新築、平成9年神前を横断する車道と2曲りしている参道を直線に改修し現在に至る。 |
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